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テラーの輪転機 異世界部族調査員と開花の少女 第1章 1~5


1  オラアン(ありえん)

 ツネ――松岡(まつおか)常一(つねいち)は在学中から民俗学研究で高い評価を受けながらも、一方で貧乏ゆえ車の免許さえも取れなかった。

 車を運転して事故を起こすことに極度の恐怖を感じていたこともあるようだが、大学生活をしながら免許を取る時間と金を作らなかったことは、彼の進路を選ぶ上で致命的であった。

 それまでは教授や、友人の乙訓(おとくに)法子(ほうこ)に乗せてもらったりしてなんとかなっていたが、社会学や考古学などと並んでもっともフィールドワーク――足で稼ぐということが求められる学問である。
 その時点で彼は教授職を諦めざるを得なかった。

 よしんば博士号を取って教授となって、そのあと免許を取得したとしても、ただでさえ大学教授というのは斜陽な職業。

 現代は超少子化の時代。
 大学そのものの淘汰が進み、気がつけば全国一を誇った京都では半数以上も減らしているのである。

 ――大学教授には未来がない。
 将来を悲観し思い悩んでいた彼を、ある企業が獲得に乗り出した。

 その会社は、他業種で全国的知名度を誇りながら、自社で学術誌を発行しているほど研究にも熱心。学術界では知らぬものはいないほどの権威であった。
 しかも会社所在地は千葉県。都心からほとんど離れておらず、これなら交通アクセス上の心配もない。
 
 渡りに船とはまさにこのこと。
 彼からしてみれば、まったく断る理由もなかった。

 だが、意気揚々と就職した彼を待ち構えていたのは、予想もしない事態であった。


「松岡くん、君は民俗学で高い評価を得ていたと聞く。そこで君には、ある地域での習俗を調査してほしいんだけど、いいかな?」


 入社間もないある日、唐突に多々良(たたら)九也(きゅうや)―─自称9ちゃん部長が、彼に辞令を言い渡したのであった。

「ちょ、ちょっと待って下さい。いきなりですか!?」

 ツネは寝耳に水、といった表情。
 いくら自分が民俗学研究でスカウトされたといっても、まさか入社していきなり出張を言い渡されるなど予想していなかったらしい。
 
 とはいえ、流石にそれはいささか人生設計の見通しが甘いと言わざるをえない。そんなツネに向けられた視線は、厳しいものだった。

「なにかな? なにか特別な理由でも?」
「い、いえそういうわけじゃないんですけど……ぼく、免許がなくて」
「ああそんなことか。それなら心配いらない。すでに諸々手配している。移動手段に困ることはないはずだ」
「は、はあ……」

 都心の習俗を研究するのかな、でもそれにしては『手配』という言葉が引っかかる――このような疑問が拭えなかったようだが、ここでは口にしなかった。

「ならば問題はないね? では早速だが明日からだね」
「明日――!? いくらなんでも無茶苦茶すぎでは!?」

 さすがにこうまで猶予がないなら、当たり前の反応であろう。だが多々良部長は、獣のような鋭い眼光でツネを威圧する。

「誤解しているようだがね。いいかな? と聞かれて君に許されるのは、業務に関する質問だけだ。新人である君に求められるのは、やるかやらないか、ではなく、やるか、やるためにはどうすればいいかを聞くかなんだよ。わかるかな?」

 9ちゃん部長とかいうネーミング詐欺。

 実のところこの男、『鋼の七則』だとかいう独自の職業哲学でいくつも本を出しており、一流の管理者で知られる一方手法が非常に強引なことでも有名だ。
 インターネットで名前を検索したらネガティブワードが吹き溜まりのようにサジェストされるほどである。

 学費稼ぎでこそ苦学生ではあるものの、下手に論文で認められ、就職活動でさしたる苦労もしてこなかった。
 それゆえ自己啓発に類する知識が皆無であったことがここではマイナスに作用したのかもしれない。
 
 要するに世間知らずだった彼には、もはやひとつの選択肢――うなだれながら「はい」と言うしかなかったのである。

 期待通りの反応に満足した9ちゃん部長は一転して人の良さそうな朗らかさを見せる。この顔よ。本当に恐ろしいのは、この笑顔に尽きる。

「よろしい。君のために色々な計画が動いているのだから、自覚してもらわないと困るよ。早速だが、赴任先の資料だ。この場で説明するので、2ページめを開きたまえ」
「え? あ、はあ」

 言われるがまま中綴じで留められた資料冊子に目を通したツネ。彼はその内容に思わず絶句した。

「あの、え? これ……?」

 からかっているんですか? とは口が裂けても言えない。が、それ以外の言葉が見つからないため、口をパクパクさせるほかないといった調子である。


「その資料を見てもらえばわかるとおり、君には『オ・アエセ』とよばれる広大な世界の東部にある『テラレ族』の集落へ行ってもらう」


 ……それだけ言われて出社してすぐに帰宅させられた。
 明日には発つから今から荷造りしろというのである。
 メチャクチャだとは思う。嘆息する彼の気持ちもわかる。

「ほーちゃんに連絡を取ろうとしてもこの時間じゃ当然仕事中か……仕方ない」

 観念した様子で、フィルムフォンと呼ばれる新型極細スマートメディアで、軽くしばしの別れのメッセージを飛ばす。


「はあ……なんだって突然どこかもわからないところになんて……」


 ありえん、最後に小さく漏らした彼はそのまま電車へと吸い寄せられていった。

2 オ・アエセ

「あー……頭痛い……」

 急な辞令。
 あれから一日が経った。
 松岡常一――ツネはといえば、成田空港にいた。
 
 歩きながら時折頭を押さえる。
 どうして気分が悪そうにしているのかといえば、昨夜ツネのもとに仕事を終えた法子から連絡がきたと思ったら急に押しかけてきて、そこからなかば強引に宅飲みに付き合わされたからであった。
 
