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裸の女王様

アンデルセンの童話で「裸の王様」という寓話があります。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A3%B8%E3%81%AE%E7%8E%8B%E6%A7%98

私も小さい頃に読んだ寓話ですが、薄々詐欺師の怪しさに気づいていたかもしれない大臣や役人は、仮に王様に進言したとしたら、きっとクビにされていたのでしょうね。
いや、処刑されていたかもしれませんが(苦笑)。

ところで、裸の王様は、その後どうなったのでしょう。

一説によると、王様が裸であることを指摘した子供は、褒美を与えられたとのこと。
また、王様自身は元々正直者だったのが詐欺師(=仕立て屋)に騙され、しばらくは恥ずかしさから城下に出られなかったとありますね。

過去の記事を振り返って

自分の書いた記事が数百本ともなると、時には書いたことすら忘れることもあります(苦笑)。
先日、久しぶりに「スキ」を押していただいたのが、こちらの記事です。
※押してくださった方、ありがとうございます!🙏
1年以上前に書いた記事なので、私も見失っていました^^;

そして、私事にも関わらず、内々の見解の違いを一方的にネタにされたことを取り上げたのが、先月の記事。

1年以上前に書いた記事と比較すると、noteを始めた当初から、私は「女性の権利を一方的に振りかざすのには反対」だったんだなぁと、改めて認識しました。

セクシャリティ論なしに本音を言えるのが理想ですよね

意識的に「女性の権利云々」を声高に叫ぶのではなく、一般論的なヒトとしての権利を主張できる社会。

振り返ってみると、どちらもほぼ同じような趣旨のことを述べています。

法律を学んだ一人として述べるのならば、無制限に「権利の保証」がされるのは「生存権」くらいなもので、その他の権利は「公共の福祉に反しない限り」「権利の濫用はこれを許さず」などの制限がかかります。

仮に、お笑いなどで人をネタにすることができるのも、ネタにされる人とする側の信頼関係があってのこと。

少なくとも私はお笑い芸人として活動しているわけではないですし、一方的に悪意が込められた「ネタ」の材料にされた時点で、「信義則違反」と見做し、二度と付き合おうと思いません。
いつどこで、自分の言動が玩具にされるか分からない状態で、付き合いを続けられるはずがないじゃないですか。

それでもなお、相手方が「ネタにする行為」を正当化しようとするならば、民法上でいう表現者側の「権利の濫用」、私からすれば「受忍限度を越えた範囲」に他ならないと感じます。
相手が嫌がっているにも関わらず、「価値観の多様性」「自分なりの正義」で押し切ろうとするのは、あまりにも暴論というものではないでしょうか。
コドモではないのですから。

行き過ぎの○○○ズム

ここで、ちょっと考えてほしい。

そもそも「女性の権利」とは、何なのでしょう。


女性に対する差別とは、性にもとづくあらゆる区別、排除または制制限であり、政治、経済、社会、文化、市民生活その他のいかなる分野においても、結婚しているか否かを問わず、男女の平等を基礎として、女性が人権および基本的自由を認識し、享受しまた行使することを阻害し、無効にする力または目的を持つものと定義する。

国連広報センターHPより

https://www.unic.or.jp/files/print_archive/pdf/woman/woman_1.pdf

そう、これって「女性の地位が一段低く見られている」場合において成立する理論であって、同性同士の「セクハラ」や、男性側が弱者に立った時の視点がすっぽり抜け落ちているのですよね。

私自身は、「生理」を巡る話などを、嫌がる男性の前で話すのは「女性の権利」どころか、むしろ女性側からの「セクハラ行為」と捉えます。そのような話をされる男性側も、困惑するのではないでしょうか。

実は、女性側からの「言葉の暴力」という視点から、下記のような記事も配信されています。

こうなってくると、「強めの発言で人を支配しようとする女性」は、「か弱き女性」ではありませんよね。ただのモラルハラスメントを振りかざす暴君に過ぎません。

私が心配する筋合いではないかもしれませんが(苦笑)、私の周辺の男性は、このような目に遭っていないと信じたいです。
私が「ジェンダー論の一環」として先の記事を上げたのは、行き過ぎたフェミニズムの可能性も考慮したから。

私が男性だったら、「あなたの生理の話なんか、聞きたくない」と言いたいところです。
→知ってどうしろと?職場で仕事上の配慮を求めているわけでもなく、まして彼女や配偶者でもないのに。

ちなみに、私が書いた先日の「文章におけるジェンダー」のビュー数は、投稿前後でご覧のような数値です。

年間単位だと1000を超えるという、私の投稿数の中でもかなり多いビュー数の記事となりました。

もちろん、賛否両論あるのは承知の上です。
ですが、性別を問わず「相手が嫌がったら、それを継続しない」というのは、ネット社会を含めたお付き合いの基本ではないでしょうか。
私の周辺でも、「プライベートでならともかく、ネットのオープンな空間で私的な見解の違いをそっくりネタに流用する、というのはあり得ない」という意見がほとんどでした。

虚栄という名の衣

さて、「強い言葉」というのは、麻薬のようなもの。
使い続ければ感覚が麻痺し、それを忌避したがる周りの人々の視線すら気にならなくなるのでしょう。
目に見えぬ衣も同じことで、着ている当人にしてみれば「自分を護る衣」のつもりでも、外から見て裸の状態ならば、目を背けたくなろうというものです。

自分にしか見えない衣をまとって、あちこちを練り歩き、独演会を開くのも結構ですけれど。
どうしても毒舌を自認してウリにしたいのならば、せめて、ネット上での公然わいせつを指摘されない程度に留めていただきたいものです。

おまけ

これでも、大分言葉を削って表現を抑えたつもりです。

既に他の方からも批判的な目で見られているにも関わらず、まだ「クリエイターの権利」を振りかざしますか?

これで「私の言い分を聞いてほしい」というのは、さすがに虫が良すぎませんかね?
ええ、誰とは言いませんけれど。

©k_maru027.2022

#エッセイ
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#クリエイターの権利
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