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落ち込んだときに見返すnote

Mar. 21

今日はWorld Down Syndrome Day! 左右異なる靴下を履くことで、色は違えど靴下であることに変わりがないように、みんな違うけれど同じ人間であり、平等に権利をもっていることを示します。

あえて靴下が明らかに見えるような服を選んで、堂々と歩き、堂々と電車とバスにのって通学しました。裸の王様みたいな気持ちでした。スウェーデンでは最近このことへの認知が高まってきたと聞きましたが、分かりやすく左右異なる靴下を履いている人はあまり見つけられませんでした。

でも学校へ着くと、先生たちも色とりどりの靴下を履いていました。赤と黄色はやりすぎかな、と思ったけれど、この色を履いてきてよかったなと思いました。みんな、お互いに靴下の色を見せ合っていました。

今日は、以前から言っていたように、高学年の子たちのクラスを見せてもらえることになっていました。ジェニーという先生が案内してくれて、4~6年生に対するスウェーデン語の授業に、1時間程度ずつ交ぜてもらいました。

3年生からは別の校舎になり、私はこの校舎になじみがなかったので、すごく新鮮でした。みんな私をじろじろ見ていて、知っている子は元気に挨拶してくれました。

高学年の子たちは朝の授業までケータイを使っていて、時間になるとみんな金庫のなかにしまっていました。私が初めて自分のスマホをもったのは中学校を卒業してからなので、小学生の彼らが当たり前に自分のぶんを持っていることに少し驚きました。

最初は6年生のクラスに行きました。彼らはもうすでに英語を習得している人たちがほとんどで、ジェニーが私の自己紹介を通訳する必要はなさそうでした。

スウェーデン語の授業では、スウェーデンにおけるマイナー言語についてのプリントを各自が読解していきました。6年生の子たちは自分でサクサク進めていくので、私が特に手伝うことはありませんでした。じっと見ているのも暇だったので、私も同じプリントをもらって勉強することにしました。

日本人にとってのアイヌ語のような存在の言語が、スウェーデンにはたくさんあるみたいで、とても勉強になりました。昨日知ったサーミ族が用いるサーミ語もNational Minority Languageとして認められているようでした。

勉強している後ろ姿をみて、なんだかとても小学6年生にはみえませんでした。日本の小学生より身長も高く、大人っぽくて、自分の意見をはっきりと言える彼らは実年齢より大きくみえました。

スウェーデン語の授業を終えると、次は算数の授業でした。このときは、スウェーデン語の際と違って何人かで集まってプリントを解いていました。

6年生のクラスには、バランスボールがありました。解いているプリントをみると、数の位に関するもので、そんなに難しいプリントには思えませんでした。日本の6年生が何を勉強しているか定かではないけれど、感覚的に、取り組んでいたプリントは小学4年生くらいの内容にみえました。

以前日本人補習学校で先生と話したとき、日本の数学教育は進んでいると聞いたことがあり、またPISA2015の学力調査においても、日本の学生はスウェーデンの学生より高得点をとっています。お隣のフィンランドに比べ、スウェーデンでは最近子どもの学力低下が著しく課題となっていると聞いていましたが、そういえなくもない節はたくさんあるように感じました。

数学を終えて廊下に出ると、壁にはいろいろな掲示物がありました。そこには、私の通う学校のバッセム校長とルーラが表彰されている写真がありました。詳しい表彰内容はわからなかったけれど、先生として表彰されているもののようでした。

こうして教育界に表彰というかたちで、働く先生たちへのインセンティブ、モチベーションにつながるものが存在することはとても良いように感じました。今度ルーラに聞いてみよう。

いつもは外で低学年の子たちと遊ぶ時間、今日は高学年の女の子たちと話しました。低学年の子は英語が話せる子のほうが珍しいけれど、高学年の子たちはみんな英語が話せます。若い女の子の会話に混ぜてもらっている気分で、自分も年取ったなあ、とか思ったり。(笑)

話した子のうち、生粋のスウェーデン人の子はたったの2人。みんな、どこか違う国にルーツをもっていました。クラスにはヒジャブをかぶる子が2人いるけれど、特に目立つこともなく、自然に溶け込んでいます。いや、こういう見方がそもそもおかしいのか。

高学年の子たちは低学年の子たちとは違う場所で遊ぶことができます。こんな場所があるなんて知りませんでした!この日は少し天気も良くなくて、6年生の子たちも外にいるよりは中でおしゃべりをしていたい、というような感じでした。日本のことをたくさん聞いてくれたのがすごく嬉しかったです。

休み時間が終わると、今度は4年生のスウェーデン語の授業を見に行きました。子の授業では、本をみんなで一緒に読んでいました。低学年の子たちがもっている教科書よりも分厚く、文字も細かいものを読んでいました。

また、授業の合間にこうした手遊びをはさんでいました。こうした遊びを通して子どもたちは気分転換をすることができ、集中力を持続することができます。この遊びは、先生が数字の5を言った瞬間に右手を握り、左手を隣の人に握られないよう挙げるという遊びでした。

