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実家を「家族社会学」する

 本稿は、家族社会学の初学者向きのテキストをとった経験から、筆者の実家の家族史を一事例としながら、"内在的に"自身の家系をめぐる問いを立て、作業仮説を示して分析可能かを実験することを目的とする。

 19世紀前半にフランスのコント(1798-1857)が「社会学」の語を提唱して以来、社会学は様々な問いを立てそれらを実証・解釈し、分派し継承されて多数の理論が派閥化してきた。同時に、扱うトピックの幅も広がり、現在では膨大な数の枕詞を頭に載せながら「社会学」が存立している。理論、理解、知識、労働、政治、経済、教育、ジェンダー、医療、スポーツ、青年、エスノメソドロジー。列挙すればとても手足の指の数では足りない。そして本稿で扱う家族社会学ももちろん社会学の発展の過程で生じた1ジャンルである。

 ジグムント・バウマンは、社会学の特徴について、「人間の行為を、広範な形成作用(figuration)の要素として考察すること」(バウマン〔2001〕=2017)としている。相互に依存する広い幅での関係の網の目の要素として、個々人の行為・生を眼差すのが、社会学の特徴ということだろう。

(1)どのような社会関係や社会に帰属するかということと、(2)わたしたちが互いを自分や自分の知識を、行為や行為の結果をどのように認識するかということが、どのように関わるかを問うのが社会学である。(バウマン〔2001〕=2017:22)

 筆者自身は社会学的問い(リサーチ・クエスチョン)のパターンとして、大きく4つに分類して捉えるように心掛けている。研究者および学生、他の学問人によってその設定の仕方は様々だろう。偶然にも筆者は3年前に、『テキスト  現代社会学(第3版)』の1章を通読したことで、極力最小限のカテゴリに社会学的問いを分類しようとするとき、4種類に大別できると学習したのである。

 それぞれ問いの形で示す。①「なぜ社会秩序が維持されるのか」②「なぜ社会秩序が崩れるのか」③「個々人と社会はどのような利害関係を結び、力を交換しているのか」④「個々人と社会はどのようなシンボルにどのような意味を付与し、相互作用を行なっているのか」の以上4種類が、典型的な社会学的問いである。それぞれに対応する主な社会学理論として、①に機能主義、②に葛藤理論、再生産論、③に交換理論、合理的選択理論、④に象徴的相互作用主義(Symbolic interactionism)、構築主義が挙げられていたと記憶している。これは概ねバウマンの示した社会学の特性に合致するものであろう。

 現在学部3年生から修士課程1年生の教育社会学研究室の学生で行なっている、「ジェンダー・家族社会学読書会」の主要文献として、永田夏来ら編著の『入門 家族社会学』を読むことになった。これがきっかけとなって、家族社会学を初学者然として学ぶ機会を得たのである。家族社会学という自律性の高い領域と言えど、社会学の一領域であることに間違いはない。上述のような社会学的な根幹の問いを踏まえて、複数回にわたる読書会で研究に有意義な知見・考察を育んでいきたい。

 社会学が近代以降の学問であることから、家族社会学の問題自体も近代以降の形態に問いを設定し、これを論証する型の研究が多い。まず現代日本で大前提とされている家族社会学の命題を確認し、現代日本の歴史的文脈に導入する。その上で、実際に筆者の実家の例を挙げ、現代日本の家族社会学の問いと分析枠組み、論証が筆者の家系にも適合しているかを確認する。大前提とされている家族社会学的命題を以下に羅列する。

ⅰ 家族変動は、前近代社会・近代社会・現代社会の3段階のモデルで起きている。前近代家族から近代家族への変化では主婦化(男性の稼ぎ手モデル化)が起きた。近代家族から現代家族への変化では脱主婦化(落合 2014:536)が起きた(永田ら編 松木 2016:23)。

ⅱ 男性稼ぎ手モデルの持続が、結果として、人びとの家族形成を妨げている(永田ら編 松木2016:24 )。女性の労働参加の停滞や少子化がその代表的な帰結とされる。

ⅲ 日本のさまざまな社会制度では、夫のみがおもな稼ぎ手モデルになるという家族のすがた(性別役割分業型家族)が前提とされつづけている(永田ら編 松木2016:27)。

ⅳ 家族や子育てについての「常識」は、社会によって大きく異なる。しかし長tら、パーソンズによって家族の恒常的な機能として「子どもの社会化」と「成人のパーソナリティ安定」が定式化された(永田ら編 野田 2016:24 )。

