vol.130 梶井基次郎「Kの昇天ー或いはKの溺死」を読んで
この短編も、梶井基次郎の不安定な心がにじみ出ていた。彼のグッと内面に入った心象風景に、今年は惹かれっぱなしだ。
自我の分裂の体験からなのか、「自分の影が人格を持ち、魂を月に昇華させる」という幻想的な事象を題材にしたこの物語を、奇妙な気持ちのまま3回読んだ。
物語は、青年Kの溺死の原因について思い悩んでいる「あなた」からの手紙に、「私」が返信する書簡体形式で始まる。
「私」が初めてKと会ったのは、満月の夜の海岸。Kは落とし物を探しているかのように、砂を凝視しながら、進んだり、退いたり、立ち止まったり。奇妙なKの行動に、「私」は、思い切って声をかける。
Kは「自分の影を見ていた」という。さらにKは不思議なことを語る。
月に照らされた自分の影をじっと見ていると、影が人格を持ち始め、意識が遠くなり、月に昇っていく感覚があると、突飛なことを言う。
また、「影と『ドッペルゲンゲル』。私はこの二つに、月夜になれば憑かれるんですよ・・・月から射し下ろして来る光線を遡って、昇天してゆくのです」とKは緊張した様子で語る。
そんな不思議な感覚を持つKが、「あなた」からの手紙で満月の夜に溺死したことを知る。
Kの溺死について、「私」は推測する。
満月の夜、Kは、自分の影を見つめていたら、その影が人格を持ち、もう一人の自分となり、その魂だけが月に昇って行ったのだろう。そして身体は、無意識のうちに、機械人形のように海に歩み入って行ったのだろう、と。
1926年発表のこの作品は、梶井基次郎の体調が悪くなっていたころ、かなり追い込まれて、一晩で書き上げた作品という解説があった。
作品の前年度にもドッペルゲンガー体験(自分自身の姿を自分で見る幻覚の一種)をしたという記録もあった。
Kとは、梶井基次郎の中にあるもう一人の自分だと推察した。
この時期、彼は、病死への不安や死の恐怖から逃れたい気持ちがあったのかもしれない。また、作中で、Kについて「病の進行に伴い、精神が鋭くなり、魂が月に昇っていく感覚」と、自分のことにように語っている。
この物語を書いた25歳の梶井基次郎は、自分の病死の運命を悟っていたようにも思う。実際に31歳で肺結核亡くなっている。
彼の作品は、一見暗い印象を持つ。しかし、病と共にある心で、さまざまな風景を見ながら、ありのままの心情を描写する力は、いつも感心させられる。何よりもそれは詩的で美しく、自分の気持ちに忠実なように思う。
そして僕は、そんな梶井にますます惹かれる。
おわり
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