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面倒な会議に参加する方へ

業務委託の現場に一緒に入ったフリーランスの方が、職場の愚痴をTwitterに投稿していたところクビになってしまった。

どんな過激な話をしていたのかはみてないのでわからないけど、今日は自分もそれとなく仕事の話をしてみたいと思う。と言っても全プロジェクトの話で、僕の従業員が参画しているので微妙なのだが、在り方を整理するためにまとめておきたい。

何の在り方かといえば、会議の在り方である。

そのプロジェクトでは、よくある週次定例会を開催していて、「最近どう?」みたいな話に始まり、各チームの進捗やら課題やらを話し合うのだが、メンバーも上役も意義をあまり感じていない。

というのも、先日お呼ばれしてメンバーだけの会話に参加すると、週次定例会はもっとこうあるべき、みたいな話があった。なにやらその時々のテーマで会話が繰り広げられて、ほとんどの参加者が置いてけぼりで終了するそうである。

要は本質的な議論がされておらず、それぞれの進捗を話す機会も最近では減り、会議の目的がさっぱりわからないというのだ。

一方で、その会に参加する上役とも話をする機会があり、せっかくなのでその会の話題を振ってみた。

するとその上役の方も同じ意見なのであった。ただ、その会議の在り方に関しては指摘をしていて、あるはずの優先課題についてもっと議論せよと提言しているのだという。しかしながら参加者から特にクリティカルな問題・課題に関しての議題が上がらず、無難な会議に終始しているのだという。

面白いのは(面白くないが)、その会のファシリテーターが一人いるが、自然と会議への不満がその方に集中してしまいがちだが、上役が言うのはファシリテーターの責任だけではなく、参加者の意見が少なすぎることが問題ではないかという。

僕としては半分くらい同意で、一つはファシリテーターもそれはそれで責務があるので「会議」の在り方をもう少し研究した方がいいだろうと言うこと。

もう一つはその方が仰るように、言いたいことを言わない会議なら参加しなくていいのではと言うこと。

メンバーの話を聞いていると、もっとこの会議はこうするべき、こう言う話をするべき、ということは頭にあるようなので、それをその会議の場で提言できないのは大きな問題である。

なぜ言わないか?は、プロジェクトメンバーだった頃に僕も参加していたのでなんとなく予想がつくのだが、人間関係的に面倒が起きる可能性を孕んでいるからだ。これはしょうもないのでこれ以上深堀りしない。

ただ、自分の仕事としている以上、面倒だが改善すべきだ、と思う事案に関しては、戦って叩かれたとしても、そういった会議の場で正直に話すべきだと考えている。これは自分の信念に近しい。

経験上、そこを遠慮して良いことがあった試しがないし、ストレスを増やすだけである。さらに真摯に業務に取り組んでいないことになるし、そのまま業務を進めても、どこか矛盾したビジネスになる。

面倒なことからはなるべく距離をとって、自分さえ良ければいい、このまま現状維持でいい、と言う考えが多分大きいのかなと思うが、短期的ならば良いと思う。長期的にみた時ならばどうかという意味では、「長く勤めるならば」と言う意味ではなく、その仕事を終えて、何なら転職して全く違う仕事についたとして、その仕事を振り返った時にどうかを考えるべきではないだろうか。

もっと言えば、その仕事から人生の時間の対価として、金銭ではない経験として、なにを得たのかとするときに、そんな会議の時間は有意義であったとは言えない。

僕は自分が参加する会議で、発言しないことがないようにしている。聞いているだけでいいなら、アジェンダを事前に見るだけ、あるいは議事録をメールで読むだけでいい。

リアルタイムに参加するというコストを払う以上は、そこに何らか自分の納得する成果を、「自分で」作るべきだし、それをファシリテーターや他の参加者の責任にするのは、なにやら違うなと思う。誰にでも多少の変える力はあるはずだ。

熱っぽくなってきたが、もちろん誰にも強制しないし、参加する側の様々な都合やモチベーションを踏まえると、あらゆるケースにこの考えを適用することはできない。

ただひとつ。この記事を読んだあなたが、「参加しているこの会議を自分にとって有意義な時間にしよう」と、一度でも思って行動に移してくれることを願う。

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