「こりぇが呑まじゅにやっへらりぇりゅかひょぉ~」

 彼女がこうなるのも、まあわからなくもない。
 
「ほーちゃん……ちゃんと出社できてるかな……」

 だが、それ以上にツネ自身の心配も尽きない様子で、

「……バカバカしい。それもこれも、こんな無茶な辞令のせいだ」

――と、独りごちていた。

「地球全土の様子が衛星写真で見られるこのご時世、異世界? ムー大陸かよ。そんなものWEB小説の題材かでなければオカルトだ。学問的じゃない」

 ツネはハナから『異世界』などというものを信じてはいなかった。
 

 かつては日本の委任統治領だった旧称・トラック諸島こと、ミクロネシア連邦・チューク諸島。そこに異世界に通じる入口があるという。

 ミクロネシアといえば日本人限定で行くことができる一大リゾート地。
 そこから太平洋を望む景色は至上の美しさだと、ガイドブックには記されているが、当然そんなことはまったく触れられていない。
 
 成田のロビーは、人でごった返していた。
 まだ待ち合わせまでは時間もあることだし、酔いざましにとりあえず飲み物でも、と入った売店で、どうも会計でなにやらあったらしく1人の初老の男性がわめき立てていた。

 端から見ていた女性たちがひそひそと「やぁねぇ」「あれだからお年寄りは」と陰口を言い合っている。
 それを見てどちらにも頭を痛めている、といった様子のツネに対して、ひとりの女性が声をかけてくる。

「もう着いていたのですね。お早いですね、松岡常一様」

 地毛であるのか染めているのかやや茶色ががかった髪を後ろで結わえており、それが若々しくもどこか大人の雰囲気を備えた女性であるという印象を強くさせる。

「――あなたは?」
「私は藤井(ふじい)波瑠(はる)。『NTB』のガイドとして、松岡様――少しの間ではありますが、現地まで同行させていただく者です。以後よろしくお願いします」
「あ、ああ……よ、よろしくお願いします」

 『NTB』という社名ですぐにピンときたようだ。
 売店にふらっと立ち寄るまで読んでいた観光ガイド。
 そう、何を隠そうそれを出している大手旅行会社である。

 『NTB』は、ツネの勤めるコンタクトレンズを主産業にしながら多方面に事業展開する『メニアイルホールディングス』と業務提携している。

 そんな『NTB』からの派遣職員である彼女はこれからガイドを務めてくれるのだというが――
 
 暑苦しくはないだろうかと思わず心配になるほどにぴっちりとした服。
 スカートも非常に短く、なおかつハイヒール。
 キャビンアテンダントであると紹介されてもまったく違和感がない。
 これから南の島へと向かうにしてはひどくビジネスライクに過ぎるような印象を持たざるを得なかったのであろう。
 ツネはおそるおそる尋ねる。

「藤井さん、あの、この格好で、南の島を歩かれるので……?」
「ご心配には及びません。道中は非常に整備された道を車で向かうのみなので」
「は、はぁ……」

 やれやれ、これでは南の島くんだりまで行くフィールドワークの面白みもあったものではない。日本にいた時と同じではないか、拍子抜けだ。

――といった思いが彼の顔から滲んでいた。


 グアムでトランジットしてさらに半日近く。
 ミクロネシアに到着し、『オ・アエセ』へと通じる門――『トパロ』というらしいが、そこへ向かう車中からは、本当に絵に描いたような南国模様が飛び込んでくる。

「どうです? メニアイルさんや我が社などの投資でさまざまな開発こそされていますが、海や多くの自然は手付かず。我々の住む世界としては、十分に幻想的です。落ち着いた時にでも、観光を満喫されては?」

「はは、そうですね。是非ともそうさせていただきますよ」
 
 エメラルドグリーンの水面に、吸い込まれそうなほど限りなく純白に近い砂浜。
 生の躍動感に満ちた草木。そのどれもが、日本ではお目にかかれない。
 掛け値なしの美しさ。
 これが『異世界』であると言われたら錯覚してしまいそうである。
 
 我々はどこから来たのか? 我々は何者か? 我々はどこへ行くのか――? 
 南国に理想郷を求め、そのような表題の作品を残したゴーギャンも、このような気持ちに駆られたのかもしれない。
 

「『異世界』なんて、ほんとにあるんですか?」

「ふふっ、たしかに信じられないお気持ちはわかりますよ。だいたいの方は、最初そんな感じなんです。でも『オ・アエセ』は単なる比喩ではなく、本当に『異世界』なんです。偽物なんかじゃ、ありませんよ」

「……非科学的だ」

「そうではありません。非科学的なことを科学にするんです。『テラー族』を科学の俎上に載せる――あなたはそのために……あ、そろそろですよ。見えてきました、あれが、異世界へ通じる門――『トパロ』です」

「トパロ……あれが……」

 ツネは狭い車中をかいくぐるように前方を見渡す。
 そこには大型トラックも易々と通れるだろう、日本でもなかなかお目にかかれないほどの巨大なトンネル。周囲は高い柵で遮蔽《しゃへい》されており、現地の方だろうか、何人もの警備員が固めていた。

「ずいぶん物々しいんですね」
「そりゃあ、ここがなくなったらテラー族とのコンタクトが取れなくなるわけですから。我々の生命線ですよ。さあ着きましたよ」

 クーラーの効いていた車から降りると、ツネはジメッとした暑さに思わず苦い顔をした。
 
 それもそのはず、ミクロネシアでは実は3月までが乾季――もっとも南国らしさを楽しめる時期であり、4月からは雨季に入るのだ。
 南国といえば夏のカラッとした暑さをイメージするところであるが、これは時期が悪かったというほかない。
 そんな熱気がムンムンする中で、ツネは先導する藤井の出で立ちに改めて信じられない、といったような視線を投げかけていた。

「……暑くないんですか?」
「これが正装ですから。……もしかして、ぴっちりと汗ばんだシャツからのぞかせる何か、に期待しています?」

 藤井は小悪魔的な笑みで、胸元を強調してくる。
 彼の額からはさらに汗が噴き出す。

「……っ。からかわないでください」
「ふふ、そうですね。松岡様には法子がいますもんね」
「あ、あいつはそんなんじゃ……って、ほーちゃんと知り合いなんですか!?」
「ええ。メニアイルさんにご挨拶にうかがって以来、何度か……あ、どうやらそちらの会社の者が出迎えてくれるようですよ?」

 ほどなくして1人の、ツネ達とほぼ同年代くらいの女性が到着した。
 こちらの人は大きく胸元のはだけた、生地が薄く涼しげな衣装を身にまとっていた。彼からしてみれば、ある意味でようやく南国らしい出で立ちにようやくお目にかかれたともいえる。

