「青き春の病」

 その日、中庭には春の柔らかな空気が満ちていた。日差しも温かく眠気を誘うようなお昼だった。その中庭に一人白く輝く人いた。二、三人からなる友の輪の中心でクスクスと笑っている彼に私は目を奪われた。それが彼を初めて見つけた時の事だった。
笑う度にそっと口元に手を当てる彼の手は白く綺麗で細々としていてその笑い方一つで彼が優しい人なんだと証明するには十分だった。(温室育ちというのは彼のことを指すの言葉なのではないだろうかと私はふと思った)土をいじった事も、重たい荷物もきっと持った事もないであろうその指や腕はとても白く細々としていて美しかった。ピアノを弾かせたらきっと見ものなんだろうなぁとそんな事を考えていると急に「なあ、聞いてるのかい?」と友の声がし、ふと我に返りすぐさま適当な相槌を打つ。「ん?勿論聞いているさ」空返事というものはきっとこの事を言うのだろうし「心ここに在らず」は今の私の事を指す言葉なのだんだろうなぁと思う。
それにしてもあの人は綺麗だったなぁとやはり思い返してしまう。
振り返れば今一度その白さを目にする事は叶ったであろう。しかし何故かその時はそうしなかった。何気ない日々の何気ない出来事で、きっとひと月もすれば忘れてしまっているであろう出来事だと思ったからである。
しかし実際にはそうはならなかった。この日の出来事は初めの数ヶ月は私を強く苦しめこの胸をギュッと締め付けたのであった。生涯を通してみても度々思い返され、その度に口当たりは軽いのにその後味は香り高きビターチョコの様にいつまでも尾をくものであった。きっと珈琲が合う思い出があるのであればこの思い出の事を指すのではないだろうか。

 青き春は駆け足の如き早さで過ぎ去ってしまった。あの彼と言葉を交わす事は何度かあった。透き通る様な声で彼はいつも話しかけてくれて私の事を笑顔に変えてくれた。しかしそんな私の笑顔を昏く変えてしまうのも彼だった。何故かというといつも彼が私の事を名前で呼んでくれないからなのです。「キミ」と言われた瞬間、そこには突如壁が出来た様に感じるのであった。「私の事も名前で呼んでよ」そんな事をいきなり言ったら彼はどんな反応を起こすだろうか?他の友にもそう振る舞う様になんという事もなく私の名前も「⚪︎⚪︎くん?」と呼んでくれるやもしれない。さもなくば永遠の様に永く感じる気不味い時間が二人にだけ流れ、「えっと、、僕行くね?」と彼は去ってしまうのだろう。指一つ動かす事の出来ない石像の如く固まってしまったままの私をその場に置いて。残された私はどんどんと熱を持ち赤らんでいく耳の温度と拍動を感じ、自ら発した言葉の重さに後悔をしながらその唇を固く噛み締め、いっそうの事血でも滲んででもくれたならば幾分か慰めにもなっただろうにそれすらも叶わない。制服の袖の端をこれでもかと固く握りしめ、この場から一秒でも早く離れたくて私は彼が去って行った道とは真逆の道へと駆け出して行くのであろう。そう。これは私の想像であって事実ではないのだ。しかし恥ずかしい。恥ずかし過ぎる。想像しただけでも鮮明に思い描かれてしまう事の結末に恐怖する。ぞっとする。きっと駆け足で過ぎ去って行くこの青き春の陽気に当てられてしまってそんな事を口走ってしまいそうになるのだ。そんな事は度々あってその度寸前で踏み止まるのが常であった。実際喉元まで出かかっていたに違いない。そんな晩には枕に顔を埋め泣き叫んだのであった。
私の春は青だったのであろうか?青?
青春は青。ファーストキスは檸檬の味。そんなものは当人以外には何ら意味を為さないお話しなのだ。初恋は叶わない。うん、それには共感を出来てしまう。私の初恋が叶う事はきっとないのであろう。時代が違えば、立場が違えば、世界線が違えば、あれもこれもが違えば私はこんなに苦しむ事はなかったであろうに。

 私の長きに渡る青き春は卒業式の日、
その一切をアルバムと共にそっと閉じた。

 それから幾度の春が訪れた事か。社会人となり世の中の多くを知り多くを経験してきたつもりである。気が付けば私の手はもう真っ黒であった。笑える話しではないでしょうか?白に憧れていた、焦がしていたあの私がその対色に身を染めてしまっていたのですから。苦くて飲めなかった珈琲はいつの間にか飲めるようになり、嘘をつく時の笑顔は上司に褒められている。(部長、その発言はセクハラではないですか?私だから許されていますけれど他の女子社員への発言にはお気をつけください。)裏の裏は表だと信じて自分を騙して生きてきた。もうそれに慣れていてそれが常であったのに。。。
その手紙は突然私の元に届いたのであった。勿論それは私に限ったものではなかったのではあるが。(この手の類いの出来事というものは忘れた頃にタイミング良く来る様にでもなっているのであろうか)
 
 会社に居て時も帰り道でもその手紙の事で頭がいっぱいになってしまう。自宅の机の上に置いているあの手紙。「同窓会のお知らせ」。
ずっと、ずっと、ずっと、忘れていた彼の白さが急に鮮明に思い返される。

 何年ぶりになるのだろうか。私はもうすっかり変わり果ててしまった。きっと同窓会には行かないであろう。「思い出は思い出のままに」が一番美しいと聞く。

 しかし何故だろう。その手紙が届いてからというもの、手を洗う時間が長くなりお得意の営業スマイルがぎこちなくなった様に感じるのは私の気のせいだろうか。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?