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毒親と私 -確信と解放-

子供って、無条件で親のことを信じてしまう。
産まれたときから一緒にいて、親なしでは生きていくことすらままならないから。

親を信じられない子供は、自分の気持ちに蓋をしてしまう。
自分の気持ちを優先すると親に嫌われてしまう。見放されてしまう。暴力を受けてしまう。
たくさんの不都合を突きつけれられてしまうから。

私も毒親と私 -わたしはわたし-毒親と私 -過干渉の根-で書いたように親から認めてもらえないこと、脅迫されたことがありました。
それでも、親を信じていました。

−きっと、いつか私のことを理解してくれるはず。
−きっと、いつか親は変わってくれるはず。

でも、そんな願いも虚しく、親のことを毒親と確信する出来事が起きてしまいました。


確信

妻は北海道の出身。
問題が起きたのは、結婚の報告をしたときだった。

「なんで、地元の女性を選ばなかった」
「相手方は二人姉妹で跡取りがいないそうだな」
「お前も将来は北海道に行くのか」
「顔合わせには行かないからな」

母から耳を塞ぎたくなるような言葉のシャワーを浴びせられた。

当然、私は怒った。

−妻と付き合っていること
−妻の出身地のこと
−将来を見据えていたこと

全部話していたのに、今さら何を言っているの。

親の言葉を何一つ理解できなかったし、理解したくもなかった。

父には私の気持ちをすべて打ち明けた。
...でも、父が母に対して説得してくれるようなことはなかったし
...実際、何も変わらなかった。

−このときまでは、父のことを少しだけ期待していたのかもしれない。
−後々、父のことも信じなくなるんだけど。

結婚って祝福されるものだと思っていたけど...
信じられないくらい否定され続けた。
そのおかげで、ようやく気付くことができた。

私の親は、普通ではない。
毒親だって。


決意

結婚することを伝えた日から、決意したことがある。

-両親は毒親だ
-私の人生は、毒親の都合で振り回されてはいけない
-私やパートナーに危害が及ぶ場合は、毒親と縁を切る。

このことを胸の内にひっそりと誓った。

だから、結婚式が終わるまでは自分の気持ちを押し殺すことにした。
「両家の顔合わせに行かない」と言われれば、旅費をすべて出すから出席してくれ。と頼んだ。
「顔合わせ会場の飯がまずい」「義父の言葉の意味がわからない」など義父母を責める言葉にも何も反論せず口をつぐんだ。

すべては結婚式が終わるまで、と。

その甲斐あって、結婚式はなんとか無事に終えることができた。
毒親へ謙るのはこれで終りだ...


距離

地元に愛着がない。
親元にもいたくない。

だから、転職を機に地元から離れることに抵抗はなかった。
むしろ、毒親と距離を取りたかった。
それ程までに、私の心は憎しみと怒りに支配されていた。

子供が産まれたときも
毒親は「私たちは、孫に関わるつもりはない」
と言ってきた。
「孫のことを見てくれ」なんて一言も頼んでもいないのに(笑)

私と私の大切な人を守るために、これ以上関わってはいけない。

だから、妻の故郷(北海道)へ移住することを決めた。
職場を辞めるなら、毒親から離れられるなら、北海道でも沖縄でも私は良かったのだ。

物理的に距離を取ることで、精神的にも毒親から離れられるような気がしていた。


憤怒

毒親に北海道に移住するかも、と話をした。

−話をしたときには、すでに北海道に移住することは決定していたのだけど
−間違いなく憤慨することが予想できていたから、移住するかもと少し曖昧に話を持っていった

案の定、毒親は怒った。

LINEを通して、私や妻、妻の両親を非難した。
私から見てそれは常軌を逸しており、私たち夫婦の仲を引き裂きかねない恐怖を味わうこととなった。

−どうせ結婚するときから北海道へ行くことは決まっていたのだろう
−地元に残って、実家の近くに家を立て暮らしてくれると思っていたのに
−義父の連絡先を教えろ

身勝手な考えが独り歩きし、被害妄想に取り憑かれているのはすぐに分かった。
LINEを通して自分の考えを伝えたけれど...
当然、聞き入れられることはなかった。

「話し合いの席を設ける」とメッセージが来たが、一方的な意見を言われて終わることは火を見るより明らかだったので、無視することにした。

話し合いが出来ないと考えた毒親は、次の行動に移すのだった...


手紙

2019年12月30日。
新年を迎える前の、ちょっとした高揚感が音を立てて崩れた。

郵便ポストに裁判所から手紙が届いていた。
手紙の内容は、毒親を申立人とする家事調停であった。

「地元に残ってくれると思っていた」
「納得できない」
「育ててきたことを感謝されない」
「学費と自動車免許の取得にかかった費用を400万を即時払え」

これまた、身勝手な言い分が便箋いっぱいに羅列していた。

−自分が親にしてきたことは全て無意味だったのか
−母の日も、父の日も、結婚式での感謝のスピーチも全て無意味だったのか
−感謝されない、そう思われていたのか
−結局、私よりお金が大事なんだね

怒りとともに、どこか悲しみのような感情があった。

家事調停は2020年2月。
手紙を受け取った日から調停までには時間があったため、少しずつ私の心は平静さを取り戻すことができた。


調停

調停は非公開で行われる。
カメラによる撮影も録画も禁止されている。
秘密を守る必要があるそうです。
なので、このnoteでも詳しく書くことはできない。

家事調停の日が近づくにつれて、不安が強くなっていった。
−毒親と顔を合わせなければいけないのか
−話し合いは問題なく終わるのか
−待ち伏せされたり、嫌味を言われたりしないか

そんなネガティブなことが頭の中で堂々巡りしていた。

しかし、家事調停では毒親と顔合わせることはなかった。
調停員が毒親と私から交互に話しを聞き取り、お互いの意思・意見を交換する形式で進行したからだ。

調停員は早々に、この事件(事件と呼ぶらしい)は調停不成立になるから、2回目以降の調停をする意味はない、と判断した。

つまり両者は各々の考えの落とし所、妥協点を見つけられない。
そう結論づけたのだ。

「北海道でも頑張ってください。応援しています。」
調停員のこの言葉が、はじめて私の意思を認めてもらえたような気がして少しだけ嬉しかった。


手紙Ⅱ

家事調停の翌日、また手紙が届いた。
送り主は毒親だった。

家事調停で自分たちの思い通りの結果を得られなかった毒親は、今度は手紙で私を支配しようとしてきた。

「お前たちが幸せになるのは認めない」
「学費を返せ」
「振込先は●●だ」
「私達も生活が苦しいから助けろ」

...どこまで自分勝手な人たちなのだろう。
こんな人たちが人の親だということが信じられない。

この手紙にある通りお金を支払っても、私は全てが解決するとは考えていない。
また理由をつけてお金を無心されるのが関の山だろう。

毒親に苦しめられている子供が、毒親から肉体的にも精神的に解放されるのはそんな簡単な問題ではない。
毒親からの支配から解放されるためには、きっと大きな代償をともなう。

だから、これからも私は傷つき、悩むことになるのだろう。
でも私は諦めない。
毒親からの支配から解放されるため。
その先にある、幸せと自由を手に入れるため。

いつも読んでいただき、本当にありがとうございます。