ⅴ  近代家族の終焉は一般に、「個人化」の概念で説明される。ウルリヒ・ベックが起点となったこの議論だが、現代日本では子育てにおける家族の負担は増大する一方、家族主義は解体されず残存している(永田ら編 野田 2016:62)

 以上が、今回の読書会のテキストに明記された現代日本における家族社会学の命題である。問いの立て方によって、依拠すべき社会学理論が自ずと定まっていく例は多いだろう。機能主義的な分析枠組みが妥当な問い、構築主義を前提にそのシンボルの意味に迫っていく研究手法、などといった形で論理の連鎖や連想が連なっていくのが筆者の社会学的思考の一つの傾向である。精緻で重要な知見はテキスト内に散在するのだが、現代日本の文脈に強く引きつけるために、更に二段階の思考パラダイムを経ることにした。

 まず、着眼の仕方について、内在的および外在的な問いの提示が、家族社会学ではとりわけ重要になってくることを述べる。続いて、筆者の実家の事例を導入する。

 筆者自身、最近になって意識するようになった概念だが、内在的/外在的な問いの区別を厳密に行なった上で論証を進めることが肝要である。一般的意味は辞書を参照するとして、家族社会学固有の文脈に引きつけて分類の基準を明確にしよう。①家族内部にフォーカスし、生じた問いを深化させ、現象の内部にその根拠や原因を求める問題設定および論証が、内在的なアプローチである。他方で、②家族の集合や家族外部––––具体的には企業社会、政府、国家、「世間」といった家族外部––––のファクターに現象の根拠や原因を求める問題設定および論証が、外在的なアプローチである。例えば、ⅱやⅲに即して、性別役割分業型家族がなぜ継続的に現れるのか、を分析するときに「モデル」やそれに付随する現象を対象とすれば、これは「世間」や福祉社会の作用にフォーカスした外在的な問いとなりやすい。他方で、ⅴに即して、家族内における夫婦の間の関係性が個人化する現象を対象とすれば、これは夫婦内および家族内の関係性にフォーカスした内在的な問いとなりやすいだろう。

 この問題設定と論証のパターンを示した上で、家族社会学初学者の筆者は自身の家系を祖父母の代まで辿り、自身の家族が歩んだ歴史を一事例としながらどのような家族社会学的問いが立てられるか、検討することにする。

 以下が、筆者の親戚で特に関係が深い人々の生没年とプロフィールである。従兄弟や外祖父や大叔母などといった縁戚関係の薄い人々は、リストから省いた。なお、もちろん多分にプライバシーを侵害するおそれのある内容であるため、いかなる理由であれ下記の記述を引用してメディアで発信することは避けられたい。このnoteに対する応答、パーソナル(私秘的)なコミュニケーションに限って、以下の内容に言及してもらうことはよろこんで許諾する。それでは、筆者自身の親類のプロフィールを概観する。


母方--------
祖父(1917-1998)
大阪・枚方市(?)に誕生。長男。京都市内に生家があった。銀行員として関西および上海で勤務。戦後帰国し、9歳年下の祖母と結婚。多趣味で音楽や遊戯に熱心だったという。60代半ば以降発病、介護の期間はほぼなかったという。

祖母(1926-2017)
大阪・茨木市(当時は島本郡)の生まれ。6人きょうだいの4番目。長女。高等女学校を出て、戦争末期には代用教員をしていた。許婚の相手であった青年を亡くし、40年代後半に結婚。50年に伯母(存命)を、52年に伯父(存命)、63年に母(存命)を出産。2010年頃から要介護、のちに施設介護へ。

伯母(1950-)
長女。弟(伯父)の誕生後は曽祖母に預けられ、生家と離れて暮らした。東京の女子大学の文学部に学ぶ。〇〇文学専攻(文学博士)、ホテルの採用を蹴り大学院に進学。独身。滋賀県、京都府、愛知県、〇〇県の大学に勤務し、現在は非常勤講師。

伯父(1952-)
長男。府内の高校卒業後2浪して神奈川県の大学へ。大手〇〇〇メーカーに就職し終身雇用。二女(筆者の従姉妹)の父。静岡県に居を構え、現在は〇〇府在住。

父方--------
祖父(1935-2005)
鹿児島県出身。農村の次男。おそらく高卒。建設省勤務で滋賀県、奈良県に転住。トンネル建設やダム建設の現場に関わった。階級の高くない実務型の役人、といった印象が残る。〇〇県北部にログハウスの別荘を築く。別荘は現在筆者の父が整備している。

