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Hello, note. / 2019年振り返り10選(展示編)

明けましておめでとうございます。
昨年末から始めたnote.から、まずは自己紹介を兼ねて「2019年に良かったもの10選」を挙げるシリーズ。
3回目は「2019年に出会ったアート・展示編」です。

黒田泰蔵 白磁@ヴァンジ彫刻庭園美術館

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ずっと直で見てみたいと思っていた、陶芸家・黒田泰蔵の白磁。
ぎりぎりまで削ぎ落とされ、高度に抽象化された円筒の白磁が語るのは、器というより一見器のように見える目の前の円筒を触媒とした「白の風景」と言う方がしっくりくる。

私の円筒の理想は、「みるものでもなく、見せるものでもなく、持つものでもなく、 まして持ってもらうものでもないのです」。
本当は、「見えるものでもなく、作るものでもないのです」。
(中略)
脳内の現象を言葉に翻訳しますと、
「私の脳内で感じる風景」とでも言い表すしかないような事なのです。

黒田泰蔵

白磁を見に行ったというより、黒田泰蔵が理想とする白の風景を自分の脳内で想像し再生してきた、というような不思議な体験だった。

「みえないかかわり」イズマイル・バリー展@銀座メゾンエルメス

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日常生活上の自分のセンサーでは見逃すところか、網にもかかりようない超高解像度な光や水滴、物体のゆらぎと変化。
微細なゆらぎの世界へ一度足を踏み入れた途端、自分が本来もっていた潜在的な知覚が目覚め、開いていく快感がある。
今この瞬間の銀座メゾンエルメスという「場」でしか表し得ない、光と陰への知覚覚醒装置。世界への感じ方が一変する、素晴らしい体験だった。


ジョゼフ・コーネル コラージュ&モンタージュ@DIC川村記念美術館

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今回の展示では「箱」作品以外に、「箱」を経た先にある「額」に収められた後期のコラージュ作品が多く、それらのポップアート的な引用の仕方がとても刺激的だった。
また、いつか見てみたいと思っていたコーネルのコラージュ映画や、スタン・ブラッケージを起用した映像作品が見れたことも貴重な展示。これらの作品を見ると、コーネルは映画を使って時をコラージュしたかったのだという事が伝わるし、たとえ手段が映像となろうとも、身の回りの些細な風景や人物を慈しむ、変わらない視線があることが感じられた。
詩的で暗示的で、優しくロマンティック。サイトヲ ヒデユキ氏による公式図録は、今年手にしたうち最も美しい仕上がりの図録で、大切にしている。


続々 三澤 遥@ギンザ・グラフィック・ギャラリー

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たとえ自分のような凡人が1万人くらい束になったとしても、一人の突出した才能にはどうにもならない事を思い知る、圧倒的な解像度の作品群だった。
これまで観たあらゆるggg展示でも、頭一つどころが50はぶっちぎってしまっているのでないかと思う、展示内に詰め込まれた才能の凝縮度。
クリエイティブという言葉の使用は、日本では三澤氏だけに限定されるべきでないかとすらつい飛躍して思ってしまう。


目 非常にはっきりとわからない@千葉市美術館

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年を取るにつれ、世界は見知ったものとしてどんどん限定的になり、閉じていく。
その世界への高をくくった自分の認知が一瞬で反転し、本来世界がもっている未知性や驚き、好奇心、そして恐怖を子供の頃のように揺り戻させる、巨大なしくみとしてのアートであり、装置としての千葉市美術館。
自分の世界への認知が揺り動かされた瞬間、その場で倒れるかと思った。体験の強烈さという意味では2019年で圧倒的1位。今、思い出すだけでもクラクラしてくる。


ショーン・タンの世界展 どこでもないどこかへ@ちひろ美術館

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『アライバル』のまさか鉛筆画だったとは!な驚きの原画に、写真をコラージュして作られた初期のコンセプトボードやプロトタイプ。原画を見ることでしか分からない、息を飲む超細部へ及ぶ目の配られ方。絵本のキャラクターを彫刻でわざわざ試作していく、まるでピクサーのような制作法。
それらを通じて、ショーン・タン作品に共通するキャラクターたち一人ひとりが持っている優しみの理由が少し理解出来た気がした。

印象的だったのは
「もしモンゴルの子供がこの本を読んだら?」
「もし中東のお婆さんが読んだら?」
「もし100年前の人々が読んだら?」
と問いかけながら『アライバル』は試行錯誤を続け、完成度を高めていったというプロセス。

その制作物は、誰にどこまでの強度で最終的に読まれるものとなるか。それは制作前提における、この問いの設定距離と反復が証明していた。


カルティエ、時の結晶@国立新美術館

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カルティエ作品の美しさは異世界すぎて呆然と眺めていく他なかったのだけど、新素材研究所による白布、石、木材、杉など自然素材を多用した会場構成の美しさと組み合わせの妙。同じく天然素材を用いてオリジナルで作られたトルソー一つ一つが作品ともなっているその贅沢さ。
それらが日本の展示空間のあり方自体を圧倒させる美意識の高さで、忘れがたい展示だった。

また各作品テーマと合わせて、異ジャンルの建築や絵画、アート作品や文学を引用しと対比していく図録の演出も、美の法則性や美への尊敬が垣間見え、新鮮さがあった。そして特設のWebサイト。今年見た国内サイトのうち一番突出した美しさと驚きだった。


㊙展 めったに見られないデザイナー達の原画@21_21 DESIGN SIGHT

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完成されたものを見るでなく、普段見ることのできないスターデザイナーたちの過程の思考。そこにこそ私たちが学べるエッセンスが秘められており、あえて光を当ててみることが、新たな才能への貢献ともなる。その企画意図が持つデザインへの真摯さが、とても共感的だった。

より深く潜り、より精密にイメージを起こしていく、そこに自分の命を掛ける。実践者の凄みを垣間見て、恐ろしさも同時に覚えた。


インポッシブル・アーキテクチャー ― もうひとつの建築史@埼玉県立近代美術館

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未完の建築=インポッシブル・アーキテクチャーという目線から建築を見る。
身近な例で言えば、ザハ・ハディドの新国立競技場案。なぜ、それは未完となってしまったのか?そこにどんな社会的・文化的背景があったのか。そういった目線で未完の建築を見ると浮かび上がってくる、現代の課題や制度や文化の未成熟性、さらには本来建築が持っている豊かな可能性。
観ることを通じて、そのようなさまざまな連想が出来る、批評性の高い提案が刺激的な展示だった。こういう企画性を持つ展示を2020年はもっと見てみたい。


桂離宮

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最後は展示ではないが、今年一番強く記憶に刻まれた建造物として、桂離宮を。
細部の細部の細部にまで巡らされた、深い見立ての設計。桂離宮を訪れることで更新された、美のMAX値。それでいながら美的表現を突き詰めた先にあるのは、自己表現ではなく、人をもてなし喜んで頂く事という原点しか感じられてこないこと。そこに一番胸が打たれた。
一度の来訪では読み取れない意図の層の深さ。それを追っていくことがこれからの楽しみでもある。日本美の特性について、より知っていきたい。



次回は「2019年に出会った映画」10選の予定です(映画の10選が個人的には一番楽しい)。

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