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あの頃の (元)旦那はきっと 全力で少年だった

二度目の結婚記念日、私は旦那と共に区役所に行き、元旦那と元嫁としてそれぞれの新しいセカイを開いた。

たった二年の結婚生活。
先に断っておくと、離婚理由は不倫とか借金とか暴力とか、そういうある種ドラマチックなことではない。
ちょっと旦那が全力で少年すぎて、私がそれについていけなかっただけ。

結婚離婚の顛末を全て書き出すと相当長くなるので、今回は一番最初に強く離婚を意識した結婚式前夜の喧嘩の話を中心に書き記したい。
それでも長くなってしまいそうだが、もしよければ、私の昔語りを酒の肴にでもしていただけないだろうか。

+++++
結婚式前夜。
「今それ読むの?」という私の問いに
「うん、読む」と彼は言った。
私の座椅子に座り、私のスラムダンクを開いている。
イントネーションは関西人のそれで、「→↓、→↑」みたいな感じ。

++++++

結婚式の日は一度目の結婚記念日だった。

そもそも私は、いや、私たちは結婚式をする気がなかった。
一緒に住むとなった時に、であれば、と、入籍だけしていた。
彼には結婚式に思い入れはなく、私は結婚式をしたくなかった。
幸せとは言い難い子供時代を送った私は、過去に向き合う機会を作りたくなかった。

お互いの同意の上に、結婚式はしない、と結婚の時に決めた。
はずだった

keiちゃんの花嫁姿見れないなんてありえない!
そう言ったのは旦那ではなく、同じ職場の友達、Aだった。

入籍後、「結婚式はいつするの?」と聞いてきた彼女に「結婚式はしないよ」と伝えると、いたく不満げだった。
高めの、よく通る声で彼女はこう続けた。
「結婚式をしないのは、まぁkeiちゃんの意思だから?
でも私がkeiちゃんの花嫁姿を見たいから、ウエディングドレスの試着に行こう!私と!
うん……。
……うん????????

検索魔の彼女は昼休みの間に、試着ができる貸衣装屋や中古ドレス屋を検索し、納得のいったようないっていないような顔の私をよそ目に予約の電話を入れた。
「じゃあ、次の土曜日13時に、〇〇駅の改札前で待ち合わせね!」
うん……。
……うん??????????????

とりあえず、帰宅して旦那に報告した。
ウェディングドレスの試着をしに行くことになったわ。Aと。
「うん……。うん???????
私と同じような反応するよね、そうよね。
「大丈夫、別についてきてほしいとかじゃないから、ごめんね。」
「いやいやいやいや、それは行くやろ。」
あ、行くんだ。
ちょっと嫌な予感がした。

試着当日。
旦那と私と友人A。
謎の組み合わせでドレスショップに赴いた。
あれ着て!これ着て!とテンションの高い二人、半分死んだような目の私
そもそも何かの主役になるとか、着飾るとかも苦手である。
フォトウエディングくらいは、なんて言っていてもできれば避けたかった私である。
まぁ、これで満足してくれるなら……。
ひたすら着せ替え人形になって、時が過ぎるのを待った。
テンションの高かった旦那が、ニコニコしながらちょっと何かを考えるようなそぶりを見せるのを、ちょっと不安に思いながら。

帰路、旦那が言った。

「いや〜keiやん似合うやん、なんかテンション上がったわ!
 やっぱ結婚式しよ!

いやいやいやいやいや。
いやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいや。
私がテンション上がってなかったこと、むしろだだ下がりだったこと、察しよ???
結婚式したくない理由は散々話したやん?
手のひらの返し方が急すぎて見えないレベル。

私は拒否した。3ヶ月は拒否をし続けた。
しかし彼は諦めなかった。
別れたりくっついたりしつつも、5年付き合ってきたからわかる。
彼はやりたいことは基本諦めない

結局拒否するのも面倒になって折れてしまった。
でも本当にやりたくない。
「準備から何から、あなたがしてくれるならいいよ」
「やった〜!!!!!!」
別れたりくっついたりしつつも、5年付き合ってきたからわかる。
彼は絶対満足な準備をしない

結論から言うと、彼はやはり準備をしなかった
結婚式場の見学の予約をしたのは私。
その中から彼がここがいい、というところに決め、その後私は彼を泳がせた。
一般的に結婚式は3ヶ月前から準備が忙しくなる。
しかし彼は動かない。
私は待った。
しかし彼は動かない。
脳細胞が死んでるのかな?

