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【アドラー心理学】怒りのプロセスと目的論

嫌われる勇気と目的論

昨夜、久々に「嫌われる勇気」を再読した。

二度三度と再読することで、それまでの生活の中で取り入れられることなどが思い返され、より思考が定着しやすい。

序盤で語られる、原因論と目的論の話は、初回読んだときには軽い気持ちで読み始めたのでかなり飲み込みに時間がかかった。

しかし、改めて読んでみると身の回りに溢れる原因論の例が多いことにも気づかされる。そして、目的論に転換することの難しさも改めて思い知る。

一見、因果関係があるかのような事象や言動も、目的論に転換することで改善のプロセスが比較的に腑に落ちる。

目的論への転換例

例として昨日、妻と息子が口論していたが、「朝食が出来たので席につきなさい」という指示に従わなかったことが原因だそうだ。その怒りを、原因論から目的論に転換してみるとこのようになる。

怒る母親の思考シーケンス一例

1. 食卓について欲しいという欲求が生まれる

2. 「席につきなさい」と声をかける

3. 返事がないなど、相手が思い通りに行動しないことを認識する

4. 疑問が生まれる。「なぜ席につかないのか?」

5. 疑問に直感で解を出す。
(例;「遊びに夢中だから」)

6. いくつかの感情が生まれる
(例:不公平感 ※私は頑張っているのに相手は遊んでいる。または、自分の発言には権威がないと、軽くみられている。)

7. 改善策を考える。

8. 言い方を変えるなどして、2.「席につきなさい」と声をかける

9. 3.思い通りに行動しないことを再度認識する

10. 6.の感情が増幅し、より強い感情となる。
(例:憎悪 ※言うことを聞かない様が憎い。または、自分を軽く見る相手が悪い)
 ここでは多くの場合、4.5.の自問自答は既に解が出ているためスキップされる。そして、7〜9.を何度か繰り返し、さらに感情を増幅していく。

11. 更なる7.改善策を考える。ここで、語気を強め、怒りの様を見せ、相手を恐怖で屈服させる方法をとることとする。

12. 語気を強め、2.「席につきなさい」と声をかける。この時点から怒っている。

13. 売り言葉に買い言葉で喧嘩になる


このシーケンスが大きく誤っていないとすれば、やはり「怒る」ことにしたのは、自分自身であると言える。手順を踏んでいる以上、次の手順に進む選択肢は自分が選んでいるから、「怒らざるを得なかった」とは言えない。

さて、問題点はどこだろうか。

この中では、7.と11.のタイミングで改善を図っているにも関わらず、代替案がチープで効果が薄い手段を取っている可能性が高い。怒鳴るなど、恐怖で解決しようなどとは論外である。

例えば、一度声の掛け方を大きく変え「今どう言う遊びをしているの?」と一度ただ対話をすると言う行為に注意を向けさせると良いだろう。少なくとも話を聞く姿勢を取ってくれ、判断の材料が広がる。

また、「ご飯を早く食べたら続きをやってはどうか」など、急激に切り替えを要さない提案をする手段も考えられる。楽しみを後にすればさらに楽しくなるような仕掛けをしても良いだろう。「学校から帰ってきたら、一緒にやらない?」などだ。

まとめ

このように原因を追ってみれば、結局は他人のせいにしてしまうところが、目的論では自己の行動に改善を見出すことができる。アドラーが「個人心理学」とも呼ぶ所以だろう。

原因論を追求すればするほど、登場人物が広がる。先の例では息子が悪いし、私も協力しなかったのが悪いのだろう。そうやって原因が他者にもあると気づくたびに、少しずつ憎悪の念がうずき出す。

一方目的論では、自己解決できる改善ポイントが、個人の思考の中で発生しやすく、他者へ要求する要素が少ない。先の例では、目的を達成するための工夫は取るべき行動や考え方の変化で幾通りも生まれることがわかる。


人類が戦争を止めない理由は、このあたりにあるのだろうと私は確信している。

聖地が聖地たるのは過去の宗教勃興があったからだろうか。

それとも、人が祈りたいと思っているからだろうか。


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