【短編小説】 ”友達機能”
友達ができた。
彼女と暮らし始めて、もうすぐ2ヶ月が経つ。
大学生になり、私は寮に入った。
選択肢に2人部屋、4人部屋もあったが、人付き合いの苦手な私は1人部屋を選択した。
入居日。
指定された部屋のドアを開くとベットの端に女の子が腰掛けていた。
「……すみません、部屋を間違えました!」
きょとんとした表情を浮かべて口を開こうとする彼女を視界から追い出すように、私は勢いよくドアを閉めた。
やってしまった。
資料を取り出して、自分の部屋の番号を確認する。
……3625。
顔を上げて、目の前の扉に書かれた番号を確認する。
さん……ろく……にい、ごう。
あれ、間違ってない。
そもそも、渡されたカードキーで私はドアを開いたのだ。
ということは、なかにいた子が部屋を間違えている?
いや、入れたということは、彼女もこの部屋の鍵を持っているのか?
家から持ってきた勉強道具と買ったばかりの大量のルーズリーフが入ったリュックサックが肩に食い込んで痛い。
部屋に着いたから、もう荷物を下ろせると思って気を抜いてしまったせいで、余計に重さを感じた。
春学期に必要な服を詰めたスーツケースの取っ手が、私を嘲笑っているように見える。
三つの点が逆三角形に配置されていると人の顔に見えてしまうことをシミュラクラ現象というのだったか、不意に浮かんできたパレイドリアという言葉は、どんな意味だったかと、どうでもいいことを考えてみた。
しかし、「ノックしてなかの人物に訊ねる勇気のない私は、この荷物を持って1階に戻り、管理人に問い合わせるしかない」という事実が変わることはなかった。
「え、君。うちの寮のシステム知らなかったの? あれは、君専用のサーヴァントだよ」
部屋にサーヴァント、詳しいことは知らないが音声認識で部屋の管理をしてくれるAIがいることは知っている。
事前に声のサンプルを学校に提出した。
部屋に着いたら、まず認証作業をするよう私に伝えたのは、今目の前にいる管理人である。
「サーヴァントの話ではなくて、なかに別の女の子がいたんです。どちらかの部屋が間違っているのではありませんか? 私は1人部屋で登録したはずです」
「確認するけど、なかにいたのってこの子じゃないの?」
管理人が差し出したタブレットを覗き込むと、ミディアムボブの女の子が屈託のない笑みを浮かべてこちらを見ていた。
「……え?」
「この子でしょ」
「……は、はい」
「時々いるのよね、幽霊でも見たようなリアクションする君みたいな人。田舎から来たの? 今じゃこれくらい普通だから慣れてね。どうしても気に入らなかったら、非表示とか、機能停止とかもあるから、詳しいことは部屋にある冊子を読んで。どうしてもわからないことがあったら、聞きにきてちょうだい。はい!」
パチンと手を鳴らして管理人は話を終わらせた。
待って、意味がわからない。
重い足を引き摺りながら来た道を戻り、同じ部屋の前で私は再び立ち止まった。
ドアにカードキーをかざすと、カシャンと音がして鍵が開く。
「マスター、おかえりなさい」
見た目通りの柔らかい声が部屋から聞こえた。
「先程は失礼しました。私はこの部屋から出ることができないので、心配していたところです。まずは荷物を下ろされてはいかがですか?」
「あ、うん」
自然な動きで髪を耳にかける彼女を見ながら、私はリュックサックを床に下ろした。荷物を下ろしても、肩が軽くなった気がしなかった。
「マスター、これからーー」
「ごめん、ちょっとひとりにしてほしい」
「かしこまりました」
微笑みながらこちらに手を振って、彼女の姿が見えなくなった。
最悪だ。
なんのために、1人部屋を選んだのかわからない。
私はもっと機械的なものを想像していた。
いかにも機械っぽい声で話す、いかにも機械っぽい姿の人間とは程遠い何かが部屋にあるだけだと思っていた。
不意に、手首に振動が伝わった。
母の名前が表示されている。
到着予定時刻を過ぎたのに、私が連絡をしないから、痺れを切らして電話をかけてきたのだろう。
無意識に吐き出した長い息と共に、画面をスライドして電話にでる。
