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やりっぱなし娘と過集中マミー

私と母のことである。発達障害についての専門家で、診断がされているお子さんや傾向があるお子さんへの補助の担当として幼稚園で働いている母からは「あなたは多動系の傾向、私は過集中だね」といったことをよく言われる。あくまでタイプに分けているだけであって、日常生活に困難を感じていないから、我々はいわゆる発達障害ではないのだそう。(教職も取っていたので私も勉強した。)でもこの言葉のおかげで、私は塾講師のアルバイトをしていた時、一生けんめいなのになんだか他の子と同じようにはいかなくて、特に援助が必要な生徒を、あくまで自分と地続きの存在としてとらえられていたと思う。できないからほっておくのではなくて、スモールステップでできることを積み重ねる。音声の情報が入って来にくい人には視覚的に伝える、などなど。これって特別なことではなくて、今も普通に仕事上で気を付けていること。バリアフリーってこういうことから始まって、行政上のもろもろにもつながっていくんじゃないかって、ちょっとカッコつけて思ってみたり。

多動系の傾向がある私は、とにかくいろいろ思いついてやってみる。やり始めるとさっきまでやっていたことは忘れちゃうので、母に言わせると「きたえみ跡」という私がいろいろやっていた痕跡が家に点々と落ちていることになる。洗濯も掃除も料理だってそう。言われ続けてやっと最近、調味料や具材の仕舞い忘れが減ってきた。(でも昨日もめんつゆを仕舞い忘れて母に「このめんつゆはしまっていいやつですか?」と聞かれ「はい、お願いします」って言った笑)フライパンとか鍋とか、使った道具の洗い物はできるんだけど、使い終わった塩とかキャベツとかは記憶から抹消され、よく台所に置き去りになっている。

仕事もそう。クライアントにメールを打っているときにご紹介している別の方のことが気になって、メール打ち終わってもないのに「あ!あれどうなってたっけ?」て見に行く。見に行くとネットがやや遅くて目当てのページを開くのに時間がかかる。その間に、「そういえば…」て別の仕事をし始めて…こんなことの繰り返し。今もさっきまで全然違う作業をしていたけど思いついちゃったからこの文章を書いている。マルチタスクじゃないと飽きちゃうのに、マルチタスクに向いていないジレンマ笑。私の場合は状況記憶力がやや良いのでこれでもなんとか仕事ができているだけ。欠点を長所が補っている典型的な例だと思う。

一方過集中の母は、一度やり始めたらご飯も寝るのも忘れてずっとやり続ける。しかも完ぺき主義なので、何度でもやり直す。ペース配分という言葉は多分頭の中にないと思う。

手先が器用で良く私たち3人兄弟の洋服とかパジャマとかを手作りしてくれていた母はよく一晩中ミシンをかけていて、昨日は布だったものが次の日の朝、服になっていることには毎回感動していた。幼少期から集中すると人の声も聞こえなくなる母は、今でも本を読んだり勉強をし始めるとこもって出てこなくなる。となると勝手に娘、息子たちが家族分のご飯を作りだすから、自分好みの味付けの料理ができるように子どもを育てた母は、つくづくたいしたもんだなあ、相互扶助だなあ、と思ったりもする。

つらつら書いてたら終わりを見失ってしまった。とにもかくにも、何か困り感を抱えている人がいたら、見過ごさないでまずは話を聞ける人になりたいものである。そのための受容体制と知識のインプット、人と関わる仕事だからこそ、割合的に考えて発達障害グレーゾーンと呼ばれる人たちも、診断がおりてる人も、対応している方の中にいるからこそ、多分ずっとテーマになる気がする。


写真は母が大学の卒業式に合わせて作ってくれたつまみ細工。初めて作るのに、ものの二晩で完成していた。「経験値よ経験値~」て笑っている母が思い浮かぶ。

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