 身体のラインがよくわかる服装ではあるが起伏があるというわけでない。
 その点でいうと豊満な藤井とは好対照をなしている。

「ヨ~、ハル。相変わらず暑苦しい服着てるじゃない~」
「お久しぶりね小鳥。そういうあなたも、最初はこうだったはずだけど。箱入りのお嬢様が、今じゃすっかりハジけちゃって」
「いやあ、あそこにいればのびのびできるからね~。あ、そこの彼が例の? ふーん、ちょっと融通利かなそうな感じしてるけど、なかなかイケてるんじゃない?」

「ど、どうも……あ、あなたは?」

「あ、ああゴメン。あたしは小鳥。苗字は西風舘(ならいだて)っていうんだけど、まあ漢字も難しいし覚えにくいだろうから、小鳥でいいよ。そう硬くならなくてもいいのに」
「は、はあ……」
「あ、ナニは硬くしていいよ? あたしの魅惑のぼでーに欲情するのは、男の子なら致し方ないことだからね~~」
「おいそこのナイチチおっさん。彼困ってるじゃない。9ちゃん部長にチクるわよ」
「……セマモサン」
「わかればよろしい」

「――? セマモ……サン?」

「あ、ああゴメン。すみませんって意味だよ。向こうの――テラレ語でね。あっちの生活が長いとついつい出ちゃって」

「は、はぁ……」

「まあー心配しないで。日本語とだいたい同じだから。すぐに理解できるようになるわよ、ハハハ」

 西風舘小鳥――そう名乗ったツネの職場上の先輩は非常に快活で、ユーモラス。
 まるでこの島を燦々と照らす太陽のようでもあるが、研究に情熱を注いでいた陰キャのツネからしてみればどちらかといえば苦手な部類であろう。

 ただまあ『異世界』へと足を踏み入れるにあたって、9ちゃん部長と違って気さくで話しかけやすそうという意味では、彼にとって助けとはなるかもしれない。

「……さて。そのためには、まずはキミにはこれを射ってもらわなきゃね」

 思い立ったように小鳥は注射器のようなものを取り出す。ツネはぎょっとした。

「あ、いやあねそういうのじゃないわよ。ワクチンよ。何種類もの混合ね」
「あっ、な、なるほど……」
「それにこれはオモチャ。ホンモノはちゃんと専門のお医者さんに挿してもらうから心配しないでよ」
 
 かつてアメリカ大陸を侵略したヨーロッパ人の持ち込んだ天然痘が、耐性がまったくなかった先住民族に大流行し大きく数を減らしてしまった原因となった過去がある。
 まったくチャンネルをもたない別地域の人間同士が接触することには、つねにそういう危険性がつきまとうのである。
 それを防ぐために、ワクチンを摂取しておかなければならない。

「専門の施設があるから、まずはそこへ向かいましょう。とりあえず車を出すから、乗って。じゃあねハル、また今度ディナー行こうね」
「また今度ね」

 ツネと小鳥は高級そうな黒い車へと乗り換え藤井さんに手を振り別れる。
 いよいよ、異世界へと踏み入れる時がきた。
 この段になっても、まだツネはまったくのホラ話だと信じて疑わなかったようである。
 
 だが、彼にとって幸か不幸か、そんな願望にも似た観測はすぐに打ち砕かれることになるのであった。


 ツネ――松岡常一は、神聖会病院の施設でアマテラス製薬製ワクチンの接種を終え、異世界の入り口ではじめて出逢った上司と車に乗り込んでいる。

 まだ慣れぬ新卒社会人には相応に気負わせるものであるようだ。
 不必要に緊張してしまい会話の糸口を見いだせず、所在なげにしていた。

「女が黒塗りの車なんて、似合わないと思ってる?」

 そんな小鳥から想定外な会話のバトン。
 彼はうまく受け取ることができなかった。

 いやこれはもしかしたら最初から返答を想定していないのかもしれない。
 彼女はそのまま続けた。

「何物をも塗りつぶし、また何物にも左右されない。テラー族にとっては『ケロ』――黒は神聖な色とされているの」

「……僕たちが、神聖なテラー神の使いとして認識されているんですか?」

 そこで、ようやくツネがおそるおそる口を開いた。
 やはり、彼にとって民族性を惹起させる要素には敏感なようである。
 
「そうよ。我々はテラー神の使者として遇されている。この黒い車も、ある種それに合わせているの。あたしが黒い車でオラついてるとか、思わないでね」

「い、いえ決してそんなふうには……」

 どうバトンを受け取るべきか、まだ判断しかねているようである。

 
 異民族を神の御使いであるとして厚遇した例は歴史上アステカ族がある。
 彼らはヨーロッパやアジア諸国家とは完全に分かれた独自の文明を持ち、首都テノチティトランは世界的規模の巨大都市であったといわれている。

 そんな彼らはアメリカ大陸に乗り込んだエルナン・コルテスの一行を彼らの神ケツァルコアトルの転生と誤認した結果一方的に侵略されてしまった。
 彼らは激しい搾取に遭い、望まぬ形でヨーロッパ近代文明へ「教化」されてしまうのであった。
 
 もしかすると、そんな「黒い」歴史が彼の中に去来したのかもしれない。

「……怪訝そうな顔をしているわね。あたし達は何も神の権威に酔いたいのでもなく、まして侵略に行くのでもない。彼らの文化は最大限に尊重する。そして彼らテラー族だけの力ではたどり着けない、失われた歴史を調査するのが、あたし達の仕事なのよ」

「失われた……歴史……?」
「そう。テラー族の国は一度、『エオ族』による侵略により滅んでいるの」

 ツネは驚き、二の句が告げないという様子。

「3年前、黒い髪を持つテラー神の転生者が現れ、エオ族を打ち倒した。その転生者が王となり、テラー王国を復興したのよ。けれど、異民族による50年の支配はあまりにも長すぎた」

「それって彼らの文明が失われて……あっ――もしかして」

「そう。バラバラになったパズルのピースをはめ合わせるように、慎重に情報の断片を集めてテラー王国を『再発見』しなければならない。松岡常一。キミでなければできない仕事よ――おっと。着いたわね」

