掌編小説「キミと僕の物語」
キミと僕の物語
誰かの一番大切な存在に、なりたかった。
キミの一番に、なりたかった。
なのに、どこで間違えちゃったのかなと思う。
これは僕のバカヤロウの物語だ。
*
キミと出逢ったのは、僕が13歳でキミが14歳の頃。
僕らは中学生で、キミは美術部の先輩だった。
ふざけて「好きです」なんて言ってキミを戸惑わせたけど、実は結構本気だった。
放課後のこっそり覗いた美術室。
皆が使った絵筆やパレットを、鼻歌交じりで洗っていたショートカットの横顔に一目惚れしたんだ。初恋だった。
一人っ子のキミは最初、僕の事を弟みたいに思っていたようだった。
元々、異性と接するのか苦手だったらしいけど、僕とは緊張せずに話せると笑っていた。
僕はちょっと複雑だったけどね。
キミが中学を卒業する時、キミの進学先は女子校で、もう逢えないかもしれなくて。
だから僕は勇気を振り絞って告白したんだ。
キミが真っ赤な顔をしながら頷いてくれた時は嬉しくて、ひっくり返りそうになった。
キミも同じ気持ちでいてくれた。
こんな幸せなことってなかった。
キミに一年遅れて僕も高校生になった。
学校の違う僕らの待ち合わせ場所は、帰り道の銀天街の中にある本屋さん。
キミが早い時は僕を待っててくれる。
相変わらずキミはショートカットで、でもセーラー服じゃなくて、高校のブレザーとスカートで。
そんなキミは何だか大人びて見えて、僕はドキドキしたっけ。
初めてのキスはキミが高校三年生になった時。
よくデートしていた丘にある公園の大きな木の陰で。
夕焼けが燃えるように綺麗だったのを覚えてる。
僕が大学に進学する時に、僕らは長距離恋愛になった。
キミは地元の短大に進んでいて、僕の進学先を打ち明けた時には泣いて、泣いて……。
だけど、それでも僕の決意を止めたりはしなかった。
「待ってるから」と言ってくれたキミを抱きしめた。
チューリップの「心の旅」を聴きながら、新幹線に乗って僕は上京した。
大学生活は充実していた。
友人もできたし、楽しかった。
キミが居ないことだけは寂しかったけど、僕らは、ほとんど毎日手紙を交わして(筆不精の僕だったから、キミの方が倍ほども書いてくれたけど)バイト代が電話代で消えるほど話をした。
休みの度に帰省して、友達に冷やかされたりしたのも懐かしい。
キミは、いつも笑顔で待っていてくれた。
それでも長い四年間だった。
無事に卒業してから地元に帰って僕は教師になった。
キミは幼稚園の先生になっていた。
「もう、新幹線で帰っていくあなたを見送らなくてもいいのね」
キミはそう言って泣きながら笑った。
部屋には甲斐バンドの「安奈」が流れていた。
二年後、キミが25歳の時に僕らは結婚した。
長すぎる春だったけど
「やっと同じ家に帰れるね」とキミは幸せそうに微笑んだ。
花嫁姿のキミは最高に綺麗だった。
この笑顔をいつまでも守りたい、そう思った。
僕らに子供が産まれた。
僕は父親になった。
実感はまだ湧かなかったけど、責任を感じていた。
「二十歳になったら、一緒に酒を飲むんだ」
そう言った僕をキミが笑って見ていた。
反面、僕は仕事で行き詰まっていた。
教師という仕事は、出来ることだけをするという上辺だけなら、そんなに大変ではないかもしれない。
所謂サラリーマン教師だ。
けれど生徒たちに真剣に向き合えば向き合うほど、時間は足りなくなる。クラス担任に加えて運動部の部活動顧問などしていれば、早朝から遅くまで、それから長期の休みもほとんど無いと思った方がいい。
それ自体はまだいいのだけれど、合間に生徒指導に駆け回り、保護者からの相談に乗り(家に帰っても電話がかかるから気は抜けない)僕はどんどん疲弊していった。
僕は三人の子供の父親になっていた。
家のことや育児に関しては仕事を辞めたキミが一手に引き受けていた。
