北方ジャーナル事件
あちこちで「扱う」と予告していた「北方ジャーナル事件」。今でも現存する北海道で販売されている雑誌ですが、そこで掲載された悪口は、以下のようなものです。
悪口の見本ってあまり見ないので(「バカ」「死ね」などは、よく例題として挙げられますが)、まずはこれらを御覧ください。
予定では1979年2月23日発行の「北方ジャーナル4月号」に掲載される予定でした。
これらの悪口や誹謗中傷を、「インパクトがあるから、自分も使ってみたい」と感じたら、書き手の感性としてはアウトだと思います。
あまりにもインパクトがありすぎて、判決文から、つい転載してきてしまいました。
尚、これは過去の事例であり、現在の北方ジャーナルとは無関係であることを、あらかじめ述べておきます。
掲載された文章の一部
【人格否定の批評】
• 嘘と、ハツタ リと、カンニングの巧みな少年であつた
• B(中略)のようなゴキブリ共
• 言葉の魔術者であり、インチキ製品を叩き売つている(政治的な)大道ヤシ
• 天性の嘘つき
• 美しい仮面にひそむ、醜悪な性格
• 己れの利益、己れの出世の ためなら、手段を選ばないオポチユニスト
• メス犬の尻のような市長
• Bの素 顔は、昼は人をたぶらかす詐欺師、夜は闇に乗ずる凶賊で、云うならばマムシの道 三
【私生活について】
• クラ ブ(中略)のホステスをしていた新しい女(中略)を得るために、罪もない妻を卑 劣な手段を用いて離別し、自殺せしめた
• 老父と若き母の寵愛をいいことに、 異母兄たちを追い払つたことがある
【行動様式】
• 常に保身を考え、 選挙を意識し、極端な人気とり政策を無計画に進め、市民に奉仕することより、自己宣伝に力を強め、利権漁りが巧みで、特定の業者とゆ着して私腹を肥やし、汚職を蔓延せしめている
• 巧みに法網をくぐり逮捕はまぬかれている
【知事選立候補について】
知事になり権勢をほしいままにするのが目的である
【同被上告人に対しての評価】
北海道にとつて真に無用有害な人物であり、社会党が本当に革新の旗を振るなら、速やかに知事候補を変えるべきであろう。
【リード文】
「いま北海道の大地にBという名の妖怪が蠢めいている 昼は蝶に、夜は毛虫に変身して赤レンガに棲みたいと啼く その毒気は人々を惑乱させる。今こそ、この化物の正体を……」
私もお金を頂いて記事を書いている身ですが、いくらインパクトがあるからといって、このような文章を掲載しようとは思いません。
これを本気で掲載しようしていたことが、信じられないですが……。
事件概要
元旭川市長のY氏(被告・被控訴人・被上告人)は、1979年4月の北海道知事選への立候補を予定していました。そこで雑誌発行者X(原告・控訴人・上告人)は同年2月23日発行予定の雑誌、「北方ジャーナル」4月号に、Yに関して「ある権力者の誘惑」という標題の記事の掲載を予定。印刷その他の準備を進めていたというものです。
同記事によると、北海道知事となる者は「聡明で責任感が強く人格が清潔で円満でなければならないが、Yはその適格要件を満たしていない」として、上記のような文章を発表しようとしました。
これを知ったYは、同年2月16日、札幌地裁に対し、「名誉権の侵害予防のために、本件雑誌の印刷、製本及び頒布の禁止」などを求める仮処分申請を行いました。
札幌地裁は同日、無審尋でこれを認める仮処分決定を下し、直ちに仮処分を執行。
それに対して、Xは仮処分およびその申請は違法であると主張。
Yら及び国に対して、逸失利益2,025万円の損害賠償を請求したというものです。
一審・二審共にXの主張を棄却。そこでXは、右仮処分決定は検閲を禁じた憲法21条2項に違反するのみならず、右事前差止めは同条1項にも違反するとして、上告しました。
問題の所在
大きな問題は、次の4点です。
①出版物に対する仮処分による事前差止めは「検閲」に当たるか
②名誉侵害について差止め請求が認められるか
③②の差止め請求はどのような実体的要件の元で認められるか
④口頭弁論または債務者の審尋を経ずに差止めの仮処分を行うことは許容されるか
④の理論は脇に置くとして、他の問題について述べたいと思います。
まず、①について。
これは、「検閲に当たらない」とされています。判決理由の中で述べられたのは、次の理由によるものです。
<仮処分の事前差止めの持つ性格>
・仮処分による事前差止めは、表現物の内容の網羅的・一般的な審査に基づく事前規制が、行政機関によりそれ自体を目的として行われる場合とは異なる。
→この理論に従えば、たとえばnoteが「表現の自由の濫用」として、行き過ぎた表現の投稿を一方的に削除するのは「検閲には当たらない」と解されます。noteは行政機関ではないですものね。
