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器とシロップが紡ぐ朝の穏やかなひととき。

朝は慌ただしい。とにかく慌ただしい。
でも朝食はしっかり摂りたい。
朝食は抜いていますなどの類のお話には賛成できない。
朝食がなければ1日のスタートがなんだかあやふやになってしまう。
朝食の時間がゆっくり取れると、その日は調子が良い気がする。

刻々と流れる時間の中でぼんやりとした頭とカラダを起こしてゆく。
目が覚めてカーテンと窓を開ける。
ベランダの花が元気に咲いているなと感じる、シャワーを浴びる、お気に入りの化粧水で気分を高める、お気に入りのBGMを流す、珈琲を淹れる、目玉焼きを作る、トーストを焼く、朝食の支度を整える。
一連の流れを終えたらいよいよ朝食の時間がやってくる。

このなんでもない流れに最近新たな愉しみを見出した。
朝のルーティーンのような時間にほんのすこしの変化をもたらしてくれた。
それが器、シロップ、そしてたっぷりヨーグルト、という朝をもっと愉しむための三種の神器。

変化をもたらす前のヨーグルトとの接し方はこうだ。
朝の忙しさは時短を良しとする。
だからヨーグルトは主に飲めるタイプのヨーグルトを愛用していた。
寝起きに飲むとスッキリ優しくカラダに入っていく、なによりも手間が掛からないから時間が取られることなくなんとなく健康的な気分になれるという、いささか曖昧な気持ちでヨーグルトをルーティーン化していた。
ヨーグルトに申し訳ない、というほどでもないが、きちんと接していなかった気がしてならない。

このルーティーンに変化をもたらしたのが、上記の三種の神器。
正確には器とシロップが手に入ったので久々に固形タイプのたっぷりヨーグルトを買ったということになる。
この順番が正しいのか逆なのかはさておき、今回に関しては食卓へ変化を与えるキッカケとなったのは、ヨーグルト側ではなく器側とシロップ側だった。

器は鎌倉にあるAt Home Worksというアトリエ、陶芸作家の林彩子さん率いる場所で全てひとつひとつ手作りで手間暇をかけて作られている。


花浅葱のちょこと名付けられたそれは、浅葱色で釉薬による化学変化で涼しげでもあるし温かみもあるという不思議な感覚の器。小さめなので、ちょっとした休憩の飲み物を飲んだり色々使えることからヨーグルトのちょっとカラダの健康のために食べておきたい、という欲求にも合うと思った。
自然の揺らぎを感じさせる器であり、作り手の温もりを感じさせる器は、大量生産のどれも寸分変わらないものには決して真似出来ない、心地いい時間を極々自然に日々の暮らしの中にそっと寄り添うように提供してくれる。


一方、シロップは玉川学園前の駅前に近い場所にあるPARTAGE(パクタージュ)というパティスリーのもの。可愛らしくも骨太で芯のある、そして時にお酒を容赦なく効かせていたりするオトナ嬉しいフランス菓子を提供しているお気に入りのお店のもの。シロップの瓶の裏面のシールには「天草晩柑のシロップ」と書いてある。
今年の春にオープン6周年の記念祭で駆けつけた際に、一緒にお祝いした(つまり復刻周年ケーキたちを買いに来た)皆への感謝状のようなカタチで、オーナーパティシエールの齋藤シェフからプレゼントして頂いて、それをいつ開封しようかとずっと勿体ぶるようにしばらく眠らせていた。

さて、6月の空気、梅雨時のあの朝から憂鬱になりそうになる重たい空(実際は翳りのある感じは嫌いではない)、カーテンの向こうが明るくなるのが随分と早くなったものだなと思いつつ、朝は来るから支度をする。
朝の時間は低空飛行のようにまどろみの中で半分進んでいる。
朝食を摂りながら徐々にカラダが起きてゆくような状態。
そんな中でのヨーグルトの時間は何か特別な気分を運んでくる。
いわゆる朝食における仕上げのような優雅なデザートの時間のような。
この時間を取れるかどうかは1日のコンディション、気持ちの良いスタートが出来るかどうかに関わってくる。
冒頭で書いた通り、飲むヨーグルトであればコップに入れるだけで、もしくはプラカップの蓋をめくるだけで片手間にグイッと飲める。
対してデザートの時間のヨーグルトを愉しむには少なからず手間が掛かる。
それは儀式のようなものかもしれない。
気持ちのいい朝を迎えるための儀式。
まず、お気に入りのAtHomeWorksの花浅葱のちょこを棚から取り出す、今日もいい手触りといい色だなと感じる、パクタージュの天草晩柑のシロップとヨーグルトを冷蔵庫から取り出す。透明感があって綺麗だなと感じる。
次にヨーグルトをスプーンでちょこにちょこっとずつ移す、今日はこのくらいかなと量を調整する。淡い黄金色のシロップの蓋を開ける、甘い柑橘が薫るのを感じる、スプーンでちょっとずつすくい上げてはその辺に垂れないようにちょこの中の白いヨーグルトへとちょこっとずつ垂らす。
ヨーグルトのつややかな真っ白キャンバスに透明感溢れる黄金色が溶け合うようにと乗っかってゆくさまを愉しむ。何回か繰り返して垂らし愉しむ。

儀式完了。(完成)

ちなみにこれをやりながらあっち側では目玉焼きを焼いたりトーストを丁度いい塩梅に焼いたり、エスプレッソをラテにしてクレマと薫りとミルクが清々しい朝を演出するように、全てを同時並行で進めるので慌ただしい。全てが同時に完成となるように、ゴールへ向かわせるにはチームマネジメントのようなものが必要なのだ。

朝食を食べ終えたら、いよいよヨーグルトの時間。
この頃には朝の優しい光が窓辺から差し込んでいる。
梅雨空の光がシェードされた感じもいい。
花浅葱のちょこを手に持つと、光によって真っ白なヨーグルトの上に掛かった淡い黄金色のシロップがキラキラと輝いている。朝の清々しい空気に、心持ちまで清々しくなるような手の中の小さな光景。
スプーンで緩く混ぜて口の中で混ざり合うのを味わう。

最高にうまい。
器とシロップとヨーグルト、その向こう側に携わっている方々に感謝をしたくなる、そんな朝のほんのひとときの時間が愛おしい。

こうして気持ちのいい一日の朝がはじまってゆく。


おわり。




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