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vol.106 遠藤周作「海と毒薬」を読んで

あまりに暗い色調ばかりで、どんよりとした気分のまま読み終わった。

作品は、戦争末期、大学病院で実際に起きた米軍捕虜の生体解剖事件(いわゆる相川事件)を題材にしたものだった。あらすじについてはウィキペディア海と毒薬」に託す。

僕の理解として、亡くなった患者さんの病理解剖は医療の質の向上を意義として法律で認められている。当然生きたまま解剖する生体解剖は、殺人として許されない。

この小説では、生体解剖が大学病院内の出世の手段として、あるいは、医師の興味が先行して、あるいは、言い訳のように医療進歩の任務として行われていた。人間なら誰でも心の奥に抱えていそうな、不道徳な部分を容赦なく描写されていた。

主人公の「勝呂」は、生体解剖の参加を上司に促され、罪の意識に悩みながらも消極的に参加していた。もう一人の主人公「戸田」は、迷うこともなく、むしろ自分の内面にある良心の出現を期待するかのように、積極的に「人殺し」の生体解剖に参加していた。

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読んでいるうちに、なんの信仰心もない僕は、同じ状況に置かれたら、生体解剖の参加を断れたかどうか、少し怖くなった。(信仰心は関係ないかもしれないけど)

生体解剖はどんな状況でももちろん罪だけど、「みんなが死んでいく世の中」や、「病院で息を引き取らぬ者は、夜ごとの空襲で死んでいく」状況下だったら、倫理観や良心を問われても、ゆらいでしまいそうだ。

決して、生体解剖に参加したことを、育った環境や時代のせいにはできないけれど、「戸田」の苦しい心がとても印象的だった。

手術後戸田は、「俺の心はこんなに平気やし、長い間、求めてきたあの良心の痛みも罪の呵責も一向に起ってこやへん。一つの命を奪ったという恐怖さえ感じられへん。なぜや。なぜ俺の心はこんなに無感動なんや」(p178)と自問している。

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一方で、「戸田」は「勝呂」にこんなことを言っていた。「何が苦しんや。あの捕虜を殺したことか。だが、あの捕虜のおかげで何千人の結核患者の治療法がわかるとすれば、あれは殺したんやないぜ。生かしたんや。人間の良心なんて、考えよう一つで、どうにも変わるもんやわ」(p194)

これが「戸田」の結論だとすれば、やはりどこか悲しい。

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amazonprimeで「海と毒薬」の映画も見た。「勝呂」役に奥田瑛二、「戸田」役に渡辺謙が演じていた。二人の対照的な「良心」の演じ方と、カトリック教の洗礼を受けている遠藤周作の罪と罰の問いが重なったように思った。

おわり

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