だから僕は音楽を辞める

 某楽曲タイトルのオマージュである。今更言うまでもない。

 突然だが、音楽からほぼ完全に身を引こうという気になった。

 ところで、僕のことをあまり知らない各位のために、僕がたどった音楽遍歴を記さねばなるまい。

 父親が輸入音楽雑誌を販売する自営業で趣味がギター、母親が元幼稚園教諭でピアノの心得があり、さらに従兄二人がピアノとバイオリンをやっている影響で、僕自身も中学生のころにドラムを始めることになった。実は楽器のキャリアのスタート自体はベースなのだけれど、そちらはメインではない。その後、一時は教室に通ったりバンドを組んだりしながら細々と続けてきてブランクを除けばそのキャリアは5年ほどになる。

 音楽を辞めるにあたって、その要因は複数あるのだが、根幹の部分にはまだ触れないでおこう。

 まず一つは、慢性化していた怪我の悪化である。楽器を演奏していて身体を傷めることは珍しくはないが、ことドラムというのは特にフィジカル的な影響が大きい楽器である。僕自身は楽器とは別に膝に古傷があり(遊びで野球をやっていた際に負ったもの)、また手首の腱鞘炎にも悩まされてきた。ケアでカバーできる範囲にもやはり限界があり、それを繰り返しているうちに身体がついていかなくなってきたのだ。

    ……というのは半分口実で、実際には最後に演奏した機会、具体的には大学の卒業生を送り出すための追いコンにあたるライブで、自分の稚拙な演奏で彼らの顔に泥を塗ってしまったからである。ドラムを叩いてきた中で怪我をしたことが幾度かあるのは一応事実だが、「こんなパフォーマンスしかできずしてどこに誰かと音楽をやる資格があるか」と自分に絶望した僕はこの時、演奏後に周囲に「腱鞘炎が悪化した」というありもしない嘘を吐いてその場を後にし、その流れのまま次回のライブ出演も辞退、最終的には演奏活動そのものからドロップアウトすることを図ったのである。

 加えて、そもそもの記憶力が芳しくなく、かつては4曲完成させるのに3ヶ月ほどというかなりの準備期間を経てライブに臨んでいたところ、ここ最近はその半分近いペースで同じ(ともすればそれを上回る)曲数の完成を求められるようになり、日々こなすべきタスクが増え行く中ではもはや音楽活動にリソースを割く余裕がなくなってきてしまった。

 さて、本題に入ろう。僕が音楽を辞めようと思い至ったその最も大きなトリガーについて話すことにする。

 そのパフォーマンスが趣味でも職業でも、好きだから何かを──例えば演劇や音楽をやる、そしてステージに立ち、賞賛を受けることで承認を得る、という流れはごく一般的なものであろう。さらに承認を受けたことによってより一層好きになっていくまでがむしろデフォルトともいえる。

 しかしながら、このスタートとゴールがひっくり返ってしまっていたとすればどうなるだろうか?

 つまり、承認を受けるためにキャリアをスタートさせ、ステージに立って賞賛されることで初めてそれを好きになる、という流れである。動機と到達地点が完全に逆転しているのだ。

 つまりこれは、自分の欲求を満たすだけの承認を受け取れなければ(もしくは、その承認を受け取るに値すると自分が思えなければ)何かを好きにはなれない、ということであり、至極当然ではあるが後が続いていかない。

 僕にとって音楽は徹頭徹尾「呪い」だった。そう、まさにこれがその原因なのである

 この悪循環に陥りながら、他の何かを新しく始めるよりはまだ辛うじて展望があるから、としがみついてきて5年が経過した。モチベーションを維持できるはずもない。その間、音楽という存在は僕を確実に蝕み続けていたのである。オデノカラダハボドボドダ!

 補足すると、僕が楽器を始めた背景には、先述した身内の存在だけではなく、それ以上にニコニコ動画の演奏してみたカテゴリがある。彼らの大半はプロでもなく、また基本的には既存の好きな曲「だけ」を演奏して動画を投稿しているのに、音楽というツールを用いて(主には再生数という指標で)インスタントに承認欲求の充足を達成しており、時には大きなステージで(この場合であれば超会議がその最たる例であろう)観衆を前にパフォーマンスを披露している。彼らを目標としたことが、僕にとっての音楽が呪縛たる状況に拍車をかけたことはおそらく間違いない。

 とはいえ、実力と知名度を兼ね備えている演奏者たちがその過程で音楽を好きになれなかったのかというと、決してそんなことはあるまい。その領域に到達するためには、少なからず音楽への愛がなければ不可能なのは自明である。