2ヶ月を切った日、私は言った。
「今日から私も準備をするから。一日一個は何か決めるから」

結局8…いや9割近く、私が準備した。
やりたくない結婚式をやるとはいえ、招待客がいる以上、わざわざ私なんかのために休日に着飾ってご祝儀まで持ってきてくれる友人や上司、同僚に楽しんで帰ってもらいたかった。
やる以上、ちゃんとしたかった

せめて、結婚式の挨拶はあなたが決めて、ちゃんとしてね
これだけは何度もお願いしていた。

していたのに。

+++++
結婚式前夜。
「今それ読むの?」という私の問いに
「うん、読む」と彼は言った。
私の座椅子に座り、私のスラムダンクを開いている。
イントネーションは関西人のそれで、「→↓、→↑」みたいな感じ。

……うん。
おやおや?
ただの疑問文だと思われたのかな?

ここには非難の意図が若干含まれていることを、理解してくれなかったようだ。
ここで怒りを爆発させる前に、一度ちゃんと説明してみよう

「やりたくない結婚式をやることになった挙句、ほぼほぼ準備を全部して、『せめて最後の挨拶はちゃんと決めてね』って頼んでたのに、結婚式前夜の時点で何もアウトプットしてないって言われて、『でもだいたい何言うかは決めてるし。俺がなんも準備せぇへんで、keiやんが怒ってた、的な』とか言われて、若干不機嫌になっている嫁がいる前で、今、スラムダンクを、読むの?」

うん、読む

MAJIKA

どんだけ大事な試合中やねん。
海南戦か?

まぁもちろん、私は怒った。
ここ二ヶ月、いや、彼が結婚式をしたいと言い出してからのストレスがMAXに達した。

私は黙って不満を溜め込むタイプではないから、彼が準備をしない間も、ちょこちょこ言語化してやってほしいことを伝えていた。
それでも彼は変わらないし、動かない
私は何かやるのであればちゃんと準備したい
何かトラブルがあった時のために、なんならB案まで出しておきたい。

式前夜の喧嘩の最中、彼がこんなことを言った。
「俺は自分とkeiやんが楽しめればそれでいいし、トラブルも楽しめるから、別に準備とかちゃんとせんでもええやん

おいおい、こいつぁはなんて全力で少年なやつなんだ。
いろんなものに怯えなすぎてびっくりするぜ!

ただごめんね!!!!
あなたが楽しくても!!!!
keiやんは!!!!
周りの人が楽しくないと!!!!
楽しくないです!!!!!!

私の話を理解してくれる気のない彼との喧嘩は平行線をたどった。
号泣しながら「こんな気持ちじゃ明日式になんかいけない!!!!!」なんて言いつつも、招待している人たちがいるのにぶっちぎるなんてできやしない、とにかく真面目と評される山羊座の私は、何も解決していないけどどうにか泣き止んで眠ることにした。
深夜二時を回っていた

一旦泣き止んだものの、セミダブルのベットに入って今までのことを思い返すとまた涙が出てきた。
もう一回、冷静に気持ちを伝えてみよう
そう思って私は口を開いた。

「結婚式の準備からこっち、あなたの態度や行動を見ていると、これからずっと結婚生活を続けて行く自信がない

隣で横になっていた彼は、すでに寝息を立てていた

MAJIKA

早い、早すぎる。
のび太もびっくりの入眠ぶりである。

おそらく彼にとってこの時の喧嘩は
「またkeiやんがなんか怒っとるな〜」
程度のもので、特に重大な局面だと思っていなかったのだろう。
彼を起こしてまたちょっと話をした、ような気もする。
もうこの後のことはあまり覚えていない。

翌日私は結婚式でちゃんと花嫁をしていた
久しぶりの友人も集まってお祝いをしてくれたことは嬉しく、楽しかった。
しかし、やはりどこかに引っ掛かりを持ったまま式、披露宴を過ごしていたため、心苦しくもあった。

