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本当になりたい自分

私は通信制高校を41歳で卒業しました。現役時代は、今もそこそこ名前を言えばわかる中高一貫の女子校へ行っていました。

10代の時、ただ漠然と大学に進学するという事にものすごい抵抗しました。勉強が嫌いだったから。

遊んでいる方が楽しい。悪い事を目を盗んでやる事が楽しい。やる気も何も無いのに毎日決められた席について50分授業を受けるというつまらない時間。学びたいという意欲がない私にはただただ退屈で無意味な毎日でした。

中退する、という決断に対して差ほど後ろめたさもなく、明日から開放されるという自由を手に入れられる事の方がその時は大きかった。

大卒でなければいけない。

私の今までの人生の中で大卒じゃなくて困ったことは1回もない。しいていえば、N高のリモートの募集を大卒に変更された時ぐらいだ。学歴じゃねーよ経験だよって教えてる会社が大卒にこだわる矛盾には腹が立ったけど、私がやりたいことは会社員でもリモートの仕事でもないから、私じゃなくてもできる程度の仕事なんだなと割り切った。

高卒じゃなくて困ったこともこれまたなくて、私のけもの道を走り抜けるような人生には学歴より人脈と自分の勘以外は必要なかった。

じゃあなんで、わざわざ通信制高校に編入したのか?

それは、自分の子どもの進路に通信制高校という選択肢が出てきたからが1番大きかった。高校に行かないなら働けばいい。でも、彼らには私と同じようなけもの道を走り抜ける能力が果たしてあるんだろうか?と考えた時に、人と同じ道を選ぶ人生を私が知る必要ができたのだ。

2年かけて卒業し、卒業証書を手に入れたが結論からいうと私の人生にはなんの影響もない。ただ、私が思っているのとは違う意味で大きな収穫があった。

親との関係に悩む子、不登校だった子、特別支援学級の先の進路がない子、私みたいに高学歴から落ちこぼれる子、全日制の高校に違和感を感じる子。

これらの子どもたちに共通するのは、親の理解がないこと。高校に行って当たり前。大学にいって当たり前。

本当はそんなことよりもっと時間を使いたいと思っているのに、学校にいけと言われる。

親の常識は子の非常識。

私はここ数年でこれを強く感じている。手の中に情報を握っている子どもたちに、親の常識はもう通用しないのだよ。政治もそう、生活もそう、勉強もそう、手の中でなんでも調べて行動することができる。

電話の前で彼の連絡を待つ時代は、送ったメッセージに既読がつくかどうかに変わったのだ。

だから、親である私はいいたい

子どもの道を親が邪魔したらならない。手を掴んで握りつぶしてしまうような子育てはやめた方がいい。

そして、親は親であるけれど、親である私達もしなければならない鎖から解放された方がいい。なりたい自分になっていいのだから。



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