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他人の時間を軽視するひとたち

先日、stand.fmで配信したこちらのタイトル。半分ジョークのつもりだったんだけれど、内容をまとめていたら結構本気度の高い内容になった。

要は、「他人の時間を軽く見積もっている人」が異様に失礼に感じるという話だ。僕は、僕の時間を軽視されることが大嫌いだ。

誰かのために何かをしたいと思って生きているので矛盾しているのだが、軽視されるというのは、先方が面倒だから、とか、自分の仕事を相手にさせよう、とかそういった稚拙な小細工で僕を動かそうという卑怯さが滲み出ていて怒りを覚えることが多い。

それを上手くやってくれればいいのだ。

役割分担した上で、先方はこういったタスクを持っており、ここが手が回っていない、だからお願いしたいという態度が見えればなんとも思わないが、往々にしてカチンと来るのは、面倒そうに依頼を投げる、とか、そっちがやって当然だろ?みたいな横柄な態度が目に余る時。

これ、こちらも同じような態度をとってしまっていることがないとも言い切れないので、気をつけないとならない。

自戒の念も込めて、ここに記しておく。

心構えとしては、相手の時間を悪戯に奪うことが大変な罪であると認識するべきだ。

人間が唯一平等に持つ資源である一日24時間を、心地よく、大切な人のために、自分が成し遂げたい大いなる目標への一歩に使うべきだ、という考えを持つべきで、同じ価値観の人同士のコミュニケーションにおいては、こう言った苛立ちを抱いたことはない。

概ねこの価値観からは程遠く、人材を軽視しているマネジメントなどに僕は腹を立てることが多い。

アウトソーシング事業を生業としている人や、営業やコンサルティング出身のマネジメント、技術や現場作業から逃げた上で管理職に落ち着いた中年社員などが苦手なのだが、彼らの一部に、そういった「人を人としてみない」ような「時間の貴重性」の概念が欠如している人種がおり、そういった方々と方々と相対して来た経緯があるからだ。

人の上に立つ者、人を動かす立場にいる者は、相手の時間を自分の時間よりも貴重性の高いものであると認識されていただきたいと考えている。

ぜひ一緒に自らを省みる機会として頂ければ幸いである。

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