4(Fyra)と5(fem)が似ているところがミソみたいです。そういえば、私も少しずつスウェーデン語を覚え始めて、数字は20まで言えるようになりました。私がスウェーデン語を話すと、子どもたちも先生たちもすごく喜んでくれます。

窓際には、ペットボトルに入った植物があって、自分たちで育てていると言っていました。なぜペットボトルに入れているのかを聞くと、成長していることが分かりやすいから、と言っていました。ちゃんとは理解できなかったけど。。

低学年の子たちの校舎は扇形になっていて、高学年の子たちの校舎からはよくそれが見えます。4年生のクラスで自己紹介をしたとき、日本の学校の建物はどんな感じなのか聞いてくれた男の子がいました。建物、と言われると難しかったけれど、この小学校は2階までしかないので、日本の学校では4階まであることを伝えました。

エレベーターもないため、自分の教室まで自分の足で登らないといけないことを伝えると、みんなびっくりしていました。それを聞いて、それだけ毎日登っていたら、わざわざ授業の合間に体を動かす必要はなさそうだね、と言っていた子がいました。たしかに、スウェーデンの子たちよりは足腰鍛えられているかもしれない。

食事の時間は、3年生以上の子たちがみんな食堂に集まっていたので、とても混雑していました。こんなに人でいっぱいになっている食堂は初めてみました。

今日のお昼はパンケーキで、1人3枚までと決まっているようでした。また、パンケーキを食べるにはスープを食べないといけない、というルールもあるみたいでした。なのでパンケーキだけを食べる、という不健康な食事になることはないみたいです。

野菜を食べることも義務化できたらいいのでは、と思いましたが、それを伝えることに気が引けている自分がどこかいました。これまで低学年の子たちの食育に向き合ってきて、どんなに子どもたちに野菜を食べる大切さ、美味しさを伝えても、嫌いなものをわざわざ食べる子はそんなにいませんでした。ちょっとした諦めみたいなものが自分のなかにあると気付きました。

また、義務化して強制的に食べるのではなく、できるなら私は子どもたちが自分から野菜をとるようになってほしい、というのもあります。子どもたちの「意識」を変えなければ持続しないと思ったからです。でもそれは本当に難しいことだとも痛感しています。

お昼の休憩をとるために低学年の子たちの校舎に戻ると、8歳児の子たちに会うことができて、みんな元気そうでした。みんな左右違う靴下を履いていて、それを見せてくれました。

今日は木曜日ということで、みんな大好きFikaの時間です。今日はチョコレートケーキでした!ココナッツもまぶされていて、美味しかったです。

休憩を終えてジェニーのところへ戻り、今度は5年生のクラスを観に行きました。5年生は、この日記風の本を読み、それにならって自分たちのことを執筆することに取り組んでいました。

トピックは、自分の学校についてで、みんな質問の下にかかれたヒントを参考にしながらスウェーデン語の文章をかいていました。

個人差はあったけれど、みんなスラスラをかいていてびっくりしました。私にはさっぱりわかりません。

授業が終わった後、5年生の子たちは私がどうしてスウェーデンを選んだのかを聞いてくれました。子どもたちの質問は鋭くて、本当に感心します。私は小さいころから「なぜ?」に向き合うことを避けてきました。避けてきた、というよりその必要性を自分のなかであまり感じていませんでした。

でも大学生になり、これまでのようにひかれたレールをいかにうまく走るか考えるだけでは何も始まらない環境におかれてはじめて、その重要性を知りました。それと同時に、その問いにとても苦しみました。今も自分はまだまだその力が弱いと思っています。でもスウェーデンの子たちは当たり前のようにそうした意義を問うことを大切にしています。

また、3学年の授業を終えて、ジェニーに学年ごとに指導用法をどう変えているのかを聞いてみました。ジェニーは、学年があがるほど自律性が高く、個人作業のほうが効率よく学びを促進できる場合が多いため、子どもたちが時間のなかで最大限学びを得られるようにしていると言っていました。

ジェニーは見たところ40歳は越えていそうだけど、この授業を終えると講義を受けるために別の場所に行くと言っていました。何歳になっても学び続ける姿勢が素敵だなと思いました。

そのあとは、6年生たちの技術/工作の時間を見せてもらうことにしました。小学校にこんな場所があるとは!私の通っていた小学校にこんな場所はなく、技術の時間も中学生からだったと記憶しています。

この部屋は本当に充実していて、子どもたちが自分のつくりたい作品をつくるのに充分なものがそろっていました。先生は男の先生で、初対面の私にもすごく丁寧に部品を紹介してくれたり、作品を作る際に手伝ってくれたりしました。

でも、のこぎりなど子どもたちが使っていたものは本当に危険なものが多く、先生もそこまで気を配って監視しているわけではなかったので、私は少し不安になりました。先生によると、こうした道具をつかう前には、この道具の使い方をしっかりと教えているんだと話していました。

私も、時間が短くあまりたいそうなものはできなかったけど、記念となる作品とつくることができました。本当に楽しかったです。でも、私はここへインターン生として来たのに、生徒と同じように作品作りを楽しんでいいのかなと思うとすごく複雑な気持ちにもなりました。

