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リストラーズから つたわるもの

Webサイトの紹介では、
「とてもいい曲。でも、なんだか卒業式のような雰囲気になってしまう
ため、歌う機会が少ない、勿体ない曲」と説明されている。

筆者の大好きな一曲。取り上げるのは 2回目かもしれない。
アカペラ編曲は澤田さんで リードは 野村さん。
曲も歌も語りたくなることは たくさんある。

さらに ファンにとって エモーショナルな画像が盛り込まれ 思わず うるると
なってしまうから 定期的に聴きにいかれるかたも多いのではないだろうか。
 
きっと 聴くひとの胸に さまざまな思いを呼び寄せる曲なのだと思う。

 
今日は、この曲そのものの話ではなく もし この曲を手話で表現できるひとがいたなら もっと深く味わえるかもしれないと感じた 思い出を話そうと
思う。

いきなりの質問になるが 耳に障がいのあるかたとカラオケに行った経験は
あるだろうか。

以前のことだが 手話に興味を持つ機会があった。
その頃の体験のひとつで 聴覚障がいのあるかた達から カラオケに誘われた。
 
え?と思われるかたもいらっしゃるかもしれない。
聞こえる人からすると 聞こえるからこそ 歌も音楽も楽しめるものだと思いこんでいる。
 
筆者も 最初 「いったい どうやって楽しむの?」と想像ができなかった。
けっこうな人数が集まる席で その中のひとりとして参加したのだが、聞こえる人も聞こえない人もまじっていて 人数としては半分半分くらいだった。
 
聞こえないという状態には 人によって差があり 小学生ころまでは聞こえていたかたや、生まれてすぐ聞こえなくなったかた、また 難聴者と言われる クッキリは聞こえないが 音は聞こえるかたなど その聞こえかたや 聞き取りにくい度合いはバラバラのようだ。
 
が、基本 手話で話す練習を兼ねた目的で集まったグループに まぎれこんだ
ため 会話は ほぼ手話になる。

日常とは全く逆で 相手が何を言っているのか さっぱり分からない。
見知らぬ外国へ突然 放りこまれたように 世界が完全にひっくりかえった
気持ちになった。
 
目の見えないかたばかりの集まりや 車イスのかたばかりの集まりに入っても 当たり前が逆になったかのように 似た感じを持つのかもしれない。
 
カラオケ店に入ると やがて 曲が選択され 聞こえるひとたちが歌い始める。
少し聞こえるひとたちは そこに合わせて歌う場合もある。
だが 基本的に 手話がメインという集まりだからか 歌詞を手話で表現して
歌われるかたが圧倒的に多い。
 
そのなかでも 手話が使えて聞こえるかたの表現と、普段から手話を自分の
言語としていらっしゃる聞こえないかたとでは まったく表現方法が違うことに気付いた。
 
聞こえるひとたちは 歌詞の言葉をそのまま手話の言葉に置き換えていくように見える。「会話」とか「話法」とか漢字にしたくなる手話のようだ。

聞こえないひと達の手話は もっと柔らかいというか 流れるように滑らかで リズム感があり「おしゃべり」という平仮名が合う。意味が分からなくても
「おしゃべり」のほうが見ていて好きだった。

見た印象の話なので 手話の専門家や手話で話すかたからすると ツッコミ
たくなるかもしれないので 先にお詫びしておきたい。
もし失礼なことを言ってしまっていたら ごめんなさい。
改めますので コメント欄にて ご指摘くださるとありがたく思います。

閑話休題。
聞こえるひと達の手話は 文法も日本語寄りに組み立ててあるのか 何曲かを
見ていると ぼんやりだが意味が分かる気がした。 
歌詞があるおかげもあって 立体的な対訳を見ているように感じた。
なるほど この言葉は こういう形になるのかと ノートにでも書き移しておきたくなる表現だった。
 
