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AIは美術の家庭教師(きまま / Easygoing さんの記事に触発されて)

きまま / Easygoing さんが投稿なさった『【Flux.1】 AIから学ぼう! 最高の写真の撮り方を考える』から学んだ大きな気づきを得たので、それについて記したいと思います。

 きまま / Easygoing さんの記事は、こちらです。

 Flux.1にどこまでのことが出来るかを理論の裏付けをもって具体的に説明している記事です。
 美しい生成画像が多数紹介されていて、Aiイラスト美術館を見て歩いている気分になってきます。Ai画像生成に関心のある方にお勧めの記事です。


1.教師としてのAI

 この記事を読んで、私にとっての最大の気づきは、Aiは教師として使うことができるということでした。この点を、きまま / Easygoing さんは、ズバリ、次のように書いていらっしゃいます。

AI は、人間が到底学習できない 50億 もの画像データから学んでいます。
また、それぞれのカスタムモデルには製作者のセンスが凝縮されています。
今回の取り組みを通して、AI に構図のアイディアをもらう という新しい使い方ができると思いました。

きまま/Easygoing さん記事から引用/太字は原文のママ

 なんと言っても、AIが、私たちが独りでは学習不可能な50億という膨大な画像データを学習していることが大きいと思います。画像生成AIは、人類の美術遺産の宝庫であり、世界中の一流美術館を集大成したようなもと言えるでしょう。

2.「ゼロからの創造」は、存在しない

 画像生成AIを活用することに対して、「AIは他人が描いたイメージを記憶しているのだから、それを使って創作しても、他人の真似事にしかならない」という反対意見を時々耳にします。

 では、AIがなかった時代のクリエイターは、いっさい他人の真似をせず、100パーセント独創で作品を産み出していたのでしょうか?

 
私は、決して、そんなことはなかったと思います。簡単な事実として、絵描きになろうと思って美術学校に行けば、いやでも応でも、過去の巨匠たちの作品を見せられてしまいます

 見てしまったものは、脳が覚えます。忘れようとして意識から消し去ることはできるかもしれませんが、意識下に記憶の痕跡が残り、それがどこかで自分の作品に影響することが大いにありそうです。

 文学の世界では、自ら筆を執る以前から大変な本好き・読書家だったという作家が多いものです。

 映画監督のスティーブン・スピルバーグは、撮影前や制作に行き詰ったときには、ジョン・フォードの『捜索者』、黒澤明の『七人の侍』、フランク・キャプラの『素晴らしき哉、人生』、デヴィッド・リーンの『アラビアのロレンス』を観るそうです。

3.真の「作家性」とは


 すべてのアートは、人類の文化遺産から学んだことの上に成り立っていると、私は考えています。したがって、ゼロからの創造などということは、あり得ない。
 にもかかわらず、私たちは、あるクリエイターにしか表現しえない”なにか”をそのクリエイターの「作家性」、「個性」、「独創性」と呼んで高く評価します。

 では、この「作家性」とは何なのか? それは、人類の文化遺産から学んだことの重みに圧壊されず、それを押し返して立ち現れてくる、そのクリエイターにしかない「持ち味」だと思います。

 つまり、他者からどれほど学ぼうと、他者をどれほど真似ようと、それを押しのけて立ち現れてくるのが真の「作家性」です。そして、それは、そのクリエイターの生き物としての特徴およびそのクリエイターの生きざまと切っても切れないものだと思います。

 ただし……です。「どれほど学ぼうと、どれほど真似ようと」と言いましたが、さすがに、限度はあると思います。
 「作家性」を窒息させないために、学び過ぎを避けることや、いったん学んだことを忘れるアンラーニングが必要な場合もあると、私は思っています。

4.AIは「どこでもドア」を持った家庭教師

 話が少しそれました。もとに戻します。

 すべてのアートは、人類の文化遺産から学んだことの上に成り立っています。そして、その文化遺産を、AIは、独りの人間には不可能なボリュームで学習しています。

 
ですから、AIを使って創作することは、行き詰ったり、悩んだりしたときにヒントをくれる美術の家庭教師が隣にいてくれるのと同じだと思います。それも、全世界の一流美術館に通じる「どこでもドア」をもった家庭教師です。

5.AIが突き付けてくる原初的な問い

 上で述べたようなことから、私は、画像生成AIを大いに活用した方が良いと思っています。

 しかし……です。もし、描くことの醍醐味のなかにAIを使うことで失われるものがあるとしたら、それは問題だと思っています。
 「どこでもドア」にたとえれば、「どこでもドア」を使って「日本百名山」すべての頂上を訪れたとしても、山登りの醍醐味はぜんぜん味わえないはずだし、それは、人間からひとつの可能性を奪うことでもあります。

 そのように考えると、画像生成AIは、私たちに、「人間にとって描くことの本質はなにか?」という原初的な問いをつきつけているのかもしれません。

 ここまでお付き合いいただき、ありがとうございました。

 





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