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掌編

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2020年2月の記事一覧

月影が照らした雪原は、鼻先が悴むほどの寒さの中でも不思議な事に寒さを感じることはない。こんな日は足元を照らすなど無粋でしかなく、灯を持たないのが常だった。ぎゅ、ぎゅと雪を踏み締めながら畑へ向かう。雪原が明月に満たされた収穫の日。どうか良い薬になりますようにと、円い月に願いながら。

足元ばかりを見ていた視界に黒い長靴が現れた。大きな手が頭の雪を乱暴に払ったかと思うと、そこにぽんと何かを置かれた。驚いて伸ばした手に触れたのは、探していた祖父に貰った御守りで、ありがとうございますと顔をあげると、その人はもういなかった。雪の上に、足の跡すら残さずに。

お迎えにあがりましたよという母は大層若く、銘仙の愛らしい着物を着ていた。お待たせしましたと出てきた父も大層若く、上等なスーツに高山帽を被っていた。それは父の秘蔵の服で、道理で白装束は着せてくれるなとしつこく言っていたわけである。愛した妻に20年ぶりに会うのだから。

雪の無い追儺の夜に庭の奥から声がした。祖母に腕を引かれたかと思うと目の前で引戸の鍵が鳴る。あれは何と問おうと祖母を見ようとした目を塞がれ、お前は何も見なかった、何も聞かなかった、と泥濘みに沈むような声で言われればもう何も言えず、哀れな気配のその声はやがて闇に溶けていった。 #掌編