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インパクト投資のもやもやを考える(1): 大切なものは、目に見えない

「インパクト投資」という言葉は、2007年アメリカで誕生したとされているので、もう13年が経つ。概念は、言葉より前に生まれているはずので、それ以上になる。ちなみに筆者はそのころ運用会社にいたが、「インパクト投資」という言葉は一般的ではなかったように記憶している。しかしその概念はあった、と思う。

インパクト投資は陽炎のように

それから今に至るまで、世界中で様々な議論が重ねられ、それは今も発展途上である。まだ画一された定義もなく、陽炎(かげろう)のように揺れ動いている。

そもそも、経済のあるところ隅々にお金が流れていて、そのどれがインパクト投資で、ESG投資で、社会的責任投資で、サステナブル投資で、どれでもないのか、くっきりと色分けができるものではない。それを何とか色分けしようとしているのだから、もやもやするのは致し方ない。虹を7本に分けようとしているのと、同じようなようなものかもしれない。

とはいえ、インパクト投資は着実に増えていて、きっとこれからも増えていく。そして方法論も進化していく。だから、それに飲み込まれて本質が見えなくなってしまう前に、改めてインパクト投資とは何なのかを考え直してみたい。

「大切なものは、目に見えない」

インパクト投資には画一した定義はないものの「社会的・環境的インパクトを生むことを意図する」という点においては凡そ共通している。

たとえば、「インパクト投資」という言葉の生みの親とされるロックフェラー財団を中心に創設された Global Impact Investing Network(GIIN)は、このように定義している。

インパクト投資とは、金銭的なリターンと同時に、正の、かつ計測可能な社会的・環境的インパクトを生み出すことを意図して行う投資のこと
Impact investments are investments made with the intention to generate positive, measurable social and environmental impact alongside a financial return.

結果的に同じように正の計測可能なインパクト、たとえばCO2排出が削減されたとして、それが「意図していた」のか「結果的にそうなった」のかによって、インパクト投資になったりならなかったりする、ということになる。

金銭的リターンで勝負する投資であれば、狙いがどうあれ結果がすべて、という側面もあるだろう。それに対して、インパクト投資はその「意図」が大切だという。これは経験的にも、心から同意する。けれど、「意図」は目に見えない。この目に見えないものを分水嶺とするところに、インパクト投資の難解さや曖昧さがあり、同時に本質も隠れているように思う。

不朽の名作『星の王子様』の言葉を思い出す。

心で見なくちゃ、ものごとはよく見えないってことさ。かんじんなことは、目に見えないんだよ。
it is only with the heart that one can see rightly; what is essential is invisible to the eye.

インパクト投資は、投資家の意図や、それが生む社会的・環境的インパクトという、「大切だけれど、目に見えない」ものをどう捉えて判別していくか、という難題への挑戦と言えるかもしれない。

次回は、この「意図」は3つに分けられる、というImpact Management Project の枠組みを見ながら、引き続きもやもやを考えていきたい。

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(文  今尾江美子)



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