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読書メモ①『ハーモニー』伊藤計劃

かつてSF作家のウィルアム・ギブスンは「未来はここにある。それはまだ行き渡ってないだけだ」という名言を残した。1984年に書かれた彼の作品『ニューロマンサー』ではサイバースペースに脳ごと没入(ジャックイン)するというアイデアが展開される。現代の現実世界においてはブレイン・マシン・インターフェース(BMI)という技術が発展しており、脳波の刺激によって機械の操作が可能になるとしている。SF作品の想像力が現実に先行し、現代において実装されようとしているのだ。ギブスンはこの発言とこの作品と共に「サイバーパンク」といったSF文学のジャンルの先駆けとなり虚構の世界の想像力と、現実世界のコンピューターサイエンスの創像力に多大な影響を与えた。以上のことからSF(サイエンスフィクション)の本質とは「未来を予見する想像力」であり「現代社会を写す鏡」だと私は思っている。架空の社会を描くことによって、現実の社会について考えることができる。SF作品の面白さとは、詰まるところそこにあるのではないか。

前置きが長くなったが、今回紹介する作品は夭折の作家・伊藤計劃の代表作『ハーモニー』だ。伊藤計劃は日本SF界において、伊藤計劃以前・以降と言及されるほどゼロ年代のSFを象徴し、後の作家に大きな影響を与えた作家だ。「サイバーパンク」の系譜ともいえる、この作品はデビュー作『虐殺器官』と共に彼の2大代表作の一つ。2008年に刊行され、2015年にアニメ映画化された本書を何故今更紹介するのかと言えば、現実世界がここで描かれる世界に近接していると思ったからだ。

簡単にあらすじをさらってみよう。前作『虐殺器官』(『ハーモニー』では『虐殺器官』以降の世界が描かれている)で世界的な戦争と未知のウィルスが繁栄した「大災禍」が起こり、その反動としての健康・幸福至上主義が掲げられ、テクノロジーによって病気が駆逐された世界がその舞台である。善意や優しさ、幸福に溢れた世界。それは一見ユートピアに見えて、「真綿で首を絞めるような、優しさで息詰まる世界」と主人公が表現するようにディストピアにも見える。

物語の縦軸は、体制側に居ながらも違和感を感じている主人公・霧島トァンと学生時代の幼馴染であり、社会に対する反抗としてトァンを誘い、自殺を試みた御冷ミャハとの因縁、人間の意識を制御する「ハーモニー・プログラム」の発動を巡る物語だ。その横軸として、様々なテクノロジーと人間の意識や実在についての作者の考察が挟み込まれる。例えば作中に登場するナノマシン・及びそのシステムである「WatchMe」は人々の体内に注入されており、生体データをトラッキングし、現代における「政府」にあたる「生府」にデータが送信される。これをもとにした「メディケア」によって人間は健康で健やかな生活を送れるようになっている。

これは2008年に描かれた虚構の話だが、現実世界どうなっていくのかを考えると面白い。IOTによって全てのモノがインターネットに接続され、人々の行動がトラッキングされ、ビッグデータとして蓄積されていく。発達した人工知能が膨大なデータからパターンを認識して特定の傾向を導き出す。人はウェアラブルデバイスを身につけることでデータを常にトラッキングし、身体に不調やその予兆がないかを確かめる事になる。

未来学者のレイ・カーツワイルはその著書『シンギュラリティは近い』にて人間にナノマシンが注入されることで病気を直したり、知能を拡張する未来を提示しているし、歴史学者のユヴァル・ノア・ハラリはその著書『ホモ・デウス』の中で、人間と機械が融合し「死」を克服し、「ホモ・サピエンス」から「ホモ・デウス」へ進化すると書いている。現実の医療技術の発展は目覚ましいものがあり、遺伝子レベルで治療が可能になる「ゲノム編集」や人工的に生命を生み出す事のできる「人工生命」といったキーワードもよく目にするようになった。虚構のように感じるこういった技術は最早虚構ではなく現実のものとなろうとしている。

テクノロジーが発展し、浸透した社会ではどのような事が起こり、人々は何を考え行動しているのだろうか。「現実を映す鏡たる」SF小説に、現実が近接しようとしている。冒頭のウィリアム・ギブスンの表現を借りるとすれば、「未来が行き渡ろう」としている。刊行から10年以上経ったこの作品は、今読んでも色褪せず、寧ろ色鮮やかに現代社会を映し出している。

https://www.hayakawa-online.co.jp/product/books/21166.html


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