PTAのおかしなところをなんとかしたい方への遺言シリーズ <PTA会長になったわけ>

普段は一般的なサラリーマンをしていて、PTAのことはもとより、学校のことは全くのノータッチでした。
学校なんて、所詮閉鎖された空間で、世の中のジョーシキとはかけ離れたことがさぞ当たり前のように行われているだけって、自分が子どもの頃から抱いていた印象なので、子どもがいじめにあったとか、変なことをさせられないかが気になる以外は何も考えておりませんでした。

しかし、ある事件があってから気になるようになりました。
それは、幼稚園ではありますが、妻が役員を(順番が回ってきたので)することになったことからでした。
話を聞いている分は「面倒なことがいっぱいあるし、なんとかなんないのかな」から始まったのですが、ある時に「一緒にやっていたお母さんが、仕事投げ出してしまった」ということから、妻の作業量が増えていました。
本人はできる人なので、やってしまうのですが、ある時から「飲まないとやってられない」って、飲めないお酒を飲むようになりました。
って、夫婦そろってお酒は弱いので、普段から冷蔵庫にお酒がある家庭ではなく、安くてアルコール度数が低いチューハイ系を買って飲んでいました。
その時は、ストレス発散が出来てるし、夫婦の会話もできている(私が出張多いけど)ので深刻には捉えていなかったのですが、役員の任期が終わってほっとした5月のGWに事件は起きます。

妻から「私の後頭部を見てほしいんだけど、何かなっている?」
っていう何気ない質問を受けて、髪をめくりあげてみました。

500円玉の2周りくらい大きな円形
が出来ていました。ホルモンバランスが崩れて円形脱毛症になっていました。これを見た瞬間に原因がわかりました。役員の仕事だと・・・
飲まない酒を飲みだすとか、通常ではなかったことがあったので。

そして、子どもたちが全員、小学校に上がるのを機に小学校のPTA活動に参加しなければならないというお鉢が回ってきました。
これまではのらりくらりと、かわしてきたのですが、いよいよ回ってくることに。当時は一人の子どもに委員一回とか、免除制度がありますからね。

そんな中、知り合いが改革派PTA会長として活動していました。
ぼんやりと興味をもっていたのですが、同じサラリーマンでできてるのを見て、
どうせなら、私が会長になってPTAの意味わからんことで家庭環境に影響与えることは止めてやろう
ということで、PTA会長に立候補しました。
会長以外は考えていませんでした。
その原動力は何か。
・今まで何も考えずに仕事できていたのは、妻の支えがあってのこと。ただ、PTA活動によって、その当たり前が崩されるのは、一家の大黒柱としては無視できない
・妻の体調は入院とかではないけど、これが当たり前であるなら泣いてる家庭があってもおかしくない
・人生の中で社会貢献、地域貢献をする機会があっても損はない

が主なものでした。

実際やってみたら、「こんなもん、やるもんじゃないな」っていうくらい、自分が見てきたジョーシキでは考えられないことばかりでした。
それでも2年続けられているので、四面楚歌にはならなかったのはよかったのかもしれません。

ここを見ていただいている方は、これからPTAをなんとかしたいと思うか、これまでやってきた方々が興味を持たれてお越しいただいたなどがあると思います。
想像以上に苦労することがあるんじゃないかと思いますが、「なぜ、なんとかしようと思ったのか。そして、その原動力は何か?」はぜひとも忘れないように進めてもらえたらなと、経験者として思うことであります。

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