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レクリエイションの時代

昨日は、AI時代にはどんな「あり方」をするのが幸せかをつづりました。
本日は、その続きです 😊

ちなみに、昨日の記事はこちら ▼▼▼


さて、AIが人間を超えるシンギュラリティまで、あと1年とも2年とも言われます。
それは、いまだかつて人類が経験したことのない現象ですが、その本質は『レクリエイション/再創造』だと、わたしは考えています。
あらためて、世界を創造し直していく営みです。


ルネサンス以降の近代は、人間を神(=クリエイター)とみなす、やや行き過ぎた自信を持って発達しました。
科学に対する信頼は、宗教的な信仰に近い強度だったと言っていいでしょう。
科学的に正しいことは絶対であり、「科学的な知恵を持つ人間は地球上でもっとも賢い存在」だと信じていたわけですが・・・

皮肉なことに、その科学は『AI』という人間以上の知的活動体を生み出しました。

それ故の『レクリエイション/再創造』
シンギュラリティとは、人間の視点を基準にしながらも、それを超える(あるいは拡大する)形で世界をつくり直す営みです。


わたしは、その前身を1970年に登場した『リサイクル/再利用・再循環』だと考えています。
半世紀ほど前ですね。
その年に、ニクソン大統領が米国議会に提出した公害教書への登場が『リサイクル』という言葉の初出です。


実は、人類の大きな節目には『Re』という接頭語が、顔を出します。

Re・・surrection:キリストの復活
Re・・naissance:ルネサンス
Re・・volution :フランス革命

まるで、『ONE PIECE』『Dの称号』のようです 😊


そのたびに、価値観や思考の方向性は大きく転回してきました。
これは、『Re』という接頭語が「再び/あらためて」という意味を持っているからです。
そして、Re・・cycleにRe・・creation。

資源を消費し尽くすドンヅマリを目指すのではなく、一旦そのイメージを利用しつつも、無限にその終わりを後退させていこうというのが『Recycle/リサイクル』であり『Recreation/レクリエイション』です。
そうした観点に立つならば、シンギュラリティーは怖れの対称ではなくなります。


むしろ、辛かったのは、これまでの四半世紀でした。
リサイクルの理想を抱きつつも、近代的な経済活動や思考様式が依然として支配的だったからです。

いまだコンピューターは人間が使う『道具』でしかなく、人間を超える存在になるとは思われていませんでした。
いや、「思いたくない人が多かった」と言った方が正確でしょうか。

しかし、状況は変わりました。
AIの加速度的な進化は、もはや止めようがありません。
要は、それを「楽しめるのか」「怖れるのか」の違いになったのです。


わたしが言いたいのは、「楽しむ方がいいですよ」ということ。
『レクリエイション』には、そのニュアンスも込めています 😍

怖れで動く人は、他の人も怖れで動かそうとします。
「どうなるかわかってるんだろうな」という恫喝です。

一方、楽しみを目指す人は
「こっちは楽しいよ ❣️」と誘います。


早く行きたいなら一人で行け
遠くへ行きたいならみんなで行け

みんなで行くには進め方が大切ですね 😊




最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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世の中に、笑顔のあふれる人を増やしたい、と思っています。



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