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生活を整えて自分を大切にすることができない

生活がボロボロになっている。

原因は明らか。本当に仕事が忙しい。
部屋はどんどん散らかる。一度散らかると際限なく散らかってしまう。
最近ずっとUber eatsのアプリをアンインストールして禁止してきたけど、疲れた自分が楽しめるものなんて食べることくらいしかないから、数ヶ月ぶりに頼んでしまった。
昨日の帰り道は疲れすぎて、音楽やラジオを聴くことさえできず、電車で口を開けて寝ていた。

こういうとき、料理やお菓子をつくったり、ドラマを見たり、スポーツをすることがストレス発散になるという人がいる。

私は本当に信じられない。

だって、そういうことって、生活が整った上での、もう一段階上の楽しみだと思うから。

料理は結構好きだけど、散らかった台所で料理はしたくない。
ドラマを見るのもそう。散らかった部屋ではドラマに集中できないし、そもそも疲れているとテレビの電源を入れる元気も、ベッドの誘惑に勝ち1時間座っている元気もない。
スポーツなんて言語道断。なんなら洗濯さえロクに追いついていないというのに。明日着る下着があるかないかの生活を送っている私にスポーツウェアなんて洗濯物を増やすわけにはいかない。

ストレス発散の趣味ができる人って、生活を整えることが日常になっている人たちなんだと思う。
わたしはしんどいとき、すぐに自分の生活を犠牲にしてしまう。
適当なものを食べて帰ったらとりあえず床に横になって、SNSチェックしながら寝落ちして、途中で起きて着替えてベッドに入って、できるだけ長く寝る。朝は時間ギリギリでシャワーを浴びて家を出る。
これが最近のわたしの生活の全て。
昨日は、大好きな関ジャニ∞のライブDVDが届いたのに見る元気が残ってなくて、悲しくて悲しくて添い寝した。

辛い時に生活が立ち行かなくなるのは、結構まずいなあと思う。
部屋が汚いのって、自傷行為に近いと感じるときがある。自分で散らかして自分で気が滅入ってしまう。

散歩したり、映画を見たり、好きな料理をしたり、というのは、自分がちゃんと自分を大切にできている証拠だ。


自炊している時、「自分で自分を大切にしている」という感覚と「自立している」という自負を持てている気がする。

先週の双葉ちゃんの文章。本当によくわかる。
ひとりで生活している以上自分を大切にできるのは自分しかいない。
その感覚がサバイバルっぽくて結構好きだな、と思う時もあるし、どうか誰でもいいからこの汚い部屋とみすぼらしいわたしをどうにかしとください、と思う時もある。

何かを削らなければいけないとき、いちばん簡単なのは自分の生活を犠牲にすること。ひとりで暮らしている以上、生活を犠牲にしたって、自分以外の誰にも迷惑をかけることはないから。
意識的にそこまで思っていなくても、そうやってわたしはこれまでずっと、何かを消耗してきた。

でも、自分の生活というのは、何をする上でも一番大切な基盤なんだとこの歳になって気付いた。
片付いた部屋はエンタメを享受したり作業をするモチベーションになる。栄養をしっかり摂っていれば風邪を引きにくくなる。自分を大切にしていると、自分が大切にされるべき存在なんだと思うことができる。

うまくできなくても、自分が思う「まあこれでいい」までどうにか近づけるような生活を送りたいな。

とりあえず、今日という休日はこの文章を書くことを目標として、そのために部屋を片付けることができた。たまっていた洗い物もした。掃除機もかけた。昼寝もした。偉すぎる。


双葉ちゃんの「できてない自分に集中しすぎない」という言葉を心に掲げる。
落ち込んでも部屋は綺麗にならないのだから、綺麗にできなくても仕事を頑張っている自分に拍手を送る。
その上で、生活を整えることの優先事項をなるべく高くしていきたいね。無理な時はできなくていいから。

なるべく野菜とタンパク質を摂って、ご飯食べて寝て、そうしているうちにこの忙しさが少し落ち着くかな。

ひとまず明日も頑張ろう。今日という日をまあまあ大切にできてよかった。


今日の一曲

平凡/馬場俊英


いちばんに目を覚まし朝ごはんをつくり
家族を送り出して洗濯 掃除をしたら買い物に出かけ
晩御飯を作って洗い物 最後の風呂に入りやがて寝る

昨日地球を回していたのは 
もしかしたら君なんじゃないのか

褒められもせず怒られもせずに
表彰状もトロフィーも貰えないのに
よく頑張ったな 報われない汗が流れても

昨日地球を守っていたのは
もしかしたら君なんじゃないのか

馬場さんは、生活の大切さ、何気ない毎日を積み重ねることがどれだけ大変か、奇跡か、もろく尊いものかを知っている人だ。


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