ダンスつづき
バレエを見に行き始めたのはシルヴィギエムの写真を新聞で見てからだった。篠山紀信が坂東玉三郎を撮ったのと同じシリーズでギエムを撮ったものだった。さすがの写真だった。美しいとはこのことだろうと惹かれた。
玉三郎の舞台も見たいと思ったが、より強くギエムに魅かれた。
:私は芝居というのが、特にセリフが苦手だ。能は好きだが歌舞伎は観たいと思わない。能は物語を先に予習しているので演者の声はセリフととらえないようにしている。音楽のようなものとして鼓や簫と同じように聴く。能において不満なのは演者の声だけだ。その昔の能役者の声は美しかったろうと思うが現代能はこれが良くない。
このことについては能の通の人とはひと悶着起きそうな私見がある。:
バレエの舞台は小学生のころ白鳥の湖を見たきりであった。
それから30年近くたって追っかけに近いくらい日本公演があればギエムの舞台を見に行った。今はもう余裕がないのでもっぱら有難いネットのお世話になっている。
ギエムは、優雅で美しいとか、はかなげとかいうプリマではない。強靭で美しいという言葉を体現できるダンサーだ。まさにしなやかで強く美しい身体と精神が滲みでるパフォーマンス。
クラッシックバレエの代表作、白鳥を演じてもその印象は変わらなかった。美しい一途な姫だが、はかなさはない。そこは歌舞伎の玉三郎(彼はあれほど男の素足が露出してもはかなさが表現できる)と違い衣装で身を隠さないバレエであるがゆえに身体のもつ強靭さが表れてしまうのだろう。
己が身体を可能な限りコントロールする人が昔から好きだ。美しいと思う。それはコンテンポラリーでもストリートダンサーでも同じよう美しいと思うものは好きだ。前回書いたFANTASTICSfromEXILETRIBEのダンサーからも感じるものがある。このパフォーマーたちの一人が手と足、頭、トルソーをそれぞれ、つまり6つの部分を音楽と合わせて、あるいはわざとテンポをずらして動かす練習をしているというのだ。支点を置かないというふうな武術の甲野氏の言葉を私が思い出しても不思議ではない身体への考え方ではないですか。とすごく興味を感じていたのですが、最近韓国の芸能界のダンスパフォーマンスを観てまるでコンテンポラリーダンスみたいな演劇性といわゆる舞踊の両方のスキルを身に着けた10代20代のパフォーマンスに驚いた。日本の同世代のものも見てすごい子がいるなと思った次第です。
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