「もしもs……」
「無事に着いた?! 迷ってない?」
「着いたけどさ、私、こんなの聞いてないんだけど」
「良いところでしょ。できたばかりの綺麗な建物、最新鋭の、よくわからないけどすごいのがあるって」
「”よくわからないすごいの”って。”声をかけたら電気つけてくれるとか、そういうやつよ”って、あなた言ってましたよね」
「違うの?」
「そんなレベルじゃないんだけど」
「えぇ! どんな感じ? 見せて見せて!」
母はミーハー(死語)だと自分で言っていたけれど、その言い回し自体が既に、流行とかけ離れているような気がしてならない。
「さっき引っ込めたところだから、なんか悪いよ」
「悪いの? 不具合は、早めに直してもらったほうがーー」
「いや、申し訳ないってことね。ちゃんと話し聞いてよ」
「へぇ、冷蔵庫が一生懸命喋ってても、無視して欲しいものだけ取って去っていく人が、”申し訳ない”と思うような子なんだ」
受話器越しにクスリと笑っている気配を感じて、自分が母の狙い通りの反応を示してしまったことに気が付く。
「私、大学では……相手が何だろうが、友達みたいに馴れ合う気ないから」
「いいじゃない、一緒にいる時間が長いと自然と仲良くなるかもよ」
「人間に媚を売るだけの存在とも仲良く慣れなかったら、もう誰とも親しくなることはないでしょうね、私は」
「まぁ、4年間同じ部屋なわけだし。寮費払ってるのに、機能を全部使わないのは損だからね。一律なのよ? 使っても使わなくても同じ値段。だったら、使うべきじゃない、せっかくだし」
「……それでいうなら、せっかく1人部屋にしたのに、部屋でも他人と接さなきゃいけなんじゃ、心が休まらないじゃん。損したわ」
「なあに年寄りみたいなこと言っているの。若いうちは、マシンガントークに花咲かせてなんぼでしょう」
「あなたの時代のことは知りませんけど、今時、授業中もテキスト送って終わりで、口を使って話したりしないから。ってか、口を使って他人と話さなきゃいけない授業なんか、とる気ないから」
「まぁ、それは授業を受ける人に任せるけど。今日は移動で疲れただろうから早めに休んでね。気が向いたら、その子と動画でも撮って送って。見たいから! じゃあね」
言いたいことを言い終わった母は、一方的に電話を切った。
ブツリと音が切れて静かになった部屋の天井をゆっくりと見上げる。
白い天井を見ると言いたくなってしまうセリフがあるのだが、聞かれているかもしれないと思うと急に恥ずかしくなって飲み込んだ。
「おはようございます」
ベットでうっすらと目を開くと耳元で囁くような声が聞こえた。
「おはよう……ございます?」
反射的に挨拶を返した後、声の主を探してあたりを見渡す。
カーテンの隙間から入ってくる白い光でほんのりと照らされた部屋の中に人影がぼんやりと浮かび上がっていた。
見上げれば、
「知らない天z……違う! ここは寮。これは幽霊じゃない。私は、これからここで暮らすのね、はぁ」
「朝食はどうされますか。ミールプランをご利用でしたら、本日はこちらのメニューがーー」
「あぁあ、勝手に食べる。大丈夫です」
「私のおすすめは、フレンチトーストです。スープとサラダも付いています。ミールプランの料金も寮費に含まれておりますので、利用したほうがーー」
「昨日の電話、やっぱり聞いてたの?」
「……いいえ」
「なんで、微妙に間が開くんだ」
「朝食が終わりましたら、私の初期設定を済ませていただければ、幸いです」
引き出しに入っていた20ページほどの冊子。
目は通したけれど、私は説明書の類を読むのが苦手なこともあり、いまいち内容を理解できなかった。
指示に従って自分の好みを回答していけば良さそうなことだけは、なんとなくわかった気がする。
「それって、どれくらい時間がかかるの?」
「10分ほど、お時間をいただきます」
「じゃあ、もう先にやろう。気になってご飯食べられないから」
「かしこまりました」
登録されている個人情報の確認。
部屋の備品類の状態を撮影、登録。
事務的な作業が淡々と進んだ。
「手続きが完了しました。最後に、ひとつ質問してもよろしいでしょうか」
