PTAのおかしなところをなんとかしたい方への遺言シリーズ <PTA組織の考え方>

PTAを適正化したいっていう人はそれなりにいると思います。
適正化をしたいと思っている人はそれをやる前にPTAの存在意義なり、存在価値なりを考えて、言語化した上で進めてほしいなと思うのですが、今回は組織の考え方を書いてみようと思います。

結論から書いてみると、「組織を逆ピラミッド構造にする」ことを周知するというのが、存在価値とか存在意義を考えるときには有効じゃないかなと考えています。
絵にすると以下のような感じになります。

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どうしても、日本人はピラミッド構造を無意識に考えがちで、会長は偉い人と思ってしまったり、会長が偉いと会長自身が思ってしまったりというのが起きてると思います。そうすると保護者同士で主従の関係が出来てしまったり、他の家庭の状況を無視してずけずけとPTA活動を強いるというのが正義みたいな、おかしなことになっていると考えています。

先のnoteにも書きましたが、PTAの存在意義を考えた時、求められるのは人と人とのつながりではないかと思います。これは保護者同士でもあり、先生と保護者間でもあります。
これは私が考えてみたことなので、読んでいただいた方がこれに合わせる必要など全くなくて参考程度に見てもらえればと思います。

話を進めるにあたり、「人と人とのつながりの場(プラットフォーム)がPTAの存在意義」とい定義としたとします。
プラットフォームになると、会長以下、PTA役員の主な仕事は「プラットフォーム(舞台)上に立つ人(会員)がやりたいことを実現するための準備をすること」になります。
舞台で踊る、歌う、演奏するなど、やりたいことによって準備するものが違ってきます。役員の仕事は舞台で思う存分やりたいことを実現してもらうための裏方作業になります。実務的に言えば学校との調整事(場所取りとか、必要機材の確認と(やったことないことなら)交渉になりますね。
やりたいって言ってくれた人には企画書的なものがあると、学校と交渉しやすいので準備をお願いするとして、もらった材料を持参して学校と交渉するのは役員の仕事(会長か副会長)となるのかなと思います。
書記は半ば広報役だったり、そのお手伝いくらいになり、会計は予算とのにらめっこになると思います。

こういう流れになると、どうなるか。
強制で何かをやるという行為自体がなくなります。
理由は役員が委員に何か命令するとかがないからです。
会員が「やりたい」と手を挙げた時に動くわけなので、何もなければ活動がないということになります。
また、役員側も「なにか仕事をさせないといけない」とか「平等に負担してもらう」という”誰向けにやっているのかわからない”業務がなくなるので、重い仕事はなくなります。
(「学校との交渉が負担」って思った人はそもそも役員に向いていないので、引き受けてはいけないと思います)

こんな風に進めていくと、学校からのお手伝いもやらされるところから自発的に実施する風潮になるのかなと思います。
(学校のお手伝いはそのままやるとかではなく、中身の精査は必須です。学校からのお手伝いごとを整理した話はいずれ書くつもりです)

ずっとピラミッド構造でしか考えていなかった人に、逆ピラミッド構造で考えるというのは、時間かかる話ではありますが、少しずつ浸透させていけばいずれそれが当たり前になると思ってやっています。

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