 少し待っててね、と告げたまま彼女は独り下車し、フィルムメディアと呼ばれる超極細型携帯端末を取り出した。それを数秒間手のひらにかざしたあと、今度は前方を覆う分厚い壁にその手のひらをかざし、

「ハウレウ・ムヌエール」

と唱えた。

 すると、かざされた手のひらの周辺からほのかな光が毛細血管のごとく壁全体を伝っていき、ゴゴゴと蠢きながらゆっくりとトンネルの左右へと収まっていくのであった。

 こどものまじないとして人口に膾炙している「開け、ゴマ!」である。
 少年マンガのようなワクワク感を刺激されたのか、ツネは戻ってきた小鳥に対して目を輝かせていた。

「すごい……どういう原理なんですか……!?」
「さあ、部署外なんで原理まではわからないけど……これもメニアイルのコンタクト技術の応用だと聞いているわ……さ、行きましょう。すぐに見えてくるわ――異世界『オ・アエセ』がね」


 トンネルを抜け、彼の目に飛び込んできたのは――
 雄大な山々、広大な植生。

 あたり一面に咲き乱れるさまざまな色に満ちた花々は、まるで異世界からの新たな使者を歓待しているよう――いや、現実に、そうなのであろう。

「キレイでしょ? あのカラフルなのはだいたいパンジー。なんでもテラー王の趣味だそうよ。なかなかロマンチストよね」
 
 トンネルから出たところはちょうど丘になっておりふもとの世界を見下ろせる形になっているのだが、一口に『異世界』といってもツネたちで暮らしている世界とそれほど変わってはいない。


 しかし先程ミクロネシアで見たような風景とは、まるで異なる。
 川のようなものはそこかしらに通っているのであるが、海岸がまったく見当たらない。それはこの『オ・アエセ』なる場所が、ミクロネシアのような島ではなく、巨大な大陸であることを意味していた。

「あれは……」
「集落が見えてきたわね。もっとも外れのテラー族の村よ」

 車で小高い丘を下ること2時間ほどだろうか。
 ひとつの集落が出迎える。石組みのものや木造の建築物、高床式の小綺麗な家屋にタヒチ的な伝統的デザインが反映された建築物などであった。

「茅葺き屋根のような色合いだ。でも、材質的にはそうではない? 素朴な南国の様式、というよりは、むしろそれを模倣して建てたような――現代的洗練さすらあるように見える……」
 
 車から覗くだけでこれだけ推測できるのであるから、さすが大したもの。
 興味深く車内から村の様子をうかがっていると、日本でいうとおそらくは小学生くらいだろうか、まだ年端もいかない女の子が走っているのが確認できた。

 すぐに3人くらいのこどもが追いついた。最初はじゃれているのかなとほのぼのとした気持ちで見ていたツネであったが、何か異変に気づいたようである。

「ちょっと、止めてください。ここでいったん下ろしてもらえませんか?」
「――は? 時間ギリギリよ? 第一、言葉だって――」

 返事さえ最後まで聞かず、彼は走り出した。

3 オラコトエ(ありがとう)

 男の子と女の子2人、あわせて3人組。
 彼ら黒髪のこども達は年端もいかぬ少女の髪の毛を引っ張り笑っていた。
 引っ張られているほうの少女の目にはじわりと涙が浮かぶ。
 
 その少女の髪は、遺伝的なものなのか、色素が全くない透き通った白髪。
 その見た目の違いから、このようなことになっているというのは、容易に判断できるであろう。

 こんなところでも早々とイジメの現場を見ることになるとは思わなかったろうツネ――松岡常一は、失望感からか珍しく声を張り上げた。

「こら! やめないか!」

 いきなり大人が来たからか、それとも彼が明らかに現地民でない出で立ちだったからか、はたまた後ろの車に気付いてか。
 こども達は尋常ならざるものを見たというような青ざめ方で、すぐさま散り散りに逃げていった。

「……大丈夫かい?」

 言葉なんてたぶん通じていないだろうことは彼にもわかっていたが、髪を引っ張られていた少女の目線まで屈んで頭を撫でる。

「……」

 少女は言葉を発しないままであった。

「ああ……その子『サロ』ね」

 事態の推移を見ていた小鳥が後ろでつぶやく。
 当然ツネは「サロ?」と聞き返す。

「突然変異的に生まれてくる白髪のこどもよ。まさかこんなところで見るとはね」

 小鳥はバツが悪そうにしながらも、『異世界』にもツネたちの現実世界にもありふれたような話をしてくれた。

「黒を神聖視するあまり、その対になるものとして『サロ』――何物にも染まってしまう彼女らがエオ族との厄災を招いたとして蔑視される。この国では『エオ族』なき今、新たなる差別対象となっているのよ」

「……『異世界』っていっても差別はあるんですね」
「こればかりは、ね……なくす努力は必要だけど。キミはそういう人助けをしないタイプだと思ってたけど」
「そうですね、普段は面倒事だと思うと避けちゃうんですけど……どうしてだろう、ここで見て見ぬふりをしてしまったら一生後悔する。そんな気がしたんです」
「――そう。さあ、行くわよ。あとは村の大人たちに任せましょう。テラー王もお待ちかねなんだから」
「はい……。それじゃあ、またね。強く生きるんだよ」

 別れを惜しみつつその場を離れようとしたツネに、白髪の少女はおずおずと身を乗り出し、言葉を絞り出す。

「……お、オラコトエ……!」

 ――彼女の言語そのものはわからない。
 だけど彼女が伝えたかった言葉の意味は、解説してもらわずともツネにも届いたはずである。少女に手を振り、小鳥と共に車へと戻るのであった。


「――あの子、これから大丈夫でしょうか?」

 再び車に揺られる時間に戻ったあとも、彼はその少女が気がかりであるらしい。あまりの様子に、小鳥は少し引き気味であった。

「松岡くん、キミってさ――ロリコン?」

「な、なんでそうなるんですか!? そりゃああの子にはこの世ならぬ雰囲気を感じちゃったところありましたけど」

「えっ、あ……ふーん……どうりであたしにはそっけなかったわけだ」
「ちっ、違いますよ! なんでそっちに持っていこうとするんですか!?」

「はは、冗談よ。でも、このうえなく澄んだものというのは、美しくもあり、恐ろしくもあるわね」
 
 白妙とは古代朝鮮の新羅(シルラ)――斯廬(しろ)が絶えると書いて斯廬絶え。白という色からは純粋さと同時に、恐怖を呼び起こす。だからこそ白い髪を持つ彼女は恐れられているのかもしれない――