が、驚いたのは日頃から手話のみで話される聞こえないかたたちの歌の表現である。

選択された歌は ヒット曲が多く また手話のことも考えてなのか アップテンポすぎるものは選ばれない。
そのため バラードや 時に演歌も入ってくるのだが 手話で歌われる様子は
まるで ひとり芝居を至近距離で見ているような表現なのだ。

掛かった曲は 昭和のレジェンド 美空ひばりさんの 「悲しい酒」。
筆者は あまり演歌は聞かないのだが この曲は知っていた。

※ 映画同好会様のチャンネルからお借りしてきました

悲しい酒 美空ひばり - YouTube

胸に迫る歌。
さすがは 美空ひばりさんの一曲、昭和最高峰の歌姫と称されても なお 余りある。当時 親友を亡くし 続いて恩師と仰いでいらした作曲家の古賀政男さんが他界された すぐあとに撮られたようで 何十年ぶりに発掘された映像らしい。

涙を流すほど感極まっていても 音程に狂いがなく 感情を乗せているのに
崩れない。ふつう 歌手が先に泣いてしまうと 聴衆は なぜか泣けなくなる
ものだが ひばりさん本人ではなく 歌の主人公の心だけが聴衆に響いているのが見ていて分かる。
本当に 凄いかただったのだなと改めて思う。
 
さて カラオケ店に話をもどそう。

その曲がかかった時 上で紹介した動画のものより もう少しテンポは速かったと思う。

筆者の目をくぎ付けにしたのは男性で みんなから少し離れた席にいらした。
20代半ば か 後半かと思われる聞こえないかたで 手話と表情と上半身で 声のない歌を歌われる。
 
そのかたが表現された一曲は筆者に再現できるわけはないが いまも鮮明に
記憶にある。
スピーカーに直接 身体の一部で触れてらっしゃるのは たぶん振動を感じ
取るためだろう。
 
 
すでに前奏から 物語の主人公の女性になって さびれた酒場の椅子にひとり腰掛け、どことなく けだるそうに 卓に片ひじで もたれかかるさま。
使い込まれた卓の天板がささくれ立っている様子まで なぜか見える。

表情をみれば 今日は誰にも話しかけられたくなくて ひとりでいることを
望んでいるのに、決して来てくれることのない誰かを待つ時間と分かる。

今 ひとりきりだ。
これからも ずっと独りになってしまう。
仕方ない 分かっている でも
でも やっぱり やり切れない ああ 逢いたい。 

冷めたグラスのなかにだけ そのひとの面影が映し出されるのか ぼんやり
眺めたあと 思い切ったように すいっと グラスをあおる。

視線が変わって その女性の様子を 仕事の手を止めずに目の端でとらえ、
ぶっきらぼうな優しさで 見守る酒場の主の姿も見えるようだった。

 
カラオケ店に居ることすら忘れるほど せつせつと声のない歌が歌われ、一巻(ひとまき)の絵巻物を見たような気分になっていた。
 
何とか伝わるようにと願って いま書いているのだが 呼吸をするのも忘れそうな 美しい数分間は どんな言葉にしても表現が足りない。

 
思いがつたわる歌。
声を聴かなくても ひびく歌。
深くイメージできて 初めて 心に届く歌。
そういう歌を初めて「見た」日だった。
 
筆者がこのテーマを書こうと思ったのは ずいぶん前だ。
だが なかなか書けなかった。
 
歌を ひとに届けるとは何なのか。
ひとを揺さぶるとは どういうことなのか。
手に取ることは出来ないが こころは伝わる。
心は 物理的なものではない。
本来 もっと もっと 精妙なもの。
汚れてしまったときは すぐに自分で気づかされるほど透きとおったもの。
透明すぎるから ひとに見えないものなのだと思う。

野村さんの歌う「青春の影」を聴いて 思い出を残しておきたくなった。
 
もう見ることのない あの数分間を 野村さんが思い起こさせてくださった。
とどかなくても 伝えておきたい。
 
野村さん、ありがとうございました。


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        ※画像は 勿忘草(わすれなぐさ)を閉じ込めた指輪のある手 
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