祖母(1936-)
宮崎県出身。高卒。中学校の先生(代用教員)をしている時期に祖父と若くして結婚。65年に長男・父が誕生する頃には専業主婦になった。叔母が滋賀県の生家で育ったこともあり、滋賀県で専業主婦を約30年。祖父の逝去後ひとり暮らしだったが、約2年で〇〇〇に倒れ、以来岐阜で生活。

叔母(1969?-)
滋賀県出身。短期大学卒。〇〇・〇〇職に従事。県内で結婚し、二男(筆者の従兄弟)の母。夫は大卒(?)。おそらく電機メーカー勤務。正規雇用に復帰しているはず。

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父(1965-)
滋賀県生まれ。愛〇県の難関私立中学に転入、1浪、理系出身だが文系入試で京都大学に入学。1留、M3を経て後期博士課程に進む。教育学博士。高校の非常勤講師先で母に出会い、95年にD1の地位で結婚。福井県、岐阜県の〇〇へ転勤。05年に木造のマイホームをローン購入。

母(1963-)
京都府生まれ。小学校から大学附属校に通う。1浪、京都〇〇大学に入学。芸術系の〇〇専攻。〇〇の非常勤講師、〇具店員として勤務。95年の結婚後は専業主婦で、96,98,03年に男児を出産。06年頃から〇〇講師業を再開。断続的に非正規雇用で勤務し、〇〇教員免許を通信課程で取得。

筆者(1996-)
滋賀県大津市生まれ。幼稚園は福井県。小学校入学のタイミングで岐阜市へ。県内の公立小中高等学校を卒業、1浪して京都大学教育学部に入学。研究者養成コースに所属。

弟(1998-)
次男。高卒認定。〇〇の道を志し上京。生計はほぼ完全に自立。現在は諸事情で〇〇県に在住。

弟(2003-)
三男。高校在学中。四年制大学進学を希望する。

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 以上が筆者の親類のプロフィールである。ここで、実家をめぐる家族社会学的命題を列挙する。前述の通り、家族社会学的な問いを立てるべく、命題を立てて家系を整理する。①から④までは特に、内在的な命題になるよう腐心した。

①母方の祖母と母は、いずれも30代後半で第3子を産んでおり、かつ年長の二子からかなり時間的間隔が空いている。これは二子の幼児期が終わり、ケアの負担能力に余剰が生じたというのが一因である。

②大正末期から昭和初期に生まれた祖母は、専業主婦を貫いた。これは、男性稼ぎ手モデル全盛のもとで夫が十分な収入を得ていたことと、家庭から通学する娘が50歳前後までいたことが理由である。

③家事や育児の負担は、筆者の家計ではほぼ常に女性(=母)が担っている。母方の伯父が生まれた際、伯母は曾祖父母(祖母の父母)に預けられているように、1950年代には子ども(特に女児)を親戚に預ける例が存在した。家事や育児の負担を積極的に引き受けた父親は、確認できていない。

④生計を自立する弟がいる状況に象徴されるように、現代の家族になるほど家族の個人化が進んでいる。家族の意向や論争があって就職や結婚が決まった前世代と異なり、親の指導から離れて生計を立てようとする個人の存在がある。

⑤長女で高学歴の伯母は、未婚のまま高齢者となったが、これは男性稼ぎ手モデル(性別役割分業)が社会の広範にわたっていたことも一因にある。

 以上のように命題を立てることができた。入門書であることが一部作用して、精緻な分析や同時代の状況にまで深くアプローチすることはできない。それでもなお、上述した家族社会学の問いの立て方、主要な命題に照合するとき、筆者の家系は相当程度日本の近代・現代家族が歩んできた道のりを、同時代的に経験してきたものと想定できる。研究の専門にすることはないだろうが、社会学一般の問いの立て方と家族社会学特有の問いの立て方を踏まえた上で、その研究手法や新たな知見に関して、理解を進めていきたい。

 筆者の問題関心に引きつけて、あえて家族社会学のアプローチを選択するならば、「教育的な父親(イクメン)さらにはケア負担を厭わない男性には、どのような属性の人物がなりやすいのか」を実証的に分析してみたい。個人のパーソナリティに帰着されやすそうな問題だが、これは実父から教育的な指導を受け家庭内での男性の役割を相対化することができたことによる再生産論(葛藤理論の流れをくむ)なのか、あるいは外在的に政府や行政のファクターを導入して制度的に担保された中で余剰のコストを持った男たちが身につけることができた、行財政の作用によってはじめて機能する(機能主義)ものなのか。書き始めるといつ終えられるか分からないので、この辺りで区切りにしておく。


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