 彼はこの時、そんな故事を連想したとのちに振り返る。
 
「――城門の前に着いたわ。ここで降りるわよ」

 ここでツネははじめて自らの足で『異世界』へ踏み入れた。目の前に広がるのは横に長い大きな石造の城の中心にひときわ高くそびえる砦。その周囲を重々しい城壁が取り囲む。

「ここが――テラー王の……」

「あ、ここから先は少し話す言葉に気をつけてね。単語を伸ばして発音することは、時間を自在に操ることのできる神にのみ許されたものとされているのよ。まあ私たちはある程度許容されているけど、王の御前で『テラー』の名を呼ぶことだけはタブー中のタブーだから『テラレ』と言い換えてね」 

「そうなんですか!?」

 ツネはその話を食い入る様に聞いていた。
 本当の名前を呼ぶことは憚られるというような習慣は、漢字文化圏であった中国や日本はもとより、創作ファンタジーでは定番の設定でもある。
 
 しかし、伸ばし音――長音そのものを広く禁じるというのは日常生活を送る上でひどく不自由さを伴うものに思われたのであろう。彼はおそるおそる尋ねる。

「なるほど……じゃあもし、破ったら……?」
「少なくとも、もうここにはいられないわね」

 黒みがかった石の門へと近づいたところで城の内側からツネたちを出迎えたのは、ひとりの少女。

 その髪は、南洋には似つかわしくないほどの。見る者すべてを引き寄せてしまう、スノーホワイト。
 そう、彼女もまた――

「長旅お疲れ様でございました。おいでくださいまして、オラコトエ。わたしはセマラ。ヨロサケ――」

 今か今かと、待ち遠しく感じずにはおれなかった。

4 テラー

「わたしの髪が、気になりますか?」

 ツネ――松岡常一の思考を見透かしたのか、セマラという少女は微笑む。

 『サロ』の持つ上質の生地のような白髪。
 そして均整のとれた美貌。
 
 まるで天使か美しいエルフか――
 使い古された表現ではあるが、その美貌がすでにファンタジーじみている。

「実は最初に入った村であなたと同じ白髪の少女に出逢いました」

 ツネと小鳥を先導していた『サロ』の少女・セマラは立ち止まる。
 ツネは探究心に火がつくと空気などお構いなしに質問するきらいがある。
 重苦しい空気が流れているが、それを感じ取っていないのは質問者のみであった。

「あなたのような髪の色をした人を『サロ』というのだとお聞きしましたが、あなたのような人は多くいるようなものなのでしょうか?」
 
 そんな前のめりさもこれまでは研究成果としてプラスに作用してきたが、この日が初顔合わせの上司は気が気ではないといった表情であった。

「我々も完全に実態を把握しているわけではありませんが、テラレトエン――この城下町でもそうはお目にかかれないはずですよ」


 一同はふたたび歩を進める。
 テラー神の『転生者』として王となり、神権政治を敷いているテラー王。
 その居城は石で敷き詰められ造られている。
 南方の文化も取り入れた旗や幕、宝石などの贅を凝らした装飾などもツネの目を引くものであったようであるが――その中でもひときわ彼の目に留まったのは――

「……ずいぶん自然的な巨石ですね……岩場からそのまま持ってきたような……儀礼的なものなんでしょうか」

「……あのね、気になるのはわかるけど、王の居城よ。あまりあちこちジロジロ見ないの。恥ずかしいじゃない」

「す、すみません」

「ふふふ、構いませんよ。我がテラレの文化に外部の方がこれだけご興味を示してくださるのはよいことです。とはいえ、今は王がお待ちですから、またのちほどご自由にお調べください。我らが主もそうおっしゃるはずです」

 彼の前のめりな探究心は一応この場でもプラスに作用したようである。
 しかしそんな雰囲気も束の間、状況が一変するのであった。
 少女とツネたちの前に突然、兵士と思われる男が駆け寄る。

「セマラ。ノトノ メロタ トッシャテショ」
「トッシャテ? ソノタエト オノトトテ――」
「アエ……ソラコ……」

 テラレ語で展開される会話に、ツネのみが何を言っているやらちんぷんかんぷん、といったふうであった。それも致し方あるまい。
 要はハズレの村で脱出者が出た、ということなのであったが――
 兵士がそっと耳打ちした報告が色よいものではないことくらいは、彼女の切迫した表情でツネにも読み取れよう。

「ヲコット、セケ メコエ。オモア ホ コノコトトテワ トノメ」
「ホ、ホア!」

 身長差が親と子ほどもある成人した男性に臆するどころか従容たる立ち振る舞いで指示を与えるセマラ。 
 そうかと思えば、ツネたち2人には深々と頭を垂れる。

「大変申し訳ありません、わたしはこれからすぐ現場に向かわなければならなくなりました。王の間へのご案内はできなくなりました、すみません」
「え? あ、ああ、わかったわ。お気をつけて」
「オラコトエ・コソアモセ。またお逢いしましょう」

 セマラと名乗った少女は踵を返し、城の外へと消えていった。
 さすがにただならぬ雰囲気を感じたのか、ツネは堂々と不安を口にする。


「だ、大丈夫なんですか? ……いきなり不穏なんですけど」
「さあね……でもあの子が直々に行くなんてよほどのことがあったとみたほうがいいかもね」
「あの子、そんなにエラいんですか……?」
「そうよ。あんなナリだけどテラ……いと高き王の懐刀。異民族――エオ族との戦争に勝利できたのは、あの子の縦横無尽の活躍があったからと言われているわ」
「……え、あの子そんなにすごい子だったんですか……」

