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【母親の新しい孤独について】

沸騰していた。静かに迫りくるおそろしさに肩を上げて怒っていた。
何もかもめちゃくちゃにしてやりたいと思う若さよりも、何があっても冷静でいなければならないと自戒する大人のふがいなさについて怒っていた。



「母親の孤独」と聞いて思い浮かべるものは何だろう。

「ワンオペ育児でつらい」「夫が協力してくれない」「子供が泣きやまない」という類の孤独は想像できるもので(とはいえ実際は想像とはまた全く違う過酷さなのだけど)、私が最近じくじくと疼くように感じている孤独とはまた違う種類だったりする。

結婚という事象の上で、子供を持つ者がマジョリティ・持たない者がマイノリティという時代はとうに古くて、選択の自由が叫ばれるようになってきた。
そのことには大いに賛成なのだけど、子供を持つ者持たない者の白黒の二色だけではないということを最近よく実感する。

実際、私の周りには子供を持つ者持たない者以外のもう一つの項――子供を持ちながら、「持たない者」のフィールドで新たな道を模索している人は多くいる。

子供を持つ選択をすると、暗黙の了解で「何よりも子供を優先するのが正しい」という風潮に潰されそうになることが多くある。

実際に20代のうちは自分のやりたいことを好きにできる環境ではなかったし、仕事と育児で毎日が流れるように過ぎ去っていって「は?もう冬ですか?私の人生ダイジェスト?」と戸惑うこともよくあった。

30代を機に人生について考え、1年前から文章を書く副業を少しずつ始めたけれど、それを伝えた時の現実では気持ちのいい反応ばかりではない。

「別に旦那さんの収入で生活できるんでしょ?」
「できるけど、でもまあやりたいことだったから」
「子供はどうするの?」
「子供が寝てから書いてるよ」
「ふーん……」

こんなやりとりをもう何十回もしてきた。
しまいには「子供は可愛い」という言葉すら信用してもらえない。



母親という生き物が何か新しいことにチャレンジしようものなら身近な人からの風当たりは強く、「母親ならば自分のことは二の次でいるのが正義」と世論の旗を大きく振られてしまう。

一方で同じことをとっくに成し遂げた人は「子供がいることを理由にするな」「本当にやる気があればそんなことを言い訳にしない」と叫ぶから、私の頭はてんてこまい。
全て器用にこなす人がこの世に確かにいるのだという無意味な重圧を自ら背に乗せてしまっていた。



先週、ものすごい雨が降った。
昼間は激しい雨音で仕事のテレカンに支障が出たほどだ。

夜、子供が寝静まったころにベランダから自宅の前の川を見おろした。
そこには普段よりぐんとかさを増した川の水が、昼間と打って変わって音もなくしんとした闇の中を勢いよく進んでいて、あまりに静かに迫ってくる危険がとてつもなくおそろしかった。
おとなしく、けれど確実に平穏を侵食している。


そこで気づいた。

私はこの先どんなにつらいことがあっても、一人でいた頃のように夜中に部屋を飛び出すこともできなければ雨に打たれることもできない。
頭の中のぐちゃぐちゃを振り切るようにあてもなく車を走らせることはできない。

なぜなら母親だから。
夜中に子供を家に残すことはできないから。

それは「辛くても自分の体を乱暴に投げ出せない」という新しい孤独だった。
私はこれからも常に心身ともに健康でいなければならないのだ。でも誰のために?



どこかで気づいていたんだろうか。子供を持ってもそうでない人と同様に扱われたい、という新しいマイノリティが生まれているのを。
それを人は何と呼ぶか?「身勝手」「母親なのに」「好きで産んだんだよね?」「子供に専念してやれよ」「いつまで夢を見ている」……

沸騰しそうだ。怒りによりも哀しみを多く起爆にして。
母親の新しい孤独について怒っているのだ。

母親になっても自分はひとりの女性であり、もっといえばただの少女だとも思っているけれど、そんなことは口にもできないし本当は書くことだってはばかられる。
母親なのに夢を見るだなんて。やりたいことが尽きないなんて。

冒頭2行だけのnoteの下書きばかり溜まっていくのは一種のためらい傷のようで先ほど一気に削除した。

母親になっても一人の女性であることに変わりないままで自己実現を望むことは、強欲なことだろうか。何かをおろそかにしていることと同義だろうか。「母親らしさ試験」の書類選考で落とされてしまうだろうか。私が男性なら?そうすればこんな思いを抱くことはない?

大きくうねる川の中にこの哀しみを沈めてしまえたら。




本当は心温まる日常のエピソードを物語にできたらいいのだけどそうするにはあまりにまだ雨が強い。

だから最近はこんな言いようのない孤独のことを考えている。

外部からの光りを遮るようにカーテンを閉じるけれども、あるべき母親の姿についてはずっと考えていた。これからもきっとそうで、そのたびに思い出すだろう、あの静かに荒れる不穏な川の色。

のりこえることができないものはせめて、考えつづけていくしかないのだよ。それは誰かに分かってもらおうとするよりももっともっと手前のことだと、私はそう思っています。

2020.07.13    ちゃこ


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どうしてそんなに優しいんか分からんのんじゃけど
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ニックネームは「ちゃこ」。銀行員がnote書いてたら書籍が出ました。noteでは母性について書いています。最近「母親らしく」を目指すのやめました。【著書】あの子は「かわいい」をむしゃむしゃ食べる https://www.amazon.co.jp/dp/B086P814HD

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