二次的著作物の著作権について
こんな記事を数日前に書いたばかりですが、案の定。
敢えて書かなかったのですが、私のところから「ネタパクリ」をしていた人は、実は複数犯。
今回、先日とは別件のネタパクリの元ネタについて、非SEOかつ別の法的視点から検証してみたいと思います。
ちなみに、ネタパクリ・タイトルの一部剽窃をやられたのは、こちらの二つ。
この二件に関しては、第三者が見たとしても、客観的にパクリの立証が可能だと思う。
特殊なジャンルの著作権違反や、お世辞にも普遍的とは言えないタイトルを使ったので、逆にパクリだと立証しやすい。
私が気がついていないとでも、思ったのでしょうか。だから、信用ならないんですよね。
間接的な誹謗中傷、著作権違反、それとネタパクリ。一つ一つの事象が関連づけられなくても、怒りポイントは溜まっていきます。
まあ、何度も言い訳を重ねている時点で、確実に心象はどんどん悪くなっていきますよね。
少し長くなりましたが、ここからが本題です。
二次的著作物の著作権の範囲について
さて、私が著作権侵害とした人が利用できる「著作権」の範疇についてです。
そもそも、本人自身何がいけないのか、よく分かっていないと思う。
1.実質的な営利利用
noteでも同じような活動をしている方もいらっしゃいますが、それらの人がOKでこの人がなぜダメか。
それは、本人が「◯◯サンプルとして利用しています」と言ってしまった以上、ほぼ確実に営利目的とみなされるからです。
たとえ無償であったとしても、広告宣伝が目的の場合、実質的な営利活動と見做される可能性が高いです。
何で気づかないのだろう?と思うのですが、二次的著作物は、たとえクレジットが入っていたとしても、原作者の経済活動と競合する可能性があります。
しかも、当人がちょくちょくnoteやTwitterで、「営利目的」としてこの企画の協力者を求めていることを述べている。
一応、良好な関係ならばそれもあり。ですが、無償利用を前提で自分の営利活動に流用するということは、原作者の権利を侵害する可能性が大きいということです。
この具体的事例については、最高裁などで既に判決が出ています。中でも、水木杏子さん(原作者)といがらしゆみこさん(二次的著作物創作者)の事例が有名。
ちなみに、条文に直接権利が明記されていなかったとしても、裁判の判決が実質的な法的効力を持つこともありますので、法律論のジャッジでは、類似事例の判例まで読み込む必要があります。
後述しますが、二次著作者は、いかなる事情があっても、原則として原著作者の同意なしに、当該作品に係る作品を作成・販売することはできません。
上記の記事が、二次的著作物と原作者の関係について詳しいのですが、要は広告宣伝の手法についてまで、原作者の許諾が必要だということです。それも、できれば契約書がほしいところ。
(物的証拠になるので)
2.手法そのものが、二次的著作権者の独自性が認められる可能性が低い
どの分野で著作権侵害されたか書くかは、迷いがありましたが、ズバリ「朗読」で。その詳細はさておくとして(有料記事なので)、自作の二次的著作物創作を許可する場合、著作権法の世界では「翻案権の許諾」ということになるでしょうか。
これは、小説のコミカライズや映画化、ドラマ化などをイメージするとわかりやすいと思います。
そして、恐らく私が「権利侵害」を訴えた人が理解していなかったであろう部分について。
「作品を使っていいよ」と言ったからといって無制限に利用できるわけではなく、支分権一つ一つについて、都度私の同意が必要だったということです。
そもそも、著作権というのは各種権利(これを支分権といいます)の総合体・一般名称として呼ばれる権利であり、各種権利が複雑に絡み合っているものです。
著作権の支分権については次のような諸権利があります。
複製権
上演権及び演奏権
上映権
公衆送信権等
口述権
展示権
譲渡権
貸与権
翻訳権
翻案権
このうち、ネット上で朗読を発表する際に問題になるのが、4と10。
たとえ許諾を得て4の公衆送信権についてクリアしていたとしても、それだけでは足りなかった。
また、二次的著作物について、二次的著作物権者の全ての権利について、原作者は口を挟む権利があるということです。
さらに、そもそも論として支分権で問題になるのは次の二つ。
依拠性
複製権もしくは翻案権侵害が成立するためには、被告作品の誕生の前提として原告作品があり、原告作品(つまり原作)がなければ、二次的著作物が生まれなかった、ということが必要です。
この認定については、類似性の他に、創作の先後や対象となる著作物に接する機会、創作性の程度などを総合的に勘案して判断されます。
同一性・類似性
これは、原告作品と共通する部分があり、かつ、原告作品の表現上の創作性を侵害していると見做された場合、原作者への著作権侵害を認めるということ。
実際の裁判は、同一性・類似性については「濾過テスト」で判断します。
ここで、朗読作品について「二次的著作権」が認められるかどうか。
これは、認められた事例がないと思う。認められない根拠としては、上の著作権法28条がその根拠。
さらに、このような判例もあります。
簡単に概要を説明すると、原告(A社とします)は、平成元年4月1日付で、群馬県伊香保町(現渋川市)に学芸員として採用されました。その頃、伊香保町は、徳富蘆花文学記念館の建設を計画。その展示物の中で、常設展示室に7枚のパネル、11枚の解説パネル、朗読を含む映像を展示していました。それらは、Aが学芸員の業務の一貫として、作成したものです。
さらに、伊香保町はこれらの図録を販売。それについて、A会社は自己の著作権を侵害されたとして、被告(=伊香保町)に損害賠償請求をすると同時に、確認訴訟を提起しました。
ですがその結果は、全て「確認の利益を欠き、不適法」。却下判決が下されています。
つまり、法律上の争訟にすら成り得ないということ。
少なくとも、「朗読」に「二次的著作物」としての著作権を認めるかどうかというのは、この判決を見る限り、認められないというのが現行法の判断だと思います。
朗読の各種コンテストなどで、パブリックドメインの作品を集めている「青空文庫」が指定されているのは、このような背景があるからでしょう。
万が一応募作に「著作権法違反」の作品が紛れていた場合、コンテスト主催者にも火の粉が降りかかりかねない。
単に公衆送信権の問題だけではないということです。
二次的著作物の著作権の扱いは慎重に
私もコラボは嫌いではないですし、お互いにメリットがあるとなれば、二次的著作物の創造及び諸権利の許諾を出します。
ですが、原作者の著作権の方に絶対的優先権があるというのは、覚えておいた方がいいです。
そもそも、これだけの法的リスクがあるにも関わらず、あくまで他人の作品を使うことへのこだわりこそが、不自然極まりない。
これ以上は書きませんが、私が相談に乗っていただいた方も、それは指摘していました。
この点についても、今まで明確かつ論理的な回答を得ていないですし、恐らく提示できないでしょう。
法律論を語る際の大前提として、「感情論で語ってはならない」という鉄則があります。それにも関わらず、自分のやったことから目を逸し、単なる感情論を、「人権侵害」としてごまかそうとする人の、何と多いことか。
もちろん、すべての人が法律に通じているわけではないですし、反証するにはそれなりの知見が必要です。
ですが、自分の良心から目を背けつつも他人の権利を侵害するような真似は、厳に慎むべきではないでしょうか。
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