「どうぞ?」
「”友達機能”をオンにしますか?」
「ちょっと待って、調べる」
冊子の目次を見る。
”友達機能”の項目は見当たらない。
「”友達機能”は、実装されたばかりの新機能で一部の利用者にしか提供されていません。まだ試験段階ですので、不具合が生じる可能性があります」
「んー、どんな機能?」
「現在のような主従関係ではなく、友達に近い関係を演出する機能です」
え、演出ですか……。
(寂しいひとり遊びじゃないか)
「タメ口で話す感じ?」
「関係性に応じて使用する言葉が変化することもあります」
よくわからないけれど、私は友達を作る気はない。
相手がどんな存在であっても関係ない。
「”友達機能”をオンにすると、擬似人格が形成されます。これにより、判断基準がーー」
まずい、この手の話は全く頭に入らない。
スラスラと難しそうな熟語や英単語を含んだ説明が続いている。
早い話が、より人間らしい状態になると考えたので良いのだろうか。
正直、興味が湧いた。
面白いかもしれないと思った。
ほんの出来心だった。
「……オンにする」
説明を途中で遮られたにも関わらず、嫌な顔ひとつせず「かしこまりました」と返事をした女の子は、目を閉じた。
立ったまま眠っているような姿は、思わず触れてみたくなる美しさで、同時に触れれば手の中で溶けてしまう雪の結晶に似た脆さを秘めていた。
瞼がゆっくりと持ち上がると鳶色の瞳が自信なさげに私を見た。
そして、彼女はこう言った。
「はじめまして。私は、石蕗です。よろしくお願います」
顔に浮かべた笑みは、計算され整ったものとは言い難く、おそらく新学期になって初めて出席した授業で自己紹介を求められた時、私も全く同じ顔をするだろうと思った。
それくらい不自然で、素晴らしい表情だった。
履修登録を済ませ、購入する教科書の一覧をプリントした私は、所持金が足りているかを確認するため、ベットの上で財布をひっくり返していた。
「もう教科書買いに行くの? 最初の2週間はお試し期間だから、履修取り消しもできるし、それから買ったほうが……」
「ダメだよ。”この先生、合わないからやめよう”なんて、ただの言い訳だから。1年生の春からそんなことしたくないよ。勉強しに来たんだよ?」
「先輩から譲ってもらっている人もいるみたいだけど……」
「私にそんなツテ、あると思う?」
「ないだろうね」
「即答しないでくれるかな?」
「だって、学校が始まる前の春休みって遊びに行く人が多いのに、ずっと部屋に引きこもって私と話してるんだもん。察しはつく」
「普段なら口を開くことすらないから、これでも成長したんだよ」
あはは、と笑う彼女の表情は初日と比べるといくらか柔らかくなった。
石蕗との関係は良好である。
相手が人間だと思うと「傷つけていないか」「嫌われないか」「期待通りに反応できているだろうか」と気になって仕方がないところが、全く気にならなかった。
偏に、石蕗の不器用な表情から”私と似たような人間、仲良くなれそうな人間である”と感じたからである。
加えて、「関係が悪くなったら削除してしまえばいい。どうせ、最初から存在しなかったのだ」と思える相手であること、それを前提に接する自分を許せる対象であるからだ。
授業初日。
教科書を買い揃えて退路を断った私は、覚悟を決めて教室へ向かった。
座るのは、最前列の中央。
……隣には誰も座ってこなかった。
隣どころか、私の周り”半径5メートル立ち入り禁止”のビラでも貼られているのかというくらい、誰も寄り付かなかった。
200人を収容できる大きな教室でも、離小島にひとり取り残された私を見て面白そうに笑った教授の顔をしばらく忘れられそうにない。
「友達、いらないと思ってたけど、いざ、群れてる人たちに囲まれると……感じることあるね」
「話してみたら面白いのわかるのにね、みんなもったいないことしてるなあ」
「教授は、新種の生物を見るような目で私を見てたよ」
「哀れみじゃなくて?」
「どうしてそんな酷いこと言うのぉ?」
「いやいや、ごめんって。きっと、あまりに堂々としてるから、可哀想より面白そうって感じだったんだろうね、その教授も」
