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「母親」という呪いと、「共感」という救い

久しぶりに文章を読んで泣いた。

なぜこのnoteに行きついたのか全然覚えてないけど、noteのオススメに入っていたそうだからおそらくそこからだと思う。
やるな、さすがnote。

実際、私の周りには子供を持つ者持たない者以外のもう一つの項――子供を持ちながら、「持たない者」のフィールドで新たな道を模索している人は多くいる。
ーーーーーーーー上記noteより引用

呼んだ????

よんだよね、いま。よんだよんだ。よんだよ~。

この一文に限らず共感することが多すぎて、思わず私の中のオフロスキーが出てきてしまった。
あまりにも出てきすぎて「小林顕作」(オフロスキー役の方のお名前)で検索してしまい、「顕作さん、49歳なの……!?」と驚愕したり、全力少年と一緒にコンドルズ(小林顕作さんが旗揚げメンバーであるダンス集団)を観に行ったのは何年前だ……?と考えて、月日の流れにこれまた驚愕したりなどした。

↓全力少年については以下参照↓

ほんとにあまりにも共感しすぎて、疲れ切った私が無意識に新たなnoteアカウントを作って書いたのかと思ったけど、よく考えたら、いやよく考えなくても、こんなに美しい文章は私には書けないから私ではなかった(当たり前だ)。

そもそも自宅の前に川がなかった。
どこに出しても恥ずかしくないカナヅチの私は、「ここが沈んだら日本全部沈んでるやろ」というくらいの、よく言えば高台、平たく言えば結構な坂の上にあるマンションに住んでいる。
先日5歳娘の習い事のプールを見学して「顔に水がかかってるのに笑ってる!」「あんなに潜ってる!すごい!」といちいちブツブツ言っていた母である。
川のそばには住めない。

いや、そんなことはどうだっていいんですよ。
母親にね、呪いがかかってるんじゃないかって話。

「私たちの周りにはね、たくさんの呪いがあるの。あなたが感じているのもそのひとつ。自分に呪いをかけないで。そんな恐ろしい呪いからは、さっさと逃げてしまいなさい」
ーーードラマ「逃げるは恥だが役に立つ」より

見ました?「逃げ恥」。
放送当時も最近再編集版が放送されたのも、楽しみに見ていた私。

この最終回のゆりちゃん(主人公である新垣結衣演じる森山みくりの叔母、独身キャリア女子、ドラマ版では49歳)のセリフに「おや?」と思い、当時漫画を引っ張り出した記憶がある。

この旨のセリフは漫画版にも確かにあって、すごく印象的なシーンではあるものの、漫画版にはこのシーンの対決の趣旨である「若さ」についてのセリフしかない。

つまり

「私たちの周りにはね、たくさんの呪いがあるの。あなたが感じているのもそのひとつ。」

この部分がないのだ。

「逃げ恥」はラブコメディであるが、物語の中には社会問題を取りあげた内容が多く、高齢独身やシングルマザー、帰国子女、シングルファザーやゲイなどいろいろな立場の人間が登場する。
このシーンでの「私たちの周りには」とは「女性の周りには」のようにも聞こえるが、もっと大きく「この社会には」とも受けとれ、このセリフを入れた脚本の野木亜記子さんのバランス感覚に、勝手に痺れていた。

さて、ゆりちゃんが言った「たくさんの呪い」のうちのひとつが「母親であること」、もっというと「子供ができたら母親らしくあること」という呪いだと思う。


私には、5歳の長女と0歳の次女、二人子供がいる。
育休中だが、かれこれ10年以上出版社に勤めている。
新卒で入った会社を1ヶ月半でやめ、業務委託という雇用形態でバイトに毛が生えた程度の給料で潜り込み、紆余曲折あって正社員になった。


新卒の会社では「若い女」という呪いにかかっていた気がする。

1ヶ月半でやめたのは勤務形態がかなりブラックだったこともあるのだが、入社すぐに役員(妻子あり)に「まずはいろいろ話そう」みたいな感じで食事に誘われた帰り際にキスされたり、教育係の男性社員(妻子あり)にラブホテルに連れ込まれそうになったりし、「えっ怖い無理」となったためだ。

今思えば完全なセクハラでアウトなのだが、大学進学の際「東京より横浜の方がまだ安心かな……」という理由で進学先を決めたくらいの田舎者がやっと四年関東に住んだ程度の小娘だったので「東京ではこれが普通なのか……?私には無理……!」と思いつつも、人事にそのことは言えなかった。

今の会社でもまぁ、上記のような類でないにしても多少のセクハラはあった。
しかし新卒の会社での洗礼を受けたあとだったので、するすると逃げおおせた。

のだが。

「母親」という呪いは強固であった。

一人目の産後、育休から復帰した年、たまたま好きなコンテンツの担当になった。
そしてめちゃくちゃ忙しくなった。
時短で復帰していたが、到底捌き切れないほどの仕事量。
それでもその仕事がしたかった私は旦那に相談して時短勤務を切り上げた。

仕事量はどんどん増え、終電帰りはおろか朝帰りも頻発した。
ひどい時には帰宅した私と保育園に向かう旦那と娘が自宅玄関ですれ違い「ただいま」「いってきます」となることすらあった。
シャワーを浴びて着替えて仮眠して、また会社に行った。
死ぬほどしんどかったけど、一番楽しい仕事だった。

当然、旦那と娘に負担をかけていたと思う。
それでも「keiがやりたい仕事なんでしょ。やりなよ」と、旦那は家事育児が疎かになる私を責めたりはしなかった。
旦那は私に「母親」という呪いをかけない。