 だがしかし僕にはそれが欠如していた。始める動機となるものは揃っていたが、アイデンティティの確立、承認欲求だけを行動原理としていた僕は、最初から到達目標を完璧──つまり第三者からの十分な賞賛を受け取れるだけのクオリティに設定してしまったために、短期間での挫折を幾度となく繰り返すことになる(これに関して言えば、同じ経験をした者は少なくないのではないだろうか)。このプロセスには自分の技量に関係なくそれが好きだと思えて、停滞をもポジティブに捉えられる「下手の横好きの心」が抜け落ちている。結果、モチベーションは失われ、自分より歴の短い人間に実力で追い抜かれることも多々あった。まあ、好きで音楽をやっている者たちに、音楽を承認欲求の食い物にしているだけで欠片も真摯ではない僕が勝てないのははっきり言って当たり前のことであるが。さらに言えば、演奏者を主なリスペクト対象としていたために、バンドを組んでライブに出ても独りよがりな演奏しかできず(所謂演奏動画においては、投稿者の演奏は担当楽器のみであるため、実際のライブで同じことをすると曲の雰囲気を壊してしまいかねないほどにテクニカルなプレイが散見される)、苦言を呈される頻度も高かった。

    要するに僕は音楽が好きだったのではなく、「ドラムを叩いて賞賛される自分」が好きなだけだったのだ。

 そんな中では、ある程度の強制がなければ地道なトレーニングは継続ができなかった。だから僕は教室に通ったのである。また、ライブに出演するということ自体も、「この時までにこの曲を完成させる」という期限を設けることによって打ち込まざるをえなくするための、ある種の強制である(その点で言えば、僕は多分練習をしなかったわけではない)。これは確かに一定の成果をもたらした。しかし今となっては、もはやその強制があっても誰かに披露するにふさわしいクオリティの演奏はできなくなってしまった。

 そうこうしているうちに、キャリアだけは延び続け、また知識も増えていくがそれに対して自身の実力は全く釣り合わないものになってしまったのである。そもそもが音楽を自己肯定のツールとしてしか認識せず、承認欲求のみによって何かをやっている手前、知識や歴に技量が比例しない物事には関心が皆無だった。僕は単に「ドラムが叩ける」「バンドをやっている」という肩書きが欲しいだけでしかなかったのだ。まさに楽器の演奏というのは知識の集積だけでは成長が見えないもので、だからこそ僕はこう思う。「よしんばローディーやドラムテックにはなれても、パフォーマーにはなれない」と。もっとも承認を受け取るのが目標である以上、演者以外の目線に立つことなど考えたくもないが。その意味で、「地道でコンスタントな努力を継続的に行える」ということそれ自体がもはや才能だといっても過言ではないような気さえする。

※ローディー、ドラムテック(ドラムテクニシャン):音楽業界で、特にライブツアーにおけるミュージシャンの楽器のセッティングやメンテナンス、および管理など、彼らのサポートを行う人々のこと。中でもドラムに関する業務を担当する者のことをドラムテックと呼ぶ。

 この虚無の中、5年という比較的長い期間にわたって僕がドラムを叩き続けてきたのには、バンドという形態によって他の誰かと共有財産を作ることへの喜びがあった。それによって己を楽器をやる意味を繋ぎ止められていなければ、きっと僕はとっくの昔に楽器をやめている。けれども、ここ最近はそれをもってしてもスタジオ練習や本番が楽しくなくなり、苦痛だとすら感じるようになってしまった以上、もう潮時だろう。

 ちなみに、それらとはまた別のところでも僕は音楽に呪われている。というのも、拠り所がないために始めた音楽で挫折し、自分で自分の機嫌がとれなくなった結果他者へ依存、そこで相手に負担を与え人間関係でも失敗してまた拠り所を失う、というこれもまた気が遠くなるような無限ループを繰り返しているからだ。いっそやめるならやめるではっきりした方が苦しまずに済むのではないかと、この期に及んでやっと気づいたのである。

 「音楽は魔法じゃない」。聞き覚えがある者もいるかもしれないが、いつだか大森靖子がライブのMCで口にした言葉である。これは「音楽が魔法たりえることがあるとすれば、それは受け取り手(つまりリスナー)次第である」という趣旨の発言であるため、僕が今書いている内容とは文脈が違うかもしれないが、なるほど確かに、表現者である立場の人間すら救えないことがあるのに、どうして音楽が聴き手を救うことができるだなんて断言できようか。自分と重ねてみれば納得のいく話だ。

 長々と書いてしまったが、僕が音楽を辞める気になった経緯としては以上のようなものである。タイトルの回収はできた

 実は今在籍しているサークルでドラムパートの頭数が不足している都合上、正直今すぐに身を引くことは難しいかもしれないのだけれど、それはまたおいおい考えていきたい。

    音楽を介して僕と関わってくれた各位にはここで感謝を述べたい。今までありがとう。

 世間は新型コロナウイルスによる自粛ムード、目にする情報もそればかりで、一大学生の身としては休暇のはずなのにどこかせわしなく感じる。当の僕はむしろ花粉症に悩まされているが、各位も健康にはお気をつけて。

 では、また次の記事を書くことがあれば、その時に。

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