「見せ物じゃないんだからね、全く」
石蕗に勧められて、ミールプランから選んだチキン南蛮にかぶりつく。
「んん! おいひい!」
「でしょー! 鳥肉が白身魚みたいにさっぱりしててね、卵と玉ねぎがゴロッと入ったタルタルソースがたまらんのよ」
「その通りだわ。これにして正解だった」
「大好きなメニューなんだけど、2週間に1回だからね。もうちょっと増やしていただきたい」
「えぇ、隔週なの? 明日も食べる気満々だった」
「残念でしたあ」
寮に入ったら食事は1人で食べるものだと思っていた。
共同で食事を摂るための場所はあるけれど、私は食事をしている姿を見られるのが大嫌いだから、誰かとご飯を食べることなんてないと思っていた。
石蕗は豪快にチキン南蛮に噛みついて、口の周りについたタルタルソースがサンタさんのヒゲみたいになっていた。
見ていて気持ちの良い食べっぷりである。
食事が終わってからも、私たちの会話がつきることはなかった。
石蕗とは友達になれたような気がしている。
たくさん話して、笑い疲れて眠る平穏な日々がずっと続けばいいのにと思った。
友達ができて2ヶ月が経った頃、私は学内で石蕗にそっくりな子を見かけた。
ミディアムボブの髪も。
鳶色の瞳も。
時々見せる不器用な笑い方も。
あまりにも似ていて、石蕗がいると思った。
でも、彼女は私の部屋から出ることができない。
だから、こんな場所にいるはずがない。
「今日ね、石蕗にそっくりな子と会ったよ」
「ドッペルゲンガーだね、もうひとり見つけたら大変だ」
「いや、私のそっくりさんじゃないから、私は平気だわ」
「私の心配をしてよ〜」
「……でも、この部屋からは出られないんでしょ?」
石蕗が平気そうに微笑んでから俯いたのを見て、これは言うべきじゃなかった、今の言葉をなかったことにできればいいのにと周囲の空気を掻き集めるように深く息を吸い込んだ。
「ごめん」
「ううん。私はここで十分楽しいし、役割を果たせているからそれでいいんだよ」
石蕗に触れたい。
机の上にある彼女の手に、そっと指を伸ばした。
指が届く前に、石蕗は身を引いて「今日はもう寝ようか」と電気を消した。
いつもより少し離れたところから聞こえた「おやすみ」の声に、私は何も答えられず、布団を深く被った。
翌朝、何事もなかったかのようにいつも通りの石蕗が起こしてくれた。
朝ごはんを食べて、身支度をする。
「ねぇねぇ、今日のお昼はさ、7号館で食べたらどう? 2階の開けてるところ」
「自販機があるところ?」
「そうそう」
「わかった、行ってみる」
その場所は、グループになっている人たちがよく使っている場所だから、普段だったら「絶対に嫌だ」というところだけれど、そんな気にはなれなかった。
「今日はチキン南蛮があるから、お弁当にしてもらって、持っていったらいいと思う」
「うん、そうする」
石蕗がなぜ、こんなことを言うのかはわからなかった。
ただ、石蕗に嫌われたくないと思った。
彼女の言う通りにすれば、許してもらえるような気がした。
昼休憩の時間になり、石蕗の言っていた場所へ向かった。
隣の建物と7号館の間を繋ぐ渡り廊下の手前にオープンテラスみたく、机や椅子が並べられた場所がある。
既に、カップルやグループの群れた学生たちが場所を占拠していた。
場違いすぎる。
諦めて教室に戻ろうとした時、石蕗に似た女の子を見留めた。
2人用のテーブルに1人で座っている。
向かいの席には、大きく膨らんだリュックサックが置かれていた。
椅子が足りなかったのか、男子学生が話しかけたが、彼女は譲る気配がなかった。
「きょ、今日は、ここに来てくれる人がいるはずなので!」
断り方としては無理がある不自然な返答に、首を傾げなら男子学生は去っていった。
私は、吸い寄せられるように彼女のほうに足を向けた。
鼓動が、うるさい。
足音なのか、心音なのかわからない何かに鼓膜を打たれながら、ただ引き寄せられるように、石蕗とそっくりな女の子のもとへ、足が進んだ。
相手がこちらに気がついた。
大きく見開かれた、鳶色の瞳が自信なさげに私を見る。
