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毒親と私 -過干渉の根-

前回の記事では褒めてほしいときに褒めてもらえなかった。
認めてもらえなかった。
そんなことを20年近く引きずっている。ということを書きました。


「それだけの理由で、育ての親を毒親呼ばわりするの?」
そう思われるかもしれません。

本格的に両親のことで悩み苦しむようになったのは、高校を卒業してからでした。
それまでは私の行動や発言が原因で口論になったり、脅されたり、金銭を要求されたりすることはなかったから。

両親が私に対して過干渉であることを自覚できたのは、最近のことでした。

過ぎた干渉

親が子供に干渉するのは当たり前。
確かに、未成年の子供に対して親がしてあげられることは沢山あると思う。

問題なのは過干渉。
干渉 と 過干渉 言葉こそ似ていますが、意味は全く異なるんです。

干渉
他人のことに立ち入って、口出しをしたり自分の考えを押しつけようとしたりすること。
『ウィキペディア(Wikipedia)』より引用
過干渉
過干渉は虐待の一種であり「保護者が我が子を一人の主体的な人間として認めず、その子供の意思や思考、自我の発達や自主性などを否定して、操り人形のごとく親の意のままにコントロールしようとすること」である。
『ウィキペディア(Wikipedia)』より引用


過干渉が虐待であることを、いったいどれだけの人が知っているのか。

過干渉をしている親も
過干渉をされている子供も
過干渉について知らない人も
この事実について知らない人が多いはず。

過干渉によって苦しんでいる人が悩みを打ち明けても
「育ての親のことを悪く言ってはいけない」
「育ててもらった恩を忘れちゃいけない」
そう言われてしまいのは、こういった事実を知らないからだと思う。

私自身、過干渉に悩んできましたが、過干渉が虐待の一種であることを知りませんでした。

話を聞かない親。許せない親。

専門学校に入学するのと同じくして、アルバイトをはじめました。
近所にできたUNIQLOのオープニングスタッフとして働いたのです。

学校と自宅。
その狭い世界で生きていた私にとって、たとえアルバイトという立場でも仕事を通して社会を経験することができました。

アルバイトは学校の後。
19時から20時まで接客やレジの仕事。
20時からは22時まで清掃や商品整理をすることが主な仕事内容。

同年代のスタッフと親しくなることもできた。
22時にお店を出た後で、仲間たちと学校のことや恋愛のこと、他愛の話で盛り上がった。

その結果、帰宅時間が24時近くになることもありました。
帰宅時間が遅くなる私に対して親は、毎回激昂し「早く帰ってこい!」と頭ごなしに説教してきました。

当時の私にも言い分がありましたが、それを言うと親はさらに激昂し手がつけられない状況になりました。

「帰りが遅くなって心配なだけでは?」

−それなら、私の話を聞かない理由は何?
−私を許せない理由は何?

怒る理由が。話を聞いてくれない理由が。理解してくれない理由が。
たくさんの分からない理由が常に私の中にあって...
このあとも事あるごとに親と衝突することになったのです。

「死んでやる」という脅迫

私の言い分を聞かない親
親の言うことを聞かない私

どっちもどっち。かもしれません。

でも子供は親に「分かってほしい欲」があると思っていて。
逆上がりや水泳、テストの成績や試験の結果、アルバイトを通して出来るようになったことや初めて出来た彼氏彼女のこと。

今までで出来なかったことが出来るようになったことを親に「分かってほしい」。
そんな欲、子供なら皆あると思ってます。(そんなことないかな?)

親は子供の話を聞いたり、ときには喧嘩をして、子供の成長とアイデンティティの確立を少しずつ認めるもの。

...残念ながら私の親にはそれが出来ませんでした。

ある日、いつものように口論になった末
「もういい。死んでやる!」
そう吐き捨てるように言い放ち、家を飛び出してしまった。

私は焦って探しに行きましたが...
翌日には何食わなく顔で家に戻っていました。

「死んでやる」

たった一言だけど、子供にはトラウマになりかねない言葉。
自分だけの力で生きていくことができない、生活の大部分を親に頼らなきゃいけない子どもは親に謝ることしかできない。
この言葉は、強制的に謝罪させる。そんな言葉なのです。

立場が弱い相手を脅し威嚇している。
脅迫。

私にとって一生忘れない言葉になった。


過干渉の根

過干渉の親がなぜ私の話を聞かないのか。
なぜ私のことを認めてくれないのか。
ずっと、ずっと理解できなかった。

その一つの答えといえるものをスーザン・フォワード著「毒になる親」で見つけることができました。

コントロールしたがる親の多くは自分が必要とされなくなることを恐れているため、子供の心のなかに非力感を植え付け、それが永久に消えないようにと望む。
自分が自分でいることに対していい気持ちでいられる親は、子供をコントロールする必要がない。この章に登場したすべての「毒になる親」に共通している点は、彼らの行動の根源には自分自身の人生に対する根深い「不満」と、自分が見捨てられることへの強い「不安」があるということである。


私に出来ることが増える。
私が社会に出て、新しい出会いを得る。
私に彼女ができる。

それらはきっと自分たちが見捨てられる。
そう考えて、不安に襲われたのでしょう。

自分自身の人生に不満がある。
自分は辛いことに耐えてきた。こんなにお金を費やしてきたのに。

それなのにあなたは、親をおいて自由になってしまう。
そう思い込んでしまう。
悲劇のヒロインのように、被害者意識にとらわれてしまう。

だから、私(子供)のことを認めない。
認めてしまうと、自分のことを余計惨めに感じてしまうから。


何年間も、何十年っも悩んでいたこと。苦しみ。
その答えに巡り会えて、私の中にあった霧が晴れたような感じがしました。


人は変えられない。だから、自分が変わる。

子供だった私は、何度も、何度も自分の気持ちを伝えた。
「分かってほしい欲」があったから。

でも、その言葉が、その想いが伝わることはとうとう無かった。

大人になった今だから分かることがあります。
−人は変えられない。だから、自分が変わる。

当たり前のことだけど、これに気付ける人。
そして、実際に行動に移せる人。
そんな人は本当に少ない。

その理由は、みんな“プライド”が邪魔をしてしまうから。
「自分が悪くないのに、なんで私が変わらなきゃいけないの」
多くの人はそう捉えてしまう。

親は変わらない。
今までも、そしてこれからも。
「分かってほしい。」「変わってほしい。」
この気持ちを抱き続けることの方がかえって辛い。
そのことに気付くことができた。

だから、私が変わる。

変わらないと、私の人生は親に支配(コントロール)されてしまうから。

いつも読んでいただき、本当にありがとうございます。