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「常識」が口癖の人ほど、常識に飽き飽きしてるって話【書く習慣.19】

僕は今、「書く習慣」という書籍をもとに、noteの毎日投稿をしています。

「書く」とか関係なく自分探し大好きな人にはぶっ刺さる内容だと思うので、気になる方はぜひ。
さてさて、今日のテーマは「自分があまり賛同できない常識」です。

出鼻をくじくようですが…。


…僕、そもそも「常識」という言葉が大嫌いです。笑


だから、僕は「常識」が存在するって常識に賛同できません。(ややこしいな。)

そもそも、「常識」ってやたら使いたがる人に限って、常識に飽き飽きしてんなこの人…って思うことが多い。
「こんなめんどくさい言葉、もうなくしてしまいたい。」とすら、思う。

今日はそんな、僕の個人的な「常識」という言葉への価値観を、ダラダラ書き綴れたらなと思います。


まず前提として、「常識」ってなんなんだろう、と考えてみた。
まずみんなの図書館、Wikipediaの見解が、こちら。

社会的に当たり前と思われる行為、その他物事のこと。

Wikipedia

社会的にみて、当たり前の行為や事柄…ふむ。
じゃあ、分かりやすく暴力とか、窃盗とか、「常識」で非道徳的なことに当てはめてみる。

人殺しも暴力も、正義に反するって「常識」だと思う。
でも、戦国時代みたいに、人殺しが大儀だった時代もあるし、現代でも「アンパンチ」がお決まりのアンパンマンは、英雄のまま。これも、「常識」だよな…。

窃盗はいけないことって「常識」だと思う。
スラムで親のいないガリガリにやせ細った子どもが、パンを盗んで食べた。
石川五右衛門は、悪代官の汚い金を盗んで貧しい人に分け与えた。
これって、「常識」的に仕方ないとか、美談になってる…?

時代とか立場とか、いろんな要因で「常識」ってカンタンにひっくり返る…。(笑)
ほんとになんなんだろう、常識って…。

もう、語りつくされた議論だとも思いますが。

少なくとも、人に向けるには、相手の立場や経験への配慮に欠けすぎている言葉であることは、いうまでもないですよね。

うん。やっぱり嫌い。


そもそも

「常識」を人に向けるのって、自分のメンタルがすり減るから、僕は使いたくない。


とはいえ、無意識に使ってて「うわぁ。気持ちわるっ。」って自分にツッコミ入れてたりもするけど。


人間って、言ったことと行動が一致してないとストレスを感じる生き物なんです。(一貫性の法則というらしい。)
だから「常識」を人に向けた瞬間、自分の中で「絶対的に守らなければいけないルール」になってしまう。

立場が変わって常識が「正反対」になったとき、超苦しいんですよね。


旦那に「靴下を脱ぎっぱなしにしないで!常識でしょ!」と言った翌日。
残業が長引いて、倒れるようにベッドに横たわって靴下を脱ぎ捨てた。

うわぁ…。考えただけで罪悪感の塊。メンタル、すり減る。
…………言動と行動、一致してないわぁ。

だから、自分が「正反対の立場」になったときを考えて、行動してみるのです。

靴下の脱ぎっぱなしが気になるから、カゴを置いてその中に入れてもらうようにした。
旦那はあいかわらず、脱ぎっぱなしだけど。
残業が長引いた翌日、カゴに靴下を脱ぎ捨ててそのままベッドに横たわった。

ほら、罪悪感がない。
「常識」は捨てた方が、自分が平和。

もちろん、いつも脱ぎっぱなしにされるとイライラはすると思いますが。(笑)

「常識」を人に向けていた分のストレスは、チャラです。


人の主張とか、価値観だっていつ変わるか分らない。
だからこそ、価値観は「常識」ではなく「個人の主張」までにとどめるべきだと思う。

そして、「逆の立場」への配慮を忘れずに。


「靴下を脱ぎっぱなしにしないで!常識でしょ!」っていうと結局自分にストレスが返ってくる。
それぐらいで「常識」ってメンタルすり減るわって思うんだから。

「常識」が口癖の人って、めちゃくちゃ常識に飽き飽きしてるよね、たぶん。

常識という定義がない世界が、常識になって欲しいという矛盾したお話でした。

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