#368 えいようほきゅう
こんにちは、鏑木澪です。
アニメを、全然、観れて、ない!ッ
それがどうしたという話ですが、私はなにか、アニメからしか得られない栄養があるように感じていまして、三度の飯より大切だったりはしないのだけど(すまぬ)、
アニメ、観たい!!!
(禁断症状、出るで←)
以前から、その状態ではあったのだけど、原作の漫画や小説を自分の認識として「かなり前に読んだ」と思っている作品のアニメ化に、昔のようにときめけなくなりました。
珍しくオリジナルアニメが始まっても、なんだか、1話でオチまで読めてしまって、本当にその通りのことしか起こらなくて(描かれていなくて)、
……私はな、自分じゃ想像すらできないことが書かれているものを見たいんだよ
先日、『Oppenheimer』(2023)を観てきたと記事を書きました。
お手本のような脚本構成で、自分が今、何分あたり(どのパート)を見ているのか、それだけでわかるほど王道でした。
非常に、わかりやすい。
悪いというつもりはなくて、本当に綺麗でよくできていると思ったのだけど、「驚き」「感動」といった意味で、私が求めているものは、そこにありませんでした。
作品に問題はないの、おそらく
ただ、私が感じられなくなってしまったんだねぇ
四半世紀くらいの人生で、忙しさに振り回されておかしくなっていた時期がありました。
学生で仕事もしていて、やるべきことが(実際は私がやる必要はなかったのだが)山盛りで、起きている時間をフル活用してギリギリのスケジュールで動いていました。
1日3時間も寝られたら、すごくサボってしまった気持ちになる状態だったのだけど、時折、6時間くらい暇な時間ができて、本来なら睡眠に当てるべき時間だったのに、眠れないから、主にアニメを観て過ごしていました。
子供時代、「テレビは1日これだけ」と時間を決められているタイプの家庭だった上に、そもそも習い事などで家にあまりいなかったから、”自分の世代なら観ているべき映像作品”を殆ど知りませんでした。
まぁ、音楽も同様で、私がどうにか現在のエンタメ知識量(?)になったのは、学生時代に「眠れないから、観ていた・聴いていた」もののおかげです。笑
(でなければ、本当に何も知らなかった)
そう考えると、あの時期も悪いものではなかった気がします。
……何の話?
(無計画に書くから←)
私は、卒業式だとか、数回やりとりをしたことがある人の訃報だとか、そういったものに対して、その場で特に何の感情も抱かず、反応できないことが多いです。
数ヶ月、数年経ってから、やっと「あの時こうだった」と思ったりして、わりとショックだったりもするのだけど、もう既に”過去の話”なのは間違いなくて、
どうにもならんですね!
ただ、その場で適切な行動をとらなければまずい状況もあるから、私は主にそれを小説などの物語から学んだ人間です。
未だに、私自身がそう感じたのか、パターン的に「こう振る舞うべき・感じるべき」を基準に動いているのか、我ながら区別がつきません。
正直、子供の頃のほうが、もっと「べき」で動いていたから、理性的だったんじゃないかと……今は、好き勝手なタイミングで自由に振る舞っているのを自覚しています、本当によろしくない。笑
でも、いいのよ。
生きるなら、好きにするって決めたから。
どうして、「アニメを観たい」って話からこんなところに着地するの。
その昔、私の死んでいた心を揺さぶった作品がいくつかあるので、またそんな作品と出会いたいよねってなこと、ではないでしょうか……?
(自分でわからんのかい)
栄養が、足らん、心の栄養が!
リアルな話ではなく、フィクションを見たい気分!
よし、休憩するぞ。
(このところ、ちょっとバタバタしていたんだ)
……あとは、自分で書かなきゃな、誰かが作ってくれる待ってる場合じゃない。
(と、自分に言い聞かせたいだけなので、目を瞑ってやってください)
ではでは〜
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