 狐につままれたような表情の彼を、小鳥は大きなため息混じりに諌める。

「そうよ。だからさっきはヒヤヒヤだったんだからね。気をつけなさい」
「はい、すみません……」

 「国家再興の女傑」たる『サロ』の少女と別れてからほどなく、ついにツネは王の間へと通されたのであった。

 この瞬間のために、どれだけ準備してきたことであろう。
 どれだけ地道に、どれだけの手間をかけたのであろう。
 だが、それもすべて、この瞬間のために。

 松岡常一、国王にして神であるテラー王との邂逅である。


「松岡常一――祝福された書記官よ。テラーの国へ、ようこそ」

 
 ツネ――松岡常一は困惑しているようであった。
 眼前の人物が年齢にして中学生くらいの見た目であったからだろう。

 巨大な城を構えられる異世界の王というので長い鬚をたくわえた厳つい老君主を想像していたのか、華奢で年若く映るその姿に面食らった。

 誇ることも、さりとて威厳を崩すこともなく――王は柔和さと尊敬の念でもって新たな訪問者を遇する。

「ここまでの長旅ご苦労であった。このテラー王、心よりそなたを歓迎申し上げる」

 ツネのもとへと歩み寄り、先に右手を差し出す。
 全身をヴェールのようなもので覆った神官、兵士、貴族ら周囲が一様にどよめく。このような「歓待」ぶりは異例であるということは、彼にも伝わったことであろう。

「――なぜ自分よりも小さな少年が、という顔をしておるな?」
「えっ!? い、いや、そんな」
「よい。責めているのではない。余はタンサエ――『転生』した身であるからな」

「……転生?」
「左様。元々余は松岡君、そなたと同じ世界にいたのだよ」

 ツネは心底驚いたような顔を見せる。

「――あれは3年前。余がどのようにしてこの世界に来たのかは覚えてない。目が覚めたらこのように若返った姿で、この『オ・アエセ』の荒れ地に倒れていた」

 王は彼に『転生』した時からのいきさつを情熱的に話してみせる。
 セマラと名乗った『サロ』の少女との出逢い、エオ族との戦争。
 テラー王として戴冠されるに至った、壮大でドラマティックな冒険譚を。

 異世界への『転生』――まるでWEB小説のような荒唐無稽な話のようにツネには思えたに違いない。
 けれどここには確かに『オ・アエセ』であり、その地に足をつけているのである。ある程度納得せざるを得ない、といった面持ちであった。

「いわばキミたちは余にとって同族なのだよ」

 親しげな姿勢を匂わせる王ではあったが、一方のツネはまだ心の奥底では信じきれていないようであった。

5 セカタセ

 その後、我はツネ――松岡常一を上司の小鳥と共に、最初の面会のあとテラー王の晩餐《ばんさん》会に招いた。

 天井から壁までふんだんにさまざまな結晶がデコレーションされており、プリズムの反射光のようなきらびやかさが巨大な部屋を包む。

 現実に足をつけているかどうかがわからなくなるような豪壮さ。

 そのような祝賀会場で、王を中心にして卓が囲まれる。
 王であり神である雰囲気の演出としては、これ以上ないであろう。
 

「……あの、ひとつ、確認させてよろしいでしょうか……?」
「なんだ? そうかしこまらんでいい、申してみよ」

「この上司はずっとここにいるみたいなんですけど、僕はちゃんと帰ることができるのでしょうか……? ここにいるのがイヤというわけではないんです。ただ、たまにはやっぱり帰りたいですから。故郷ですし」

 彼にとって、まずこれだけははっきりさせておきたいことのようである。
 まあいち企業人として、また尊厳ある人の権利として、これだけは口約束というわけにはいくまい。

「ははは、何を申すかと思えばそんなことか。当然であろ。もとより我が国と、そなたらが住むサホンケ――日本の往来は自由にしてもらってかまわない。そなたのスケジュールに関してはすべてそちらでおくつろぎの才媛に確認してもらうがよかろう。上司の締め付けがキツいのであれば余に相談してもらってもよいぞ?」

 小鳥は突然話を振られたせいか返答に余裕のなさが出ていた。

「え? も、もう王様……あたしがそんなキツいことするわけないじゃないですか、ほほほ……」

「だ、そうだ。言質は取ったぞ、安心したまえ」

 ツネに目配せする。
 まったく、なんと粋な王様であろうか。

「あ、ありがとうござい――」

 ――と、その時。
 談笑のさなか王の元へと駆け寄る一人の女性。
 会場内は一気に張りつめた。

「――ハエコ、ホエコケ タ コソアモセ」

 刹那に場の空気を一変させたその姿に、ツネにも心当たりがあろう。
 途中まで彼に城内を案内していた、あの『サロ』の少女――

「――セマラか。どうした?」
「――報告いたします。外れの村ノトから不法に脱出を試みた者がいるとの報が入り、その者を確保してまいりました」

 ノト――外れの村。それは異世界に入って最初に見えた、あの場所。
 そう、ツネがこのセマラという少女と同じシルクのような乳白色の髪を持つ少女を見つけた、あの場所である。

「まさか……反乱!? エオ族の残党か?」


 反乱。
 祝賀ムードを消し去るには充分な程度には不穏な言葉。
 城内に緊張が走ったが、セマラはすぐさま否定する。

「いえ、そうではありません。ですが、これは陛下――ならびに、そちらの客人にも早急にお伝えせねばならぬと思いまして……」

「ぼ、僕にですか?」

「はい。実はその脱出した者は、わたしと同じ『サロ』の者だったのです。聡明なあなた様なら、これだけ説明すればおわかりいただけるのでは?」

「『サロ』!? まさか――」

「部下から報告が入った時に確信いたしました。その少女が、村を抜け出していたのです」
 
 ガタッ――椅子から立ち上がる音が大きく響く。
 彼の動揺ぶりがわかる。

「松岡様、まずは落ち着いて下さい。」
「そんなことできるはずないですよ! あ、あの子がひどい目に遭ったのですか!?」

「いえ。そうではありません。ご心配なく。その少女はまっすぐここを目指していたのです。松岡様、その目的がおわかりですか?」
「え!? そ、それは……そう、突然に申されましても」

 質問を質問で返され、困惑するツネ。

「なるほど。なるほどなあ。わかったぞセマラ。なるほど、めでたい話ではないか」
「左様です、たいへんにおめでたい話でございます、陛下」

「めでたい……?」

 ツネだけが会話の流れに取り戻されている状況。
 完全なるアウェーの世界でそれは相当に不安なことに違いない。
 しかしそんな彼の思いをよそにどんどんと話を進めていく。

「そうです。あなたを追ってここまで来ようとしていたんですよ、松岡常一様。もちろん道中危険な目に遭ってはなりませんのでわたしが速やかに保護した、という次第です」
「!? 僕を、追って……!?」