披露宴の最中、司会者の暴走で何も用意していない私にも挨拶を求められたが、表向きは「ちゃんとしている人」を装える長女気質の私は、なんかそつなくいいことを言っていたらしい。
ただ、何を言ったのかはあまり覚えていない。
+++++

この結婚式の後、「次はちゃんと準備するから」と一応の仲直りをしたのだが、結局彼は年賀状、新婚旅行と続けて「ちゃんと準備」をしなかった
その度に大きな喧嘩をしては「このままではずっと一緒にいる自信がない」と伝えていた。

新婚旅行準備の時の喧嘩で私に限界が訪れ、一緒に帰っていた京浜東北線から降り、女友達に電話して一晩泊めてもらった
翌日そのまま会社に行った私は、一旦家に帰ったものの、その後ウィークリーマンションを借り二週間離れて過ごすことにした。
もうしんどかった。
しかしその一方で、一緒にいてしんどいと思っているけれども、離れたら「やっぱり好きだな」「一緒にいたいな」と思うのではないか、という期待もあった。

現実は残酷だった。
やばい、ものすごくよく眠れる。
一緒にセミダブルのベッドに入っても眠れない日々が続いていたのが嘘のように。
朝の光を気持ちいいと感じたのはいつぶりだっただろう。
ああ、これはもう無理なんだな、と悟った。

二週間のプチ家出を終えて、私が旦那に告げることはもう決まっていた。
「結婚してたった一年半で大変申し訳ないんだけど、私もう無理みたい。離婚してほしい。」
彼は言った。
なんで急に?
膝から崩れ落ちそうになりながら私は言った。
「今、この場面で、そのセリフが出てくるからかな…」

今まで言葉を尽くして「このままでは婚姻関係を継続するのは難しい」と伝えて、「一緒にいるのがしんどいから一旦家を出たい」と二週間家を出たのに、彼にはなんの危機感もなかったらしい。
本気で寝耳に水だというような顔をする彼は、当然離婚提案を拒否した。

しかしこっちももう本当に限界だった。
眠れないことに加え、引っ越して一年以上経っているのに自宅から駅に向かう道がわからなくて迷ったり、会社の裏口で自宅の鍵を取り出して「あれ、どうやって入るんだっけ……」と5分ほど悩んだり、色々とおかしな行動をとるようになっていた。
スマホの地図を見ながら、自信満々に逆の方向に歩くほど方向音痴の私だが、さすがに1年以上通う道がわからなくなるのは方向音痴とかそういう次元ではない。
今でこそ「何やってたんだか」と笑えるが、結構精神的にキていたのだと思う。

私の中では離婚はもう既に決定事項になっていた。
しかし、彼は断固拒否の構えである。
そりゃそうだ、だってそんなこと微塵も考えていなかったのだから。

とりあえず、もう一度言葉を尽くして「本当に無理」ということを伝えることにした。
幾度となく行われた話し合いの中で、いくつか見えてきたことがある。

一つは、私が伝えてきたことが、本当に何も伝わっていなかったこと。
二人のこれからの生活を考えて、考え方をすり合わせたほうがいいだろうと私が伝えてきた私の考え方やお願いやは全て
「ふ〜ん、keiやんはそう思うんや、俺はそう思わへんけど
で右から左に流されていた。
ムーディー勝山もびっくりのスルー力である。
これを聞いた時の私の徒労感は半端なかった。

そして、結婚に関する考え方が根本的に違ったこと。
私にとって結婚は「スタート」であった。
これから共に生活を始め、今後新しい命を迎えるかもしれない、今までとは違う人生のスタート。
しかし彼にとっては一種のゴールだった。いや、ただの通過点だった。
「好きな人がこれからも一緒にいてくれるって。やったー!!」
ちょっと荒っぽい意訳かもしれないが、どうやらこの程度の認識だったようだ。
「結婚」=「ずっと一緒」と思っていたようで、その状態を持続するために何かしなくてはならない、とは一切思っていなかったらしい。
釣った魚に餌をやらないタイプ……?