先生は私が工作を楽しんでいる様子に満足してくれていたみたいだけど、、。最近は、私がこの学校に貢献できたこと、私が来たことで起こった変化を思って、悩むことが多いです。

もちろん、私が来たことで変わったこと、私がいたからあった出来事など、ゼロではないと思います。でもそれって自己満足だったのかなあ、とか。子どもたちも楽しそうで、先生たちも私を快く迎え入れてくれて。この学校に溶け込めば溶け込むほど、私が来ている意味が薄れているような気もしています。

高学年の子たちは工作の時間を終えると自分のケータイを金庫から取り出してそれぞれ帰っていきました。Fritidsというのは、低学年の子たちだけみたいです。

低学年の校舎に戻ると、エミとそのお兄ちゃんがいました。私はこの日初めて知ったのですが、エミたちの両親は耳が聞こえないそうです。なので1週間に一度手話の勉強をこの学校でしているそうです。2人は手話を少し見せてくれました。

そういえば、エミは英語がそんなにしゃべれないけど、よく私にジェスチャーで意思表示をしてくれていたことを思い出しました。なんだかすごく胸がきゅっとくるような思いがしたけれど、同情するのも違うかなと思って、単純に、手話ができる彼らをすごいなと思いました。

言語でコミュニケーションをとるのは人間だけであって、動物もそうだし、もしかすると他の惑星では足の指で会話をしている生命体がいるかもしれません。自分の当たり前をいろいろなものに還元するのは危険だなと改めて思いました。

なんてったって、今日は、違っていても同じだということを祝う日です。左右異なる靴下を履くのは、染色体のかたちが左右の靴下を合わせたかたちに似ているからだそうです。来年も、3月21日は左右異なる靴下を履こうと決めました。

また、私が高学年のクラスにいっているあいだ、子どもたちと先生はこんなふうに写真を撮っていたみたいです。これを見たとき、正直少しさみしかったな。私も一緒にうつりたかったです。(笑)

また、この学校では、Instagramにこうした子どもたちの様子が分かる写真を投稿し、保護者がチェックすることができるようにしているみたいです。私もフォローさせてもらったので、日本に帰っても子どもたちの様子をみることができます。いや、まだ帰りたくないけど。。(泣)

***

(ここからは少し長いです)

実はこの日家に帰ってからは、いろいろ考えてしまって、少し落ち込んでいました。落ち込むのが嫌で、しばらく寝て忘れようと思ったものの、気分は晴れなくて、モヤモヤしていました。

そのとき、初めて、明日は学校に行きたくないな、と思ってしまいました。偽りの欠席理由を並べて、1人でいろいろ考える時間がほしかった。いや、これも偽りで、たぶんまた学校へ行って、何もできない嫌な自分を見るのがこわかったんだと思います。

何もできない自分を見るのがこわい、これまでにも似たような感情をもったことがあるけれど、誰のためにこわがるのかを考えてみました。もちろん、自分の体裁をくずしたくない、プライドと承認欲求に依存した自分のためだと思います。

でもnoteを見返すと、こんなことがかいてありました。

もっと殻をやぶりたい。がむしゃらになりたいです。
よい意味でも悪い意味でも人の目を気にする性格は、自分自身、ちょっともったいないと感じています。
 
きっと6週間も海外にいると何か変化はあるんだろうけれど、自分の意志で変わりたいと思います。

もうこっちにきて5週間がたとうとしているけれど、私はまだまだ自分のことを誰かのものさしで測っています。全然、変わってないなと思いました。

何もできない自分をみたくないのは、6週間もつかってスウェーデンにわざわざ来ているのに、結局何しに行ったの?と誰かに言われるのが恥ずかしいから。誰かじゃなくて、自分がどう思うかが1番大事なのに、その自分でさえ今の状態を認めることができていないのはなんかダサいなと思いました。私のものさしで測ったときに、せめて自分が納得できる6週間にしたいです。

焦らず、でも自分らしく、少しずつ進んでいけたらなと思います。

別にこんなときに自分の背中を押すためにかいた文章ではないけれど、当初の自分に少し励まされました。

お母さんに電話するとたまたま出てくれて、妹の高校入学準備のために支度をしていたようでした。お母さんも妹も、次に向かってワクワクしながら進んでいるようでした。本当は少し慰めてもらいたかったけれど(笑)、逆にそうやって元気にしてる2人のことを聞いて、こうやってモヤモヤと立ち止まっていてもしょうがないな、と思い直すことができました。

それからまた少しだけ寝て、お風呂に入って、やっぱり学校に行かなきゃ、とさっぱり気持ちを切り替えました。そういえば、金曜日はピザが出るから子どもたちも楽しみにしてるんだった、ということを思い出すとますます行かない理由はなくなりました。

もしまたこの先落ち込んだときがあったとき、またこのnoteを見返すことにします。残りの研修時間は、このとき踏ん張れたんだから絶対大丈夫って言えるような時間にしたいです。

絶対大丈夫。

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