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心のノート

思えば、幼い自分の気持ちはどこに置いていた?
あの頃の心のノートが読みたくなる。
実際、あまり覚えていないと片付けてしまうこと自体、かわいそうな気持ちになる。
それも曖昧に放置してしまった気持ちなのだろうか。


自分で自分の気持ちに気づけなかったとしても
周りがそんな気持ちを大事にしてくれたのならば
揺れ動く感情の扱いにも上手くなれたのかな。
そんな機会をたくさん逃していたように思う。

ねぇ、どうかした?
いま、どんな気持ち?
何があったの?何を思った?
こんな気持ちだよ。


誰かに聞くこともできず、自分に問うことも諦めていた日々もあったのだろう。ただ慌ただしく過ぎていく日々に、何かを期待しながら夢見ながら、周りと同じように自然と変わっていけるのだと思い込んでいたあの頃の小さな自分に、今もまだ、ふとした瞬間、会いに行こうとしている自分がいる。
救いたいと心のどこかでは思っているのかもしれない。これも消化できていないものなのだろうか。

会いたい、もう一度、胸の奥、震えてる。
ここにいるよ、届いて、離ればなれのキミへ


記憶が永遠に残るとしたら、やはり感情なのだろう。
強く感じたものは積み重なって、自分の土台となる。
ひとりでは健やかな心を構築していくことはきっと難しい。
一緒に積み上げていく時間、その大切さをしみじみ思う。


気持ちに"カタチ"があったならば
どんなものになるだろう。
丸いかな?軽いかな?
ふわふわしてる?どんな色?温かい?透明?
見る人によっても、表現も、違うのかもしれない。


優しくありたい。
その気持ちは、どこに行ったとしても
ここがターニングポイントなのだろう。
そんな気持ちが思うほどに強くなるし、
涙だって流せる。これは意志だ
熱くさせる心が私の強さでもあるし、
何より誰より信じられるものだから。
誰だって平等だし、粗末に扱うなんて許したくない。


優しさと強さは共存する。
そんなことを思った。

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