見出し画像

連座があって族となる

族:漢字では「①やから。みうち。血つづき。『家族』『親族』 ②家がら。血統上の身分。『王族』『豪族』 ③なかま。同類のものの集まり。『種族』『民族』 ④集まる。むらがる。『族生』」(漢字ペディア参照)

族の中で反社会性のある者がでれば、連座で責任を取らせる。昔からある "習わし"。

族に "家" がついても同様。ただ、「・・・日本においては法的な犯罪責任は家族に連座しない・・・」とある。しかし、習わしは存在し続け「社会的制裁」としてメディアやSNSなどで喧しい。

連座しない存在としての個人。習わしから抜け出た存在。法的保護の下で社会性を保ちながら生き抜く知恵。

"社会的な成人" となるまで族の保護下にあるが、連座とはならない。族の中にあって個が際立つ存在。それが、近年の子供となろうか。

族の中で一人で育つ。大人となっても一人で生きる。老いて社会から助けられて一人であの世へ旅立つ。

そんな一人であっても、社会的制裁はついて回る。亡骸に付箋を張り付けて「どの族に属していたか」明確にしようとする。ある意味、「自身は悪くない。ここにある存在と連なる者たちが悪いだけ」と明示しようとしているようだ。

習わしはついて回る。一人となっても必ずや "族" に分類される。そうして個人を「分かった(理解できた)存在」として形作る。区別から高低差のある差別へとつながる。

今の時代となっても、「母から生まれる子」の法則は変わらない。そして、連座で区別し差別する社会も変わらない。個の存在と全体で生き抜く知恵(全体責任)との葛藤だけが不釣り合いな異様な塊として鎮座している。

#日経COMEMO #NIKKEI

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?