#165 近況ですのよ。

 こんにちは、鏑木澪です。

 音源買いました!

 我が家のWi-Fiは不安定なもんで、きちんと測ってもないから実際どうなのかわからないけど、1GBダウンロードするのに1時間くらいかかります。
(もっと速い時も遅い時もあるので、本当にわけわからん。田舎怖い←)

 今回、私が購入した音源は350GB以上ですから、えっと……?
(え、2週間以上かかるとか、そんなことあんの? はい?)

 一度に全ての音源を落とす必要はないので、ひとまず、すぐに使ってみたいと思うやつだけ。。。

 って、ピアノ音源だけで14GB超えてるやつあるんだが?

 ……幻覚か?

 これが、有料音源、、、
(専用音源ではないけどな←)

 こんなの、私の使っているパソコンで動かせるのか疑問ですが、一応動くはずなので(初めて外付けSSDに保存するってのをやってみた←)、ダウンロードとインストールが完了するのを待ちましょう。

 ……いや、すでに今日で3日なのですが。

 あと、60GBくらい残ってます。。。
(思ったより速く進んだ←)

 とりあえず、インストールが終わった音源をLogicで立ち上げてみたら、普通に動いてくれました!

 パチパチ
(頑張ったぜ、機械音痴←)

 使い方に慣れるまでにも時間がかかるでしょうし、これまで使っていたテンプレート(?)も見直さなければなりませんから、いろいろと時間がかかりそうです。

 いいじゃない!
 これが楽しいんだよ!


 こんな状態なので、あまりパソコンに負荷がかかるようなことはしないほうがよいだろうと、今のうちにイラストの練習をすることにしました。

 私は、iPadで絵を描いています。

 もともと、絵を描くのが下手すぎて、自分の絵を見るのが大嫌いだったので、美術をはじめとする学校での「絵を描かなければならない授業」が拷問に近かったです。

 レタリングは好きでした。
(好きなだけである←)

 絵を描きたいという気持ちはありますし、絵を見るのは好きで、アニメも大好きですから、「デフォルメされた可愛い絵を描きたい」と思うのに、いざ描いてみると「これは人間ですか?」の域の絵が出来上がってしまいます。

 ……なんで?

 小中学生の頃、美術部に所属していたり、趣味がイラストを描くことだったりする友人が何人かいたもので、近くに「絵が上手い人」がいた影響もあると思いますが、自分の絵があまりにも粗末なものに見えました。

 私は運動部で朝と放課後の時間を削られ、休み時間は読書に費やしていたので、絵の練習など全くしていませんでしたから、下手なのは当然ですし、「描ける人はこんなに練習しているんだな」と絶対的な差が開いていくのを感じていました。

 私の母は若い頃、アメリカでデザイナーをしていたそうです。

 私は幼い頃、祖母やその友人から耳にタコができるほどそれを聞いて育ったので、漠然と「私も絵が描けなければいけないんだ」と思っていました。

 後からわかったことですが、デザイナーは絵を描くのが専門ではありません。

 しかし、私は「デザイナーとは絵が描ける人の職業なのだ」と思い込んでいました。
(そのように聞いていたからである。なお、本人・母からは「そうではない」といわれていたが、謙遜だと思っていた←)

 実際、基礎はある適度できるわけで、母が学生時代に描いた絵が家にあったり、ポートフォリオを見せてもらったりしたこともあったので、「私にも絵を描く才能はあるはず」と信じていた側面がありました。

 なんと傲慢な。。。

 幼稚園の頃から疑問を感じ始めていたそれは、小学校低学年で確信に変わり、「私は絵が描けないのだ」と自覚すると、いよいよ自分の描いた絵を見るのが嫌いになりました。

 少なくとも、私は感覚に頼って絵を描ける人間ではない。

 これは幼い頃に嫌というほどわかって、「お絵描きは楽しいもの」なんて印象も皆無だったので、私は「法則でイラストが描ける方法」を探し始めました。

 ボカロPになりたいと思った時、曲を作る能力は必須だけれど、その次に「ビジュアル面の重要さ」も感じていました。

 動画配信サイトに曲をアップするにしても、視聴者が最初に触れるのはサムネであって、曲ではありません。

 サブスクやCDも、ジャケ買い(もはや死語?)なんて言葉もあるように、先に入ってくるのは視覚への情報ですし、それに魅かれて曲に触れる人も少なくないでしょう。

 そして、最近、「小説の表紙までもがそれなのか」と気がつく出来事がありました。

 私は、自分が小説を選ぶ時、タイトルと作家にしか目が入っていなかったので、はっきりいって、表紙なんてどうでもよかったです。

 本が並んでいる時、見えるのは背表紙だけです。

 私が図書館で本を探す時に見ていたのは、基本的に背表紙だけでした。

 しかし、今は電子書籍を読むことも増え、全ての本は表紙が見える状態で並べられています。

 気がつけば、「このイラスト綺麗だな」ということをきっかけに、本を選んでいる自分がいました。

 タイトルも、作家も、目に入っていません。

 何かが間違っているような気もするけれど、無視できないほど視覚への情報は影響力が強いのがよくわかります。

「人は見た目がーー」なんて話が流行った時期もありましたが、人以外にも同様のことがいえるようですね。(知らんけど←)


 ”法則でイラストを描く方法”とは、例えば解剖学で「こことここの比率が……」といったことや、色彩心理学で「この色をここ配置することで、このような効果を……」といったことに従って、ルール通りに”違和感の少ない絵”を描く方法、再現性の高いイラストの描き方であるというのが、私の考え方です。

 ただ、私は勉強が得意じゃないもんで←

 おまけに、イラストは「知っていれば描ける」なんてことはなくて、自分の身体を思い通りに動かす練習も必要ですから、なんだかんだ言い訳をして放置してしまい、全く上達する気配がありません。

 しかも、ルール通りの絵って、結局「下手ではない絵」というだけであって、「魅力的な絵」にはならないのだろうと思います。

 なんだかなぁ〜

 どうしたらいいのかね?
(せめて、「もしかしたら上手いかもしれない絵」くらい描けるようになってからぼやいてくれ←)

 いやぁ、本当に。

 ビジュアルって大事ですよね。(しみじみ)


 ボカロPは、総合的にプロデュースしていくものだと個人的に思っているので、自分でできることをどんどん増やして、極めていきたいと思います。

 全部中途半端っていわれそうだけど。
(器用貧乏とかね←そこまで器用じゃない)

 いろいろなことに手を出すことで、「置き換えて考えると理解しやすい」と感じることはあったので、そんなに悪いことではないと思っています。

 思わぬところから学びがあったりして、楽しいです。


 楽しんで、なんぼ。

 楽しいと思えるなら、たぶんこれでいいんだわさ。


 ではでは〜

 16,2

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