キミは毎回、悪阻つわりも酷く、入院するほどだったから、どんなにか大変だったと思う。
でも、この頃の僕に家庭を省みる余裕なんてなかった。
僕は仕事のストレスをキミにぶつけた。
たまに家にいても酒を飲んでクダを巻いて、完全に絡み酒になっていた。
口ごたえしたと怒鳴り、黙っていれば無視するのかとネチネチと言い続けた。
キミに手こそあげなかったけど、その代わりのように、壁には穴があき、ドアノブは壊れた。
壁の穴を泣きながら小さなポスターで塞いでいるキミの後ろ姿に、当て付けがましいと毒づいた。
朝になると、凄まじく反省する。
朝食を作っているキミにひたすら謝る。
もう、二度とあんなことは言わないからと謝ると、キミはわかった、と寂しそうに笑う。
異変を感じたのは33歳頃だった。
その頃に一度病院にいったのだけど、少し調子が良くなったので、僕は治療にいかなくなった。
正直、本当に時間が取れなかったのもある。
キミからは頼むから治療に通ってと何度も言われていたのに。
最初はただの良性の腫瘍だったものは、そんなことをしているうちに悪性の腫瘍へと変わっていた。
僕は職場から帰ってきてから倒れた。
病院へと救急車で運ばれて、診察を受けた。
その頃には、僕の悪性腫瘍のステージは進んでしまっていた。
手術をして、放射線治療も、抗がん剤治療もした。
入退院を繰り返す生活。
そんな中でも僕は保護者からの相談の電話に答えていた。
僕は自分と自分の家族を蔑ろにしすぎていた。
まず、それを大切にしてから相談を受ければ良かったんだ。
無理な時には無理だと伝えて、わかってもらうことだって必要だったんだ。
だけど、気づくのが遅すぎた。
僕はバカヤロウだった。
キミは子供たちを見ながら、僕の入院や手術や治療に付き添った。
多分、余命宣告も受けていたと思うけど、キミは一切、弱気は見せなかった。
僕まで弱気になるといけないと思ったんだろう。
子供たちに不安を与えたくなかったんだろう。
それでも好転しないまま、月日は非情に過ぎていった。
今、僕はチューブに繋がれて酸素マスクや心電図を付けられて病室のベットに横たわっている。
薄らと目を開けると、疲れきってベットの側で、うつ伏してうたた寝をしている、やつれたキミの横顔がぼんやり見えた。
ああ、こんな顔をさせる為に僕はキミと出逢ったわけじゃなかったのに。
誰かの一番大切な存在に、なりたかった。
キミの一番に、なりたかった。
いや、キミの一番になれていたのに。
あんなに深くキミは僕を愛してくれていたのに。
どこで間違えて今、僕はこうしてここにいる?
もう声を出すことも出来ない。
キミを見ていたいのに、目も見えなくなってきた。
愛しいキミ。
愛しい子供たち。
もっともっと、抱きしめておけばよかった。
今となっては遅いけれど。
ああ、もうキミが見えない。
ごめんね、治ったら今度こそ幸せにしたかった。
もっともっとキミを笑顔にしたかった。
キミは泣いてくれるだろうか。
まだ、こんな僕のために泣いてくれるだろうか。
────────────
「奥さんが疲れているから、起こさないようにと、そっと旅立たれたのですよ」
キミが崩れ落ちて泣いていた。
ずっと泣かなかったキミが
身を振り絞るようにして、泣いていた。
そして、キミは静かに立ち上がって、僕の死を告げる電話をする為に、よろめきながら病室を出ていった。
*
これは僕のバカヤロウの物語だ。
愛した、愛してくれた人を守れなかった僕の。
それでも、今も忘れずにいてくれるキミへ。
ありがとう。
キミの一番になりたくて
キミの一番になったのに
キミの一番を手放してしまった
愚かな僕からキミに願うのは
どうかどうか、幸せに。
ただ、それだけ。
(了)
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