見出し画像

アメリカに思うあれやらこれやら

 

 今日はサンクスギビング。留学生の友達とパーティーをする予定があいにく風邪をひいてしまったので、最近思うことを徒然なるままに書いてみようかと思う。






 ふと思い返すと、私のいつか留学をしてみたいという願望を持ち始めたのは、中学1年生の時だった。学校でJICA の青年海外協力隊としてアフリカに派遣された近所の中学校の先生の講演を聞き、とても影響を受けた。(その先生は本当にカッコよかったのだ。子どももいる女性が人生を自分の意志で導いている初めてのロールモデルだった。)
 
 色々調べているうちで、国際協力の王道キャリアを志すのならいずれ海外の大学院に行かなければならないことを知り、暇さえあればどんなプログラムがあるか、いつから行くのがいいか、等をひたすらiPod touchで検索するようになった。

 その後、色々やってみたり、コロナで計画が頓挫したり、考え直したりと様々な経過を辿ったのだけど、最終的に私の留学は大学進学というタイミング・別の動機付けで実現することになった。その間、リサーチ量も期待と熱量と覚悟も膨らみ続けた。





 さて、ここまで3ヶ月が経ち、本当に想像とは違うひたすら地味で苦悩の多い日々を過ごしている。(6年間あんなに調べていたのに!)

 とにかく、上手く行かないことしかない。さじ加減がつかめず1日の大半はコンピュータのスクリーンを見つめているし(平均9時間)、友達も全っ然できない。

 ずっと、たとえ留学先で苦労があっても、自分は強い心と努力で立ち向かっていくことができると思ってた。でも、私が過去そのような振る舞いができたのは、環境を優位にコントロールできる立場とちょっと頑張ってみようかと思える気力あってのことだったのだと初めて気がついた。日々の予測不可能さやマイノリティとしての辛さが留学の本質の一つなら、想像とは違うなりに色々と学んでいるかなと思う。



 だから、大学のコミュニティの一員になるというレベルから見つけられたことはまだほとんどないのだけど、初めて異文化の中で生活をするという文脈ではそれなりに発見があったので、それらを振り返りたい。







 いざ母国を離れて、結局アメリカって日本と何が違うんだろうと考えたとき、当たり前かもしれないけど歴史が違うよなというところに行き着いた。この国の表層に顕在する自由を重んじる文化、個人主義というのは、16世紀、クエート教徒が権威の支配からの離れ、自らの国を自らの手で作るためにこの地にやってきたという起源が堅い基盤になっていると実感する。
  
 だから、考え方や文化が違うというより、もの・ことの主体の在処が違う。言い換えると、人間の存在の前提が違う。アメリカの思考の起点はどこまでも個人、若しくは自分達だし、日本は”御上”だ。それを強く実感した瞬間がいくつかあった。




 1.自分で決める。言葉もルールも
 最初に驚いたのは、基礎の基礎である社会学入門コースで、いつも教授から”Dear Sociologist,”とメールが送られて来ていたこと。いや、そんな立派なこと1ミリもしてないですよと素で思った。実際、日本だと、博士課程で学んでいるような人でも「まだまだ端くれ者ですよ〜」とか言いがち。謙遜というか、本当にそう思っていると思う。

 それから、目の前の人を交渉したらルールを変えてくれることが絶対日本より多い。初めてのペーパーはなかなか上手く書けなくて、「1週間伸ばしてもらってもいいですか、、」と教授にお願いしたらあっさり許可された。

 その時に、国土の小ささという地理的な点も相まり日本は「皆んなで共有している言葉の意味」が強いのだと思った。学者と言ったら、大学で研究していて、学会で発表していて、これこれをしていて、という自分じゃない誰かが定めた定義が社会全体に広がっている。反対にアメリカは、言葉をどういう意味合いで使うかの個人の裁量が大きい。ルールも然りで、それの責任者を当人が担う場合が多く見える。

(だから、「あなたは幸せですか?」を聞く国際比較調査とかでも、質問者の幸せの定義に沿っているかが分からなくて低い回答をする人も多い気がする。最初に「あなたにとっての幸せは何ですか?」とかで自己の定義をしてもらったらいいのかな。)
(挑戦したら変えられるかもしれない期待値の高さは、巡り巡ってアメリカの失敗が寛容される文化に繋がっているなと思う。)





2.アメリカ人のピュアさ、オープンさ
 これはつまり、少なくとも大学内という利害関係の薄い環境において、本音と建前の境目が緩やかだと感じたことを言いたい。人前ではこう振る舞うべき!というノームがゆるい。だから、プライベートな自分を、社会生活の中でも抵抗なく出す。履修登録に失敗したらびっくりするくらい拗ねるし、お掃除のおじさんも食堂のおばさんもいつも歌ってるし気軽に話しかけてくれる。ハプニングも多いけど、日々の小さな面白い出来事が増やしてくれるのが、いかにもアメリカらしいなと思う。





3.自分の正義にまっすぐ。デモクラシーってこう言うことか。
  アメリカの人々の自分が信じていることを真っ直ぐに貫くこと、それを主張することの当然さが違うなと思った。正義のために立ち上がる。本当に堂々と力強く、私視点ではちょっと過激なのではと思えるほど。それは大学の審議会?に教授の権利を求める学校のストライキでも思ったし、中間選挙でも思った。


 実際、中間選挙期間にはこんな広告が永遠にYouTubeで流れてた。100% wrong for Ohioってそこまで断定する?という。(見つけられなかったのだけど、民主党候補のTim Ryanの顔写真をボーリングのピンにつけてそれを倒して皆んなで大喜びするみたいなやつもあった。)


 
 ただ大学で生活しているだけで、アメリカの民主主義の中の、何かに支配されることの根本的な忌諱と人々が自分の意見を自分の正義に基づいて発信し、行動するダイナミズムをまじまじと実感した。




 その姿を見た時、ふと思ったのは戦後日本って結局何だったんだろうかということ。敗戦を契機に、天皇崇拝を含む軍国主義から民主主義に生まれ変わったというのは言葉だけで、私たちの精神性は戦前と何ら変わりない。少なくともアメリカ先生のようにはなっていない。



 日本にいた時、見えない何かが自分を動かすことを当たり前に思う感覚があった。それは周りの人や社会のルールとして可視化されることもあれば、もっと漠然とした神聖なものの時もあった。小学校の給食では、「お米には1粒ずつに7人の神様がいるんだよ、だから1粒も残しちゃいけないんだよ」と教えられていた。キング牧師の”All humans are created as equal”のcreatedという概念に違和感が拭えないのは私だけではないと思う。弾圧から逃れたい人が切り開いた国の人間観と八百万の国での人間観は違うし、全く同じになることはあり得ない。


 そう考えると、アメリカでどんな服装であろうが誰も気にしないのは当然だし、日本に二大政党制は根付かないに決まってる。昨今グローバルな視野を持った人材だとか、国際感覚を養う方法だとかがやけに持てはやされるけれど、それが指すことの一つは「国境と文化圏を超えても転用可能なものか否かを見極める能力」なのではないかと感じる。


 
 ここまでの発見は自分はいつまでもどこまでも日本人というナショナリズム的な概念をやや増幅させている気がするのだが、今後留学生としてではなく個人としての周囲の人々の関わりができるようになればまた新たに思うことがあると思う。なかなか大変なことも多いけど、次のフェーズに移れるようにせかせかゆったり頑張って行こうと思う。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?