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びっくりのインド ● 36 ● チェンナイへの出張 - Part 1

インドへの滞在中に1度、日帰りの出張でチェンナイへ行った。

この話しを始めると 『 あ、いいね! タイ? 』 と訊かれることがあるが、タイにあるのは チェンイ、インドにあるのは チェンイ ( 英語では Chennai ) だ。

会社からこの話しがメールで伝えられたときの私の口から最初に出た言葉は 「 え! 無理! 」 だ。

その理由は ...

(1) チェンナイまで片道 300 km
(2) 往復の移動は列車
(3) 片道 6 時間
(4) 日帰り

だったからだ。

直線で 300 km というと大阪から広島くらいまで、新幹線なら のぞみ で 1 時間 30 分強だから余裕で日帰り出張できる。

しかし、そこはインド。

まず自宅から駅まで オートリキシャ、それから 列車 → オートリキシャ → 相手先 → オートリキシャ → 列車 → オートリキシャ → 自宅である。

凸凹 の道路を三輪自動車で移動するのは、日本のタクシーに乗って、ふわふわの椅子で、エアコンが効いた車内で、スマホを見ながら 30 分過ごす、のとは訳が違う。

オートリキシャの 車内 から見る景色

ドアない、足を踏ん張って、両足でキャリーバッグを挟んで、どこかにしがみついて、サイドミラーから数センチのところを他のオートリキシャがすれ違い、クーラーもない車内 (というより、ほぼ車外) でスーツを着て、30 ~ 40 分後、駅に着いたときには既にグッタリ、砂ぼこりに覆われている自分が目に見えた。

「飛行機で往復させてください、お願いします」 と、文字通り 嘆願 した。
会社がインド側のスタッフへ連絡してくれたようで、往路は飛行機で復路は列車になった。

出張当日の朝、同行するインド人の上司と一緒に空港へ向かった。
空港までは 40 km、さすがにオートリキシャで移動できる距離ではないのでタクシーを予約してくれていた。

空港に着き、チェックインを済ませて、保安検査を通って、搭乗口に向かった。

この出張で利用したのは キングフィッシャー航空 、思い出のある航空会社だが、残念ながら航空業界から手を引いたようだ。
実は、私は当日までどの航空会社を利用するかを知らず、Kingfisher という単語とロゴを最初に見たのはビールのラベルである。
日本でいうなら普段からアサヒビールやキリンビールを飲んでいて、空港に着くと Asahi とか 麒麟 のロゴの入った飛行機を見るようなものだ。

1 時間弱の朝のフライトだけれど、もしかしてもしかすると、キャビンアテンダントさんが飲み物を持ってきてくれるときのカートの中に Kingfisher のビールがあるのでは... と期待した。
飲むことはないにしても。
出張だし。
朝だし。

搭乗が始まった。

近距離のフライトで国内線、座席はエコノミークラスのみ、1 列に 6 席、恐らく 30 列くらいあったと思う。
席について、暫くして落ち着いて見回してみると、身なりや振る舞いが上品な人ばかりだ。

ここで初めて 「 あっ... しまった 」 と思った。

このフライトは片道 10,000 円くらいだと聞いていた。
出張を知らせるメッセージは日本から来たもので、つい 「 片道 10,000 円のフライトなら新幹線より安い! 」 と思ったけれど、これまで何度も記事で書いたように、当時のインドの平均年収は 4 万円である。
出張旅費の片道が 10,000 円、「 お前は何様? 」 だ。

機内にいた人たちは、物凄くお金持ちか、あるいは会社なら上の人たち。
「 ひょっとしたらカートでビールが運ばれてくるかもね 」 なんて、浮かれた奴はきっと私くらい。

それで芋づる的に気づいたことがあって、同行した上司は、チェックインのときも、搭乗を待っているあいだも、搭乗してからも、なんとなく落ち着きがなくて、それを見て私は 「 よほど大事な商談なんだろうか? 」 とか 「 飛行機が怖いんだろうか? 」 とか呑気に考えていた。

いや、彼は、生まれて初めて飛行機に乗るのかも…

往復飛行機で移動したいと嘆願したものの復路が列車になったことを知らされたとき、「 なぜ、片道だけ? 」 と一瞬思ったのに、「 きっと何らかの理由で 」 と片付けてしまい、出張のことしか頭になかった自分を恥じた。

私は小学校 3 年生のときに初めて飛行機に乗った。
その頃、同じクラスの中で飛行機に乗った経験があるのは 2 ~ 3 人で、それくらい飛行機が贅沢な乗り物だった頃の日本で育ったのに、長いアメリカ生活や、あっという間に金持ちになった日本に慣らされて、時間を金で買う感覚に染まっていた。
何でもかんでも今の自分を基準に考えるのは、おごり以外の何ものでもない。

1 時間弱のフライトを私は粛々と過ごした。


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