「あたりまえ」とは?

あたりまえ、当たり前。辞書によれば「当たり前」には、2通りの意味があります。 「①わかりきった、言うまで もないこと。 当然。 ②なんの変ったところもないこと。
言い換えを検索すると人並み何の変哲もない世間並み在り来たり
まだあたりまえの方が意味が分かりやすく通じやすいとは思う。

ここからはあくまで私的な胸の内です。
最近この言葉を聞くたびに違和感を感じてしまう。他にしっくりくる言葉がないのでよい・よくないの尺度ではない。多様性の主張や説明する上でいわゆる普通はない、みんな違う、お互いを尊重し合う為の比較対象として使われやすいとは思う。

自分が困難な状況などややネガティブ寄りな場合に触れた時、有り難みの意を込めてあたりまえのことなんてないと表現することもある。今までの仕事(金融、福祉、ライター)と生活(外国人シェアハウス、ゲストハウス、多拠点生活、海外でのホームステイ、寮、)から文化、価値観、一人ひとりの生き方に触れてきた。
十人十色すぎる彩やかな人々や世界に触れてきたが故に、あたりまえって?何だろうと逆に疑問を抱くようになった。俗にいう一般的なあたりまえと、私が出会ってきた方々には一人ひとりの当たり前が異なる。この言葉を突き抜けて共感は時に難しくとも(宗教など)、共有や受け入れがある種の初期設定に備わっていけば、誰もがよりよく生きやすくなるのではないだろうか。言葉としてあるのでよい・よくないのものさしではないのは念を押しつつ、たくさんある言葉から自分が腑に落ちることばを使っていきたい。頭で考えていることの伝え方に四苦八苦。まだまだ言語化への道は続きます。

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