ところが、彼は「keiやんのために俺は努力してる!変わってる!」と主張しだした。
ただ、この場合の主張エピソードは一つ、「帰る時間を連絡するようになった」、これのみであった。

学生時代、夜9時ごろに「もうちょい遊んで11時に帰る(正確には彼が私の家に入り浸っていただけなので「行く」なのだが)」と連絡をよこしたっきり朝になっても帰ってこず、メールしても返事もなく、心配して電話をすると「電源が入っていない」のメッセージ、事故にでもあったのかと全く眠れずに待っていたらよく昼前の11時に「ただいま〜」と帰ってきたことがあり、めちゃくちゃ怒ったことがある。
本当に心配したのだが、ただ単に遊んでる間に楽しくなって帰りたくなくなり、連絡するのも面倒で放置している間に充電が切れただけだった。
彼の連絡不精は相当であったが、のべ5年ほど付き合って結婚するまでの間に連絡だけは入れるようになった。

ただ、考えてほしい。
「帰宅時間を連絡する」ということが、そもそもできる男性もこの世にはいっぱいいるのだ。
大半の人が初期アビリティで持っている能力を、恭しく数少ないスロットに装備し、「お前のために一個スロットを使ってやってる」と言いながら、スロットを増やそうともせずにドヤ顔されても、疲れてしまった私には「へぇ」としか言えなかった。

そもそも5年かかってやっと「連絡を入れることができる」ようになったのである。
これから他の要望を受け入れてもらうのに、何年かかるのか
そしてこの「連絡を入れることができるようになった」も、「常に」ではなかった

私が真夏に新型インフルエンザにかかり、寒気と高熱で動くのもままならなくなったことがあった。
しかし、彼は寝込んでいる私を置いて、早朝から遊びに出かけたのだ。
その約束はキャンセルできないのか、本当にしんどい、と何度も伝えたが、彼は普段なら起きないような時間に起きて出かけて行った。
そして帰宅するまで一切の連絡をよこさなかった
私からのメールにも一切返事をしなかった。
強靭なスルー力の持ち主である。

病人を置いて出かけるにしても、飲み物や食べ物を用意しておいてくれるとかそんなこともなく、かくして私は日差し照りつける8月の日中に、スウェットにマスク、メガネの状態でふらふらとポカリスエットを求め自販機を探しさまよい歩く羽目になったのだ。
日焼けしたTシャツ短パンの女子小学生に二度見され、「このスウェットの下にヒートテックも着てるんやで……」と心の中でつぶやいたことは今となってはいい思い出である。

どうにか離婚に了承してもらおうと、一つ一つ、今までのエピソードを噛んで含めるように説明する日々が続いた。
跡が残るほど手首を掴まれ「絶対離婚せぇへんからな」とすごまれたり、「俺も変わるよう努力するから」と訴えてきたり、なかなか色よい返事はもらえなかった。

そんな中、またしても彼が、全力で少年な発言を繰り出した。
新婚旅行は何が何でも行くから!!!!!!!!!!!
うん……。……うん???????????????

離婚を、切り出して、いるのだが……?????

自分の中で離婚を決意し、切り出してから、新婚旅行に行った人はどれくらいいるだろうか。
成田離婚どころの騒ぎではない。
成田に至る前に離婚を決意しているのだ。

まぁ、行ったんですけどね。
成田じゃなくて羽田発でしたけどね。
だって言ったって聞かないんだもん。
離婚するとしても新婚旅行はいく!!!!!」って聞かないんだもん。
「新婚旅行にかかる費用を財産分与として折半して、引っ越し費用に充てたいんだけどな……」と思いつつも、気がすむのなら、と旅行に付き合った。

出発日は2011年3月11日、23:55。
東日本大震災の日である。
地震発生時お互いの会社にいた私たちは、自宅に帰るまでにも紆余曲折あり、私から「あなたと一緒にいると私は死ぬかもしれない」という発言が飛び出すような事態もあったのだが、色々ありつつも翌朝9時に出国した。