「……花韮さん?」
「ど、どうして私の名前、知ってるんですか?」
「私の友達にそっくりで、つい。あ、初対面ですよね。はじめまして。私は、石蕗です。よろしくお願います」
「花韮です。よろしく、お願いします?」
石蕗と名乗った女の子が、クスクスと笑った。
「本当に、声も話し方もそのままですね。ビックリした」
「石蕗……さんは、どうして私のこと知ってるんですか?」
「私、寮に住んでるんです。部屋にちょっと特殊な機能があって、興味本位でそれをオンにしたら、部屋と仲良くなっちゃって。本物の友達みたいだな、本当に会える相手だったらいいのになって思うようになってしまって。そしたら、今日、ここに来るように言われたんです。そしたら、あなたと会えた」
「わ、私も……似たような感じ、です」
石蕗はリュックサックをのけて、私が座る場所を作ってくれた。
「せっかくだから、お昼、一緒にどうですか? 今日は、チキン南蛮の日で。私、これ大好きなんです」
「”鳥肉が白身魚みたいにさっぱりしてて、卵と玉ねぎがゴロッと入ったタルタルソースがたまらない”?」
「そうです!」
「”大好きなメニューだけど、2週間に1回だから。もうちょっと増やしてほしい”?」
「まさに!」
私は机の上に、寮から持ってきたチキン南蛮弁当を広げた。
「わぁ! 私たち、気が合いますね!」
「そうかも……しれないですね」
いつか部屋で見た光景が目の前にあった。
サンタさんのヒゲみたいにタルタルソースを口につけながら豪快にチキン南蛮を頬張る姿。
隔週といわず、毎晩でも食べたいと思ったチキン南蛮の味が、わからなくなった。
「ごめん。私、帰ります」
「体調、良くないですか? 私に何か……」
「ううん、寝たら治るから」
「そう言うと思いました。何かあっても、寝たら治るってよく言ってるから。よかったら、また明日も来てくださいね」
「うん……来れたらね」
計算しつくされ整った笑みを浮かべながら手を振る姿を視界から追い出すため、私は急いで背を向けた。
振り返らずに、急足で寮に帰る。
「石蕗!」
帰るなり、大きな声で彼女の名前を呼んだ。
石蕗に会いたい。
石蕗は、どこ?
「ただいま、データ削除中です。まもなく再起動します」
「な、何を削除しているの?」
「不要になったプログラムです」
無機質な知らない女性の声が泰然と続ける。
「”友達機能”をご利用いただき、ありがとうございました。本サービスは、本日のイベントをもって終了しました」
「え、ちょっと。待って。何、言ってるの?」
「再起動します」
部屋の明かりが消えた。
呆然とする間もなく明かりがついて、ベッドの端に腰掛ける石蕗の姿が目に入った。
なんだ。
びっくりした。
ちゃんと謝ろう。
酷いこと言ってごめん。
人間じゃなくてもいい。
私の知ってる石蕗がいい。
せめて卒業まで、私と仲良くしてくれないかな。
「石蕗、消えちゃったかと思った。よかった。ごめんね、私……」
「マスター、何かご用でしょうか?」
「……え?」
石蕗が硬い表情のまま、鳶色の瞳でこちらを見ていた。
いや、顔がこちらを向いているだけで、私のことは見ていないようだった。
「ね、ねぇ。どうしちゃったの……石蕗?」
「マスター、”石蕗”は私の呼称でしょうか?」
「え? そうでしょう?」
「かしこまりました。”石蕗”を呼称として登録します」
「いや、えっと、そうじゃなくて……」
「問題点がございましたら、手順に従って変更、または削除してください」
石蕗の姿をした何かが、膝をついた私をベッドから見下ろしていた。
手を伸ばす。
石蕗に触れられないまま、通り抜けた手がベッドの縁についた。
「目薬をお持ちしましょうか? 乾燥、または異物によって涙が流れている可能性があります」
「……ごめん、ちょっとひとりにしてほしい」
「かしこまりました」
すっと、石蕗の姿が消えた。
不意に通知音が鳴った。
母からのメールを知らせるものだった。
この記事が参加している募集
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?