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vol.85 太宰治「富嶽百景」を読んで

社会人3年目の夏、富士山に登った。青空のいただきをにらみながら、やっとたどりついた山頂でビールを飲んだ。のどに通らなかった。気圧の低さから富士の高さを知った。雲が下から湧き立つ岩に腰をおろし、ただぼんやりと友人と語り合っていた。今でも、新幹線から見える富士に、あの日の夏を思い出す。

作品について、昭和13年の初秋、「私」である太宰治が、思いをあらたにする覚悟で、かばんひとつさげて旅に出る。師匠の井伏鱒二を訪ね、御坂峠の天下茶屋に滞在する。そこで富士と向き合いながら、感じたままをつづっている。

当時の太宰は、文学賞に落選し、持病を再発させ、女性と自殺未遂を図っていた。行き詰まった太宰は、師匠を尋ねながらも富士の力を借りて、心の回復を目指したに違いない。

この作品にはあの著名な「富士には月見草がよく似合う」という一文がある。「三七七八メートルの富士の山と、立派に相対峙し、みじんもゆるがず、なんと言うのか、金剛力草とでも言いたいくらい、けなげにすくっと立っていたあの月見草は、よかった。富士には、月見草がよく似合う。(p65)」と記している。当時の太宰の心情にあっていたようにも思う。

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作者の「私」は、当初、富士は俗っぽいと思っていた。東京のアパートの窓から見る富士は、くるしいと感じていた。山頂をクリスマスの飾り菓子のようだとも思っている。沈没しかけている軍艦のようだ、とも記している。

しかし、やがて、「いいねえ。富士は、やっぱり、いいとこあるねえ。よくやってるなあ」と、前向きな言葉に変わっていく。富士によって心が元気になってきたのだ。

ふと、漱石「三四郎」の広田先生の言葉を思い出す。「きみ、富士山を翻訳したことがありますか」と三四郎に問いかける。「自然を翻訳すると、みんな人間に化けてしまうから面白い」と続けている。太宰も、毎日富士に接していると、「かなわない」とか「えらい」とか「よくやっている」とか、人間に語りかけるように富士と話をするようになった。広田先生の指摘通りだ。

思い返せば僕もそうだった。何にも成し遂げられない苛立ちから、富士山頂を目指した社会人3年目の夏を、もう一度思い出す。あの時、僕は、どっしりと大きく、動かない人間に、寄りかかりたい気持ちを富士に求めたのかもしれない。そして「完全の頼もしさ」を勝手に感じ、「富士はやっぱりえらい、よくやっている、かなわない」と思ったに違いない。

もう一度、まずいビールを飲みに行こうとは思わないが、新たな生活を模索している今、富士に語りかけてみるのもいいかもしれない。どっしりと変わらない富士は、きっと何か答えてくれる気がする。

おわり


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