・個別的な私人間の紛争について、司法裁判所が当該者の申請により、差止め請求権などの私法上の被保全権利の存否、保全の必要性の有無を審理判断して発せられるもの
・よって、「検閲」には当たらない
<②③>について
人の品性、徳行、名声、信用等の人格的価値について、社会から受ける客観的評価である名誉を違法に侵害された者は、
• 損害賠償(民法710条)
• 名誉回復のための処分(民法723条)
を求めることができる
とされています。ここまでは各種条文で確認されるところですが、他に法理から導かれる権利として、人格権としての名誉権に基づき、加害者に対して次の行為を求めることができるものとされています。
• 現に行われている侵害行為の排除
• 将来生ずべき侵害予防のための、侵害行為の差し止め請求
その理由としては、次のようなことが挙げられます。
• 名誉は、生命、身体と共に極めて重大な保護法益である
• 人格権としての名誉権は、物権の場合と同様に、排他性を有する権利である
この北方ジャーナル事件では、初めて名誉権(人格権)を物権と同じような「排他性」を有すると、定義しました。
※物権の排他性:同一物に対しては、同一内容の物権は一つしか成立しない。一物一権主義。
個人の名誉の保護と、表現の自由の保証の衝突・調整
さて、憲法13条における人格権としての個人の名誉の保護と、表現の自由の保証のバランスを、どう取るか。
まず、基本的な考えとしては、民主主義の理念に則り、表現の自由、中でも公共的事項に関する表現の自由は、特に重要な憲法上の権利として尊重されるのが基本です。
ここで注目したいのが、判決文中の次の一文です。
とあります。
つまり、何ら合理的な根拠を示せない誹謗中傷は、「表現の自由」の保護の対象外であり、個人の人格権(名誉権)が優先され、そのための事前差し止めや仮処分は、憲法上の「検閲」には当たらない、というのが最高裁の判断です。
例外規定はあるか?
もっともこの理論を突き詰めると、犯罪告発系などの記事は、一切書けないことになります。ですが、その場合の根拠もちゃんと判決文の中に示されていました。
例外規定は、
当該行為が公共の利害に関する事実にかかり、その目的が専ら公益を図るものであること
当該事実が真実であることの証明があること
真実であるとの証明がなくても、行為者がそれを事実であると誤信したことについて相当の理由があるときは、故意・過失が無いと解される
などの条件の下で、名誉毀損の適用除外規定を満たします。
これにより、個人の名誉の保護と表現の自由の保証の調和が図られているというのが、最高裁の判断です。
さらに、私が思わずフフッと笑ってしまったのが、ある裁判官の下記の見解。
要するに、悪口に正当な根拠がなく、その内容を持って被上告人が「知事候補として適正をかく」という論法自体が成り立たず、文章も脈絡がなくめちゃくちゃだ、ということなのですよね。
私も誹謗中傷をやられた投稿について、数人の友人にその感想を聞いたことがありますが、
• タイトルからして、喧嘩を売っている
• 何を言いたいのか不明だった
• 文章から悪意しか感じられず、この人の文章を読みたいとは思わない
などの感想が返ってきたのを、思い出しました。善意の第三者、それも複数の方々に尋ねた回答が上記のものでしたが、悪意に満ちた勢いで発表しようとすると、悪印象を与えるだけで、文章自体もめちゃくちゃになるのかもしれませんね。
誹謗中傷の投稿って、案外そんなものかもしれません。それを「言論の自由」として認めろというならば、最高裁の判断基準を読んでから、自分の文章を見直してほしいものです。
まとめ
この判決が最高裁、しかも重大事件・判例変更などを捌く大法廷で出されているということは、最終的には名誉毀損・誹謗中傷を法廷に持ちこんで争ったとしても、悪口を行ったがわの「表現の自由」は認められない、ということに、他なりません。
やはり誹謗中傷は、現実問題として法律の世界でも「言論の自由」の対象外ということです。
北方ジャーナル事件は、よく各種法律系の資格の問題で「検閲の定義」が問題として取り上げられますが、「人格権の尊重」と「表現の自由」の衝突、という観点からしても、学ぶべき点の多い判決です。
誹謗中傷は、法律でも最終的にはこのようなジャッジが下されるのだ、ということは覚えておいていいのではないでしょうか。
最後に、この北方ジャーナル事件の判決文のPDFファイルを添付しておきます。
→裁判所のHPからダウンロードしたもの。
結構ボリュームがあり、文章としては悪文という印象もありますが(苦笑)、誹謗中傷と「表現の自由」のけじめをつける指標となるはずです。
©k.maru027.2023
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