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働く女性

働く女性、といえばハイヒール?

時々、「移住した夫婦」の妻として、地元メディアの取材を受けたりします。

結婚していて子どもがいるので、だいたい、子育ては〜?とか、買い物や物価など暮らしやすさは〜?みたいな質問を受けます。
ちなみにオットは、まずは仕事について質問されます。

はっきり言って、根深い性別固定観念を感じる。
質問者に、悪気はまったくないことはわかっている。
自覚が無いだけである。

「主婦らしく、こう答えてほしい」
という意図をありありと漂わせている質問者もいる。物価はどうとか、育児や介護のしやすさがとか、田舎あるある的なご近所さんから野菜をいただけるとか(ちなみに野菜はもらえますが)。そういう答えが欲しい、とあからさまに伝えて来るケースもある。

わたしは、中年で、見た目は女性で、夫がいる妻で、子どもがいる母で、接客の仕事を持つ一人の人間です。

女性とか母とか妻とか社会人とか、外から見るといろんな肩書きがあるけれども、いわゆる働く女性的な質問を受けることが少ない。

そもそも、女性ってなんなの。身体的な性別とか見た目が違うけど、中身はみんな違うでしょー。
わたしは、髪はうんと短いし、メイクも熱心ではないし、アクセサリーもつけないし、スカートも履かない。ただそれだけで、さっぱりしていて男性的だとか若い頃から言われるが、それが褒め言葉のように思って伝えてくれる人もいて、好意に感謝はするけど、特に嬉しくもない。
男性的を良しとするのは女性に対して失礼だと感じるし、そもそも女々しい的な言葉に対して、幼い頃から違和感を持っていた。

ヒールを履いて、スーツを着て、パソコンでカチャカチャやってたら、地方移住をしたキャリアウーマンとして〜、みたいな質問もあるんかいな?バックヤードでコツコツとパソコン作業もしますが。
たしかに接客業は、動きやすい服、スニーカー、エプロン、地味な外見(清潔感が第一なので)、レジや品出しの仕事。いわゆる働く女性のイメージではないかも。
かといって、農業に邁進する「農業女子」でもない。
独身であれば、女性でも仕事面にスポットが当てられるが、結婚しているというだけで主婦的な面にだけ、スポットを当てられてしまう。

しかしそれじゃあ、思い込みが激しすぎないか、皆のもの(←質問者のひと?)。

育児も家事も仕事も、どれも自分の一部。結婚して子どもがいるから、仕事はあまり力を入れていない、ということもない。

最近は社会情勢的に色々なことがあり(天災とか伝染病とか戦争とか)、人間、とにかく働けるうちは働かなければいけないと強く思っている。
金銭対価のある労働だけではなく、身体を使って動くこと、料理、掃除などの家事、育児、地域活動(ゴミ拾いとか草むしりとか)も含めて、動ける人が動かなければ、社会は成り立たない、動く気が無い人(無責任な人)が増えたらその社会は終わりだと、うまく表現できないけど、腹落ちして感じるようになった。
年寄りだから楽をさせてもらう、とか言ってたら、あっという間に社会は成り立たなくなるのだ、日本のことだ。

そういう観点から、主婦目線で〜、ママ目線で〜、というポイントだけを見て生きているわけではなく、動ける社会人として、できることは一生懸命やらなくては、という責任感を持っていたい。

取材に話を戻すが、近ごろは、こういう風な回答が欲しいと、ステレオタイプな思い込みや意図を質問者が持っていることに気づかないフリをして、すっとぼけた回答(しかし本心)をしている。

例えば、野菜はもらえるけど、その時期にもらえる野菜はスーパーでもうんと安く買えますしね〜とか、仕事が忙しいので田舎暮らし、丁寧な暮らし的な感じはないですね〜とか。

だいたい質問者は、ボケた奥様だねみたいな感じで苦笑し、オットを見る。

先日、とある新聞記者の方のコラムに
「問題意識に気付けないと、新聞記者失格であり、決して社会的に影響を与える記事は書けない」
ということが書いてあった。

誰しも、創造者のような万能の目線を持つことはできない。自分は思い込みに縛られていないか?と常に自問自答することを忘れずにいたい。

余談ですが「創造者」という単語を目にして、何を思い浮かべましたか?
長い髭を生やした人間の男性を思い浮かべたとしたら、それはすでに固定観念に縛られている証拠かもしれません(笑)

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