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違うようで同じもの


自分と相手は、さほど変わらないんじゃないかって。
この人なら分かってくれそうも幻想で、
察してほしいも何も伝わらなくて、
実際は見えないものを押しつけてるにすぎないのかもしれない。


自分では無意識にしてしまうことも、相手がしてることを自分が体験してみるとよく分かる。
こんな風に感じるんだ、なんて視点。


自分が自分を扱いづらかったら、相手なんてもっと扱いづらいと距離を置かれて当然なのではないか。
自分が自分を分からないと嘆いたところで、
相手はもっとあなたを分からないと思うのでは。
そんなことを考えた。


誰かがあなたのことをどんなことでも知っていると思うのは、よっぽど深い繋がりを続けてきた人同士。自然に分かり合うことなんてできないから……


人と繋がり続けるのも努力、
自分を自分で知ることも努力。


そういう意味では学校って当たり前に行くものとしか思ってなかったけど、好き嫌いをはっきり理解するって意味では大切な学びだよな、と。


私も好きな教科はやっぱり今でも好きだなって実感する。そして不思議と相手にも教科のイメージとしてそれが伝わってるんだよな。


自分を知ること、相手を知ること。
それもきっと同じかもしれないね。


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