行き先はハワイ、ホテルはハレクラニ。
THE 新婚旅行な感じであるが、広いベッドの端と端に寝て、所謂「新婚旅行の夜」的なことは一度もなかった
Wi-Fiがつながるので、会社の人とメールをしたりニュースを見たり、日本がどんな状態なのかと気が気ではなかった。
「心配してもしゃーないやん」という彼と当初の日程をこなしたが、私の心は常にそわそわしていた。
帰りの飛行機で「楽しかった?」と彼に聞くと、満面の笑みで「めちゃめちゃ楽しかった!」と返ってきた。
無邪気。約80万円分の無邪気。
私は離婚への必要経費だと割り切ることにした。
まぁ、楽しかったなら、何よりです……。

この時「あなたと一緒にいると私は死ぬかもしれない」となったことは、ある程度彼にとって転機となったようで、少しずつではあるが離婚への理解を示すようになってくれた。
新婚旅行に行って気が済んだのかもしれない。
もしくは、彼の中では最初から心の整理をするための旅行という位置づけだったのかもしれない。

離婚を切り出してから約半年後、結婚してから2年後、私たちは離婚した

……のだが。
その後も彼は私に「ご飯に行こう」と連絡をしてきた

自分から離婚を切り出しておいてなんだが、私は彼が好きだった。
おそらく、離婚してもしばらくは。
趣味も食べ物の好みも音楽の好みも、笑いのツボも合い、話のテンポも同じくらいで、一緒にいて楽しかった。
張ると低く響く声も、タイで現地人に間違われそうな顔も、そこまで高くない身長も好きだった。
好きだったからしんどかった。
彼の側に「私」がいても、彼の中に「私」がいなくて、「keiやんが側にいて俺が楽しい」に終始し、「私が楽しい」を考えてくれないことが辛かった。

自分が楽しいことが一番という全力で少年な彼にとって、常識や周りを気にする私は、本来ぶっ飛ばすべきさえぎるもので、かわすべきまとわりつくべきものだったのかもしれない。
それでもなんだか好きになってしまって、一緒にいたくなってしまって、その結果しんどくなってしまった。
恋とはままならないものだ。

離婚して「友人」としてご飯を食べる分には楽しかったので、スケジュールが合えば食事の誘いは断らなかった。
しばらく仕事が忙しく、なかなかタイミングが合わず、久しぶりの食事になったある日、彼は復縁を提案してきた。

MAJIKA

相変わらず無邪気に話すなぁ、と変わってない彼を見つめつつ、その選択肢は私の中には1ミリもなかったので丁重にお断りした。
もう一度しんどい思いをする覚悟ができるほど、私は強くなかった。

その後も彼は私を食事に誘った。
友人としてなら、と、その後も何度か食事に行ったし、他愛もないことや今気になっている女性の話をLINEで聞いたりもした。
私が再婚しても、子供を産んでも、彼は連絡してきた。
友人に戻れたんだろうな、と思っていた。

ある日珍しく、私から連絡をした。
彼の仕事関連のニュースを見て、何の気無しに。
全然気にしていなかったが、それまでは二週間から一ヶ月に一度ペースで彼から来ていた連絡が3ヶ月ほど来ていなかった。

しばらくやり取りをした後、「おそらく近々婚約すんねん」と彼が言い出した。
おお、そりゃめでたい。
「彼女が結構女友達とか厳しめの人で、連絡こっちからは取れなくなると思う。ごめんな?

うん。…………うん????????????

いや、全然いいんだけど、今までこっちからそんな連絡求めたこともなかったと思うんだけど、なんだこの告白してないのに振られた感は。
相変わらず無邪気だなおい。

「私は全然いいんだけど、そんなタイプで大丈夫なん?あなた自由を愛する民やん?」
「自由人やけど、誰かを困らせてまで自由するつもりないよ。今までもこれからも

…………うん???????????

インフルの時とかその他もろもろ、あなたの自由に困ってたから離婚になったのでは?????????

「それは若さゆえやな苦笑」

何わろとんねん。

どうやら私と結婚していた時の彼は、自他共に認める全力少年だったようだ。


最後に連絡を取ったのはもう数年前のこと。
共通の友人を通じて、彼の結婚とご子息の誕生を知った。
いいパパをしているらしい、何よりである。

きっともう、彼と私の人生が交差することは二度とないだろう。
願わくは、この先もずっと、彼の視界が澄み切ったものであらんことを。
たとえ今現在の彼が少年でなくなっていたとしても、私の中の彼はいつまでも、全力で少年なのだ。

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