しかし私が関わる相手は旦那だけではない。
通りすがりに呪いをかけられたこともあった。

旦那も忙しく、延長保育で19時半に私がお迎えに行った日、そのまま駅ビルのうどん屋さんまで行き娘と二人で夜ご飯を食べた。
チラチラとこちらを何度も見る年配の女性がいることに気が付いてはいたが、私たちが食事している間に先に退店されたのでそこまで気にしていなかった。のだが。

私と娘が店を出た後、どこからか現れてこう言ってきた。

「小さいのにこんなに遅くまでかわいそうねー」

今なら「えっ急になんですか?誰ですか?怖い!おまわりさーん!知らない人が声かけてきますー!」くらい言える図太い神経を持ち合わせているのだが、当時の私は固まることしかできなかった。

「母親なのに遅くまで仕事して、娘にご飯も作っていない」という罪悪感をどこかに持っていた。
無意識に自分自身に「母親なのに」という呪いをかけていたのだ。

そしてそこまで仕事をしても、会社でも「母親」の呪いは発動する。

「女の人は子供できると編集は無理だからね。僕はそう思ってるし、◯◯くんも◯◯くんも◯◯くん(全て編集長)もそう思ってるから。会社の上がどう言ったって、編集部の運営権限は編集長にあるからね」
こう私に言ってきたのは、私の所属部署を含め複数の編集部を統括する上司。

「私、子供いても編集業務やってますけど……?」
「(私)さんはね。普通は無理でしょう。(私)さんも二人いたらさすがに……ね?」
当時私は二人目妊娠中、出血がありながらも自宅勤務を織り交ぜつつ、騙し騙し重たい仕事をこなしていた。
その結果がこれか。

私が望まなくても、「母親」以外の私が、ひとつひとつ剥がされていく。

この発言をした上司の管轄に、編集の仕事をしている子持ち女性は、私以外一人もいない。
そして私が育休をとったあと復職したら、一人もいなくなるだろうな、と思った。


子供はかわいい。
しかし私の全てではない。

子供のためになることはしてあげたい。
しかし私の全てを犠牲にすることはできない。

これを口にすることすら憚られる空気がある。

少し話はそれるけど、私は旦那が大好きだ。

旦那は察したり、自ら寄り添ったりはしてくれない。
というかそういうことが苦手……というかできない、たぶん。
しかしその分、ちゃんと伝えれば一緒に考えてくれるし、応援してくれる。

かわいい子供が二人生まれても、一番好きなのは旦那だ。
「らいおんハート」を気取る気はないけど、娘たちだっていつか一番好きな人ができる。
……いや、別に一生一人で楽しく暮らしてくれても構わないけどね。
長女に「二番目に好きだよ」というと確実に拗ねるので、「パパと長女ちゃんと次女ちゃん、みんな一番好きだよー」というけど、実際一番好きなのは旦那だ。

というようなことをママ友さんに話したら「信じられない」というような顔をされたことがある。

「母親たるもの子供が一番」ということなのか「旦那のことを好きなんて変わってる」なのかわからなかったけど。

いや、旦那のことが好きじゃなかったら二人目とか無理。
無理無理の無理。
一人目の時のつわりとか、出産とか、産後一歳までとかほんとしんどすぎたもん。
思い出し吐き気が数年続くほどつわりはしんどかったし、これ言ったら反発食らうかもしれないけど「早く仕事復帰したい……!」ってめちゃめちゃ思ってたし、復帰後一人でお昼ご飯食べられることが嬉しすぎてちょっと泣いたもん。

って、今思い出しても若干文体が変わる程度にはしんどかった。
「私は母親に向いてない」って何度も思ったし、絶対二人目は無理だと思ってた。

でも旦那が、大好きな旦那が、家事育児もやって私のやりたいことも否定しない旦那が「二人目……」っていうから、次女は生まれてきたのだ。

私の二人目の報を聞いて驚いた友人は少なくなかった。
なんなら私の母もめちゃくちゃ驚いていた。
「keiが二人目産む気になるなんて、(旦那)くんすごいね……!」って言っていた。
私もそう思う。

私は「母親」だけど、最愛の旦那の「妻」であり、「会社員」であり(今は育休中だけど)、親にとっての「娘」であり……いろんな役割がくっついていたとしても、それ以前に「私」だ。

役割の数だけ、カテゴライズの数だけ、男性女性関わらず、「呪い」は存在していると思う。
そんな中でも、この国における「母親」の呪いはかなり強い気がしている。

旦那は私に呪いをかけないし味方でいてくれるけど、この呪いの当事者じゃない。
簡単に自由に外に出られない、と言っても「出ればいいじゃん」と言う。
ありがたい。
けどきっと根っこの部分をわかってはくれてない。

何か、うまく表現できないような大きなものに押しつぶされそうな気分になった時、きっと私は何度も、みくりや佐代子さんの、この激しくも美しい文章を読み返すだろう。
解決策ではなく共感が心を救うこともある。
このnoteを書いてくださったことに心から感謝。


そういえばみくりや佐代子さんのnoteのこの部分

冒頭2行だけのnoteの下書きばかり溜まっていくのは一種のためらい傷のようで先ほど一気に削除した。

私も溜めてしまった下書きを削除することが幾度となくあったのでグッときたのだが、今現在の私の下書きに溜まっているものが

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で、ためらい傷というより、ハロウィンでテンション高くなっちゃって血のりをつけたら取れなくなってそのまま翌日出社したくらいのカオスだったので(ちなみにそんな経験はない)、どうしたもんかなと思っている。

とりあえず、下書きのカオスに一旦ごめんなさいして、このまとまりのないnoteが誰かの心に少しでも寄り添えればいいなぁと思いつつ公開ボタンを押してみます。

いろんな生き方を、否定されない時代が早く来るといいなぁ……。

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