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いわゆる、退職エントリ

2018年夏に仕事を辞めた。今更だけれど、当時のことを振り返りつつ、書きたいと思います。前置きが長くなるけれど、順を追って書いていきます。結論だけを読みたい人は「退職の決断」の見出しから読めば、だいたいわかるようになっています。

自分がよく見る退職エントリはキャリアアップのような前向きなものが多いのですが、自分の場合は違います。なので、仕事をしながら転職を考えている人にはあまり参考にならないと思います。どちらかといえば、前向きではなく後ろ向きに仕事を辞めようと思っている人向けです。

就職してからのこと

仕事内容は車関係の組み込みシステム関連です。自らが望んだ仕事とは言い難かったけれど、仕事自体は楽しさを見出すことができていました。理屈にかなっている動きを知ることはとても楽しく、知識欲が満たされていました。

一方で、望まれている効率で働くことができていませんでした。どうしても作業に時間がかかりがちで、寝坊も年に数回あったし、仕事中にうとうとして集中できないこともありました。

私生活でも怠惰が目立つようになりました。仕事だけは給料をもらっているので、その分の働きをしようとしていましたが、自分でもあまりうまくはいっていないなという感覚を持ちました。

最終的には会社に行くのが億劫になって、通勤中の駅のベンチで休みながら行くことが増えてきました。

休職してから復帰まで

そのようなことがあって、上司のすすめもあり、心療科のある病院に行くと、しばらく休職することになりました。休職期間は3ヶ月弱くらいだったと思います。職場復帰のプログラムを受けつつ、のんびりすごしました。

病院の先生は2年休むことをおすすめしていましたが、会社が待ってくれるわけでもなく、自分の中では休んだところで変わらないだろうという気持ちがありました。そのような理由で、最終的に仕事をしながら通院することになりました。

復帰後、劇的に何かが変わったわけではありませんでしたが、特に部署を移動することなく、仕事を続けることができました。ただ年に何回か起きれないということは変わらずにありました。病院の先生に勧められて睡眠関連の病院にも通いました。多少の改善はあったかもしれませんが、良くなったという実感はほとんどありませんでした。

ADHDの検査

病院に通ってからどれくらい経ったのか覚えていないけれど、1年以上経っていたように思います。あるタイミングで、ADHDの検査を受けることになりました。上司からも受けたほうが良いかもねと言われていたし、診断は受けていなかったけれど、ストラテラというADHDに関係する薬が処方されていたので、考えたほうが良いかなと自分でも思いました。

自分としては半々くらいの感覚で、ありえるかもしれないという感じでした。少し考えて、もし本当にそうだったら、理由がわかる分、気持ちが楽になるだろうと考えました。病院の先生から勧められたわけではありませんでしたが、受けることにしました。

通院している病院では検査を受け付けていないとのことだったので病院を変えて検査を受けました。そして、結果は問題ありませんでした。検査内容はIQテストみたいな感じで、率直に言って、やろうと思えば偽ることができそうだなと思いました。あと、薬を飲んだ状態で受けても良かったのかなって思いました。特に何も言われなかったのでそのまま受けました。

とにかく、それでADHDではないとわかって、自分の中でも納得というか、結局、病名がつこうが、つかなかろうが、現状の問題を自分で解決しようとすることは変わらないわけだからと思いました。

退職の決断

詳細はもう忘れてしまったけれど、技術職から営業職への転換という打診を受けました。今の自分の仕事の状態に満足していないとのことでした。

正直、自分が営業職をやるということが想像できませんでした。また、特別、売りたいと思える商品でもなかったので、辞めることになりました。そもそも今も昔もコミュニケーションに不安があったので、自分としてはうまくやれる自信がありませんでした。

実際、仕事すること自体にそこまでのモチベーションを高く持てていなかったのも事実だと思います。仕事自体に楽しみは見いだせていたけれど、それでなくては駄目という気持ちがまったくなかったのです。

辞めることになってから、今の自分の仕事に対するマニュアルを作ることになりました。マニュアルとか作らされている時点で、自分が必要だということなのではと思いつつ、もうその時点では辞めることが決まっていたし、気持ちが切り替わっていたというか、あまり未練を感じていなかったように思います。

やっておけばよかったこと

まずは、もっと偉い人やいろいろな人と話してから決めればよかったです。事業部長クラスの人とは話したけれど、事業部長が異動してそこまで時間が経っていなかったこともあって、あまり多く話したことのない人でした。

就職の際に面接した社長やそれまでに多くお世話になった上司などと話す機会はありませんでした。自ら望めば、話すこともできたように思います。もっといろいろな人と話すことを要求すればよかったです。

最終的な決断自体は変わらなかったかもしれませんが、改めて自分の評価だったり、これから生きていく上でのアドバイスがもらえるのであれば、それは自分にとって有益なことだと思います。

また、お世話になった人にあまり挨拶ができずに辞めることになってしまったので、不義理だったなと今は申し訳ない気持ちになっています。

会社以外の人でも、大学関連でお世話になった人と話したほうが良かったと思います。これも話さない事自体が不義理でした。様々な迷惑をかけた、かけている後ろめたさもあったし、そもそも自分から変化すること、能動的に行動を起こすことができませんでした。

それでも自分自身のことをよく理解できていない自分だからこそ、もっといろいろな人から話を聞くべきだったように思います。

終わりに

これを書くまで長かったです。もうすぐ3年経ちます。本当は辞めたときから書くというタスクを自分に課していましたが、ずっと書くことができませんでした。

これは怠け癖というよりは、変化に対する恐怖なのか、自ら変化することを選べなかったことによるもので、ずっと自分の課題だと思っています。

自分が最善と思う行動をとることができなくて嫌な気持ちになります。このことについて、自問自答した結果、自らの行動で失敗することを怖がっているという推論に落ち着いきましたが、本当にそうなのかは未だにわかっていません。

それでも、最近の自分は次のように言い聞かせています。

たとえ失敗しても何度でも挑戦するチャンスはある。同じ挑戦はできなくても失敗を挽回するチャンスは絶対にある。3年近く経って少しはまともになりつつあるような気がします。

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