「なるほどね……あたしもそんなシチュエーションに遭遇したいものだわ」

 それまで黙して推移を眺めていた小鳥が割って入る。

「早い話が、一目惚れされたのさ。そんなところでしょう、セマラちゃん」
「その通りです、さすがは西風舘(ならいだて)女史」

 『サロ』の少女セマラが頷く。

「聞けばその少女、両親がおらず、身寄りがないとのこと。そこで松岡様、この世界においでになられていきなりこのような話困惑なさるでしょうけれど、ひとつ頼みがございます」

 彼はとんでもない交換条件を言い渡されるのではないかと気が気じゃないようであった。その「頼み」の中身をおそるおそる尋ねる。

「え、な、なんですか……? ぼ、僕にその子を引き取れとでも……?」

「引き取る、ですか。確かに形としてはそうなんですが――直截的に申し上げましょう。……その少女と結婚していただけませんか?」


「は??? え??? ええええーーーーーーーーーーーー!?」

 祝賀会場内にひときわ大きな声が響き渡るのであった。
 異世界出張初日で幼妻ができた件について。
 ラノベ、というのか――そういう物語ならば、そのようなタイトルがつけられることであろう。

 ツネ――松岡常一の困惑ここに極まれり、といった調子であるのがありありとわかる。

「な、なんでそうなるんですか!? 僕まだここに来たばかりですよ!?」

 彼の戸惑いも当然であろう。
 彼のいた日本では到底考えられない。
 もっとも、『異世界』だからといえばそれまでなのであるが――

「まあ落ち着きたまえ。結婚といってもそう身構えていただかなくても大丈夫だ」


 テラー王国にとってこどもは共有財産。ある年齢まではごくわずかな面会時間を除いてトケサという共同生活を送ることとなっている。

 その後は各自親元で育てられることとなっているのであるが、くだんの少女には身寄りがない。けれど、ちょうどトケサを出なければならない年齢になったということで、間もなく保護してあげられる期限も切れてしまう。

 その場合は王国が婚姻相手を斡旋するような仕組みもあるのだが、残念ながら依然として差別感情のある『サロ』の少女を普通の民に任せるにはあまりに荷が重い。
 
 そこで、王と同じ出身である松岡常一が夫となれば、テラーの民も無下な対応をするわけにはいかなくなるであろう――という説明に、ツネは困惑しきり、といった調子だった。

「あくまで『この世界』での婚姻だ。そなたはそなたの世界がある。そなたの望む結婚はそちらで成就したらよろしい。夫婦そのものとならなくてもいい。形式的に、少女のヨセコ――寄す処となってほしいのだ」

 この世界的には筋が通っているのかもしれないが、この世界にとっての「異世界」人であるところの彼にはとても受け入れがたい理屈であったのであろう。

「そ、そんなの!」

 勝手過ぎる――と彼は言った。
 助け舟のつもりか、ここで上司の小鳥が話に加わる。

「そうよね。キミには日本に残してきた恋人がいるものね」
「あ、あいつはそんなんじゃないですって!」

 ツネは恥ずかしげに否定する。
 恋人ではないのかもしれないが、ある程度意識している存在であることは誰の目にも明らかなのだが。

「そうか……想い人がいたのか。まあ確かに余もそちらの世界では非常識なことを語ってしまってるのは百も承知。何度も言うが、あくまでも形式的なものだ。じゃあこう考えればいい。この世界でそなたの家に住み込んで、さまざまな世話をしてくれる。そんな女性ができたと――」

「お言葉ですが、承服いたしかねます」

 ツネは王の願いを突っぱねた。
 相手がテラー王であっても引くことがない。
 普段は気の弱い青年であるのだが、こういうところでは芯が強いので驚かされる。

「まるで女性に世話してもらうのが当然だというのは自らの信念に悖ります。それに彼女自身がそう願っていなければただの押し付けでしょう」

 仮にその少女自身がそう願っていたとしても、それは一時的なもの。
 もし外れの村で助けてもらったことに恩義を感じての行動だとしたら、なおさら危険である。何も持たない少女が最後に差し出せるのは、自分自身であると――そのような誤った認識を持たせるのは、人身売買にも通じる危うさがある――

 そう主張する彼に、テラー王は素直な感心を吐露する。

「……真面目だな、そなたは。決して皮肉として捉えてほしくはないのだが――なおのことそなたではなくては任せられないと確信するよ」

 今度は王の前にかしずいていた『サロ』の少女――セマラが、『異世界』ということで奴隷だの前近代的な風習があるかのようにイメージしているかもしれませんけれど――と前置きしつつこう付け加えた。

「テラー王は女性のことを第一に考えてくださっております。それにこれは、決して我々が彼女に強制していることではありません。彼女自身が強く望んでいることでもあるのです」

「彼女、自身が……!? ほ、本当に!? 強要したり、してませんよね……!?」

「それはもちろん。年端もいかない女の子が、危険もかえりみず、見ず知らずの人を探し求める――そんな、小さな子なりに踏み出した勇気を、どうか汲んであげてはいただけないでしょうか……?」

「ぐっ……で、でも……」
「大丈夫だって。幼い女の子と結婚してもロリコンってからかったりしないって」
「今からかってるじゃないですか先輩!」

 ――それに、とツネはさらに顔をこわばらせる。

「僕が本当に信頼に足る人間だという保証はどこにもありませんよ? 僕がこんなとこやってられるか! って言って仕事を辞めて、勝手に帰国してそのまま戻らない可能性だってあるじゃないですか。そうなった時この世界で取り残されるのは彼女だ。いい加減なことを言って一人の人生を左右したくない。結婚って、そのくらい重要なことなんじゃないですか!?」

「ははは、セマラ。やはり、おまえとその少女の目に狂いはなかったな」
「はい、まさしく」

「これも誤解してほしくはないが、なにもそなたをここに縛り付けるためのいわば人質として少女をあてがうというのではない。もちろんここで断る自由だってあるし、帰国してもらってもそれは致し方ないと思っている。繰り返しになるが、本当に結婚しろと言っているのではない。結婚というのがどうしてもイヤであれば、彼女が成長するまでの、家族の代わりと言い換えてもよい。――ところで、セマラ」

