久利多ジン郎

あなたが貴重な時間をさいてくださった事に敬意をもって。

久利多ジン郎

あなたが貴重な時間をさいてくださった事に敬意をもって。

最近の記事

夏。

私の住むこの日本という国にはざっくりと言うと四季がある。 世界には年中夏、または二季と言う国も決して少なくはない。 ではお話を本題に戻すとして。 日本人にとって四季とはなにか? なんと不思議な事に日本人にとってこの季節の移り変わりが心や精神や人生に大きな影響を及ぼすものなのだ。なんと恐ろしくも儚い。 人は春になると一歩進もうとする(芽吹きの季節だからだろうか?)夏になると恋人の居ない同士は惰算的にカップルと言うものを演じようとする。ほとんどと言っていいだろう夏の恋愛は『一

    • お金に殺される。

      私達はお金に殺される。 そんな私達が死ぬとお金が入るのだ。 それはとても皮肉なもので『お金がない』『生きていけない』と嘆く人ほど死から遠いのだ。つまり私達メンヘラはしぶといのだ。 普通の人なら自殺する様なストレスやトラウマに遭遇したとしても過去にそれ以上に傷付きそして立ち直り『今』生きている。言わば勝者なのだ。 迫り来る死期を目の前に通帳を眺め、あと何日生きれるだろうかと模索する。 そして追い詰められた結果自殺するのだ。 そんな人間の葬式はコソコソと噂話が尽きない。都会なら

      • 『紫苑』

         仕事から帰ってくるとポストに一通の封筒が入っていた。淡い色の封筒にとても綺麗な字で私の名前が書かれていた。いつ見ても彼女の見た目とは相反する丁寧な文字には驚かされる。封筒を手に取ると少し何かの重さを感じる。封筒の中からはジャラッと鉄の音がする。何か金属が入っているらしい。(あゝ多分ネックレスだ。)嫌な予感がする。私は慌ててマンションの階段を駆け上がった。バタバタと駆け上がる度にジャラジャラと音を立てるそれに合わせる様に私の心臓も雑音を立てていた。何かの間違いであってほしい。

        • 「青き春の病」

           その日、中庭には春の柔らかな空気が満ちていた。日差しも温かく眠気を誘うようなお昼だった。その中庭に一人白く輝く人いた。二、三人からなる友の輪の中心でクスクスと笑っている彼に私は目を奪われた。それが彼を初めて見つけた時の事だった。 笑う度にそっと口元に手を当てる彼の手は白く綺麗で細々としていてその笑い方一つで彼が優しい人なんだと証明するには十分だった。(温室育ちというのは彼のことを指すの言葉なのではないだろうかと私はふと思った)土をいじった事も、重たい荷物もきっと持った事もな

          私がこれまで会った中で1番粗忽な人。

          私が日々の暮らしの中で粗忽者や粗忽な行為と出会した場合一つの判断基準で分類している。それはその行為に悪意があるかどうかです。悪意有る粗忽者というものには毅然とした態度で然るべき対応を行わなけれなりません。そうでなければ受け手が不快な思いをしたり実害を被るものなのですから。自己完結した悪意有る粗忽者というものに関しましては「触らぬ神に祟りナシ」つまるところの「お好きに自滅しなさすって」という訳です。しかし悪意無き粗忽者、これが厄介なのです。何故なら悪意が無いが故に当人は必死に正

          私がこれまで会った中で1番粗忽な人。

          内田 樹の「街場の文体論」

          先ずは人物紹介から。 内田 樹(うちだ たつる)教授。 神戸女学院大学名誉教授 日本のフランス文学者、武道家(合気道凱風館館長。合気道七段、居合道三段、杖道三段)、翻訳家、思想家、エッセイスト、元学生運動家、専門はフランス現代思想 彼の講義を受ける前に彼はこんな課題を生徒諸君に出したのだ。 「私がこれまで会った中で1番粗忽な人」 に、ついてレポートを提出しなさいと。 要約してルール説明をすると、 ①ショートストーリーを1000字以内。 ②文学的テクニックは必要なく説明するチ

          内田 樹の「街場の文体論」

          私と文学について。

           さて先ずは、はじめまして。 やはり礼儀というものは大事ですね。 私は語彙力に富んだ訳でも学がある者でもございません。そんな私の拙い文字にお付き合いいただける方がいらっしゃいましたら感謝感謝でございます。(誤字脱字、言い間違いはご愛嬌で)  さて、読書が好き文学が好きという方々は多くいらっしゃるかと存じます。しかし私にとってはこの記事が世界に排出する記念すべき一文となります。先にも述べました通りどうぞお手柔らかに。 私の自己紹介?その様な野暮な事は避けておきましょう。しかし

          私と文学について。