珈琲を淹れる時間は禅である
コーヒーを淹れる時間は瞑想に近く、禅的な行いだ。
僕は豆を挽くミルを使っていて、ガリガリと音を立てて挽く時間は、生活のスイッチになっている。
コーヒーのサブスク「PostCoffee」から届いた季節折々の豆を少し細かめに挽き、ドリッパーに入れる。
沸かしておいたお湯を、黒いステンレス製のドリップポットに注ぎ、数十秒豆を蒸らす。
この時間は他に何もできないのでぼーっとしていることが多い。
時間がもったいないなと思って何か始めたが最後、コーヒーを淹れている最中であることを忘れて、あっというまに数十分過ぎて台無しになる。
そして3回に分けてお湯を注ぐ。カップはSnow Peakのアウトドア用のチタンマグを使っている。屋内に居ながらにして、アウトドアを感じれるからだ。
こうしてコーヒーを淹れている時間は5分から10分。
この時間は飲み物を淹れるという生活の一部でありつつ、精神統一の時間として特別なものだ。
あえて面倒なミルを使って豆を挽くというのが、普段の仕事や生活の中で触れるテクノロジーと相反しているのもいい。
不便なことをするという行いが修行と言えば大袈裟だが、電動や粉で買ってくるという楽をしようと思えば楽できるところをしないというのもいい。
また、普段の暮らしの中に取り入れるということが「禅」的であるし、ミルの取手を音を立てて回す行為はルーティンとしての役割でもある。
これから何かを始めるぞというときのルーティンとして豆を挽くのだ。
やりたくない面倒ごとや、気合を入れて挑みたい時、重要な打ち合わせの前などにはよく私は豆を挽いている。
リモートワークでずっと自宅にいると、永遠に働き続けてしまうこともできてしまうのだけれど、集中力を維持するためにもこうして時間にメリハリをつけている。
コーヒーがチタンマグにドリップされている間は、瞑想の時間でもある。
急いでもコーヒーは早く出来上がることはない。どこか慌てたり急いていたり、心の余裕を無くしてしまっている時ほど、このドリップを眺める行為というのは意味を成す。
静かに佇み、機をを待つ。
気づきを呼び込むように、冷静で平常な精神に統一するように、淹れたての熱いコーヒーの味を楽しむ。
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