「はい」
「そのノトの少女は、この城にいるのか?」
「はい。この部屋の外に控えさせております」
「よし、連れてまいれ」
「ホア(はい)。コサコモラ・モサト(かしこまりました)」

「――松岡君。そなたの考えはよくわかった。ならば一度、その少女ともう一度話してみるとよい。その少女のことを少しでも慮ってくれるのであれば、結婚を考えてみてはくれまいか?」

 ……そんな言い方卑怯ですよ、とこぼすツネ。
 実際にロリコンであるかはともかく、やはり少女のことは気になる様子であった。
 
 
 ほどなくして、セマラが少女を連れて戻ってくる。同じ『サロ』であるセマラとつながれた手は、小刻みに震えていた。

「テラー様。その者を、ここに」
「ほう……やはり『サロ』はこの世ならぬ美貌を具《そな》えている――! きみ、名前は?」

「……」

 セマラに寄り添う少女は伏し目がちで、なかなか言葉を絞り出せずにいるようであった。そんな様子を見てセマラが代わりに答える。

「ソエラ。先程、そう名乗っておりました」
「ソエラ――小百合、か。なるほど、いい名前だ」

 よほど急いで追いかけてきたのか、それとも元からそうなのか。
 透き通った白い髪はところどころ癖っ毛になっていて、外にハネている。
 けれどそのように整髪に頓着していない状態でありながら、持って生まれた天賦の美しさはみじんも損なわれはしない。
 幼いながらもたおやかで、はかなげな美しさをまとうその少女に、ツネもまた釘付けになっていた。ソエラ……と、刻み込むようにぼそりとつぶやいていたのを聞き逃しはしなかった。

「どうだろう、松岡常一君。彼女は君の嫁として不足はない魅力を持っているのではないだろうか」

「っ……やっぱり、公衆の面前で値踏みするような、こんな――」

 彼の意志はやはりなかなか崩れない。だが――心の奥底に揺さぶられるものがあることも、間違いないようでもあった。

「……」

 ノトの少女――ソエラは何かを伝えそうにしているが、いまだ顔は伏せたままにしていた。テラー王があとひと押しとばかりに迫る。

「それとも、彼女では不満かね?」
「だからその言い方はひきょ――……ふ、不満では、ないですけど……」

 いつまでも煮え切らない態度でうろたえるしかできない彼のことは、少女からどう映るのだろうか。もっともそれは少女の身を案じてのことなので悪気はないのであろうが――少なくともそこにいた西風舘《ならいだて》小鳥はイラ立ちを鮮明にした。

「あのねぇ、キミ。ここまできたら、いい加減腹を――」

 こらえきれず小鳥が彼の胸ぐらを掴《つか》みかかろうとした、その時だった。

「オ、オノ(あの)……ッ!」

 少女は、あの村で逢った時と同様か、あるいはそれ以上に、精一杯の声を振り絞る。


「セッ……セカタセ……ッ……!!」


 彼女の言葉を、小鳥が訳して届ける。

「――好きです。これ以上ない、ストレートな言葉ね」

「――っ!」

 ツネの顔がみるみる紅潮する。 
 一回り年の離れた妹ほどにも体格差がある少女とはいえ、これまでの話の流れとして結婚の意味を知らないわけではない。それを前提にしたうえで、こうもありのままの想いを伝えられては、それもいたしかたないというものであろう。

 そんな彼の反応を見届けていた小鳥は、穏やかに言った。

「松岡くん。キミの負けね」
「……はい」

 耳まで赤くして、うつむくツネ。
 少女の無垢な好意が、国王やその周囲さえも動かした。
 並大抵のことではない。テラー王はこの国において神そのものであるから、ある意味で神にさえ祝福された出逢いということもできるかもしれない。

「ソエラ――ほら、行きなさい。あなたがつなぐべき手は、ほかにあるでしょう? 大丈夫、彼はあなたを迎え入れてくれる」 

 無言で頷く少女。うながされて、想い人との距離を縮める。
 少女はおそらく本来決して積極的に相手をリードするような子ではない。
 
 だけど、それでも――と自らを奮い起こして、ひとつひとつの言葉を、確かめながら紡いでいく。

「オ……オッ……オノ(あの)……!」

 そして、深々とお辞儀。長く伸びた後ろ髪が、さらさらと揺れる。それはまるで川のせせらぎのようでもあり、ツネは思わず息を呑んだ。

「ヨロサケ・オナコア・サモセ……!」

 ソエラという少女のこの言葉は彼にもすぐにわかった。
 
 ビジネスの最重要語として、事前に手渡された書類にあったからなのであるが――むろん、それがなくとも、彼女のまっすぐな想いを読み取れたのならば、容易に解することができたに違いなかった。

「……こちらこそ」


 ――よろしくお願いします――


 ひざまずいて、彼女の手を取った。彼が見上げた少女の目からは、涙がこぼれていた。


「オラコトエ……コトアモセ……!」 

 
 きらびやかな光に包まれた饗宴で惜しみない拍手が贈られる。
 この、人の温かさ。
 これこそが――テラー王国である。

「ふふっ。これはもう一度お祝いを開かないといけなくなりましたね陛下」
「そうだな。今日はテラー王国にとっても新たな門出にふさわしい日になった。王国の再興は、ますます加速するに違いあるまい。おまえもそう思うだろう、セマラ」
「ホア(はい)――そうですね。自分のことのようにうれしく思います」

 小鳥も彼の新しい門出を、彼女なりのフランクさで祝福する。

「おめでとう、松岡常一は研究家からロリコン研究家に進化した☆」 
「だからッ! ロリコンじゃないって言ってるでしょう!!」

 2人の気の抜けるようなくだけたやり取りに、テラー王もセマラもくすりと笑う。
 こうしてツネ――松岡常一の異世界の部族調査初日は、絢爛たる舞台での劇的な出逢いと、その後の夜を徹した祝祭で幕を閉じることとなった。

 


 一方その頃、コンタクトレンズを主力とする持株会社・メニアイルホールディングスの広報として、普段と変わらぬ日常を送っていた乙訓(おとくに)法子(ほうこ)はといえば――

「うわ、バズってるぅぅぅっぅぅぅ! どうしよどうしよ!?」

 自身の担当しているSNSの思わぬ拡散にバタついていたのであった。


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