超妄想:襲撃を複数回許せば「許した」ことになる

襲撃:襲いかかること。不意をついて攻めること。

これを許すわけにはいかない。だが、なんども襲われてしまうのは「許している」と同意語になるのではないか。言い過ぎであるのは承知しているが、なにかタリナイ焦燥感に駆られるのだ。(ここからは、超妄想*****)

猛烈なブレーキを踏む自身がいる。「おかしい・・・。なにか、釈然としない。これは、いったいなんなんだ・・・」。所謂、陰謀論を持ち出したくなるのである。

陰謀:ひそかにたくらむ悪事。

もし、一部の血気盛んな強硬論者がいたとして、輩は足のつかない方法で襲撃を繰り返し、国内を "硬直化した社会" に仕立て上げようとする。「大中華も大露西亜も日本の敵なれば、現状の日本では緩すぎる。一時期、治安を乱れさせて治安維持の強化を誘い、暴力装置を強大化させる」企ての前哨としての襲撃。

五・一五事件や二・二六事件。背景やその目的が違うにせよ、暴力から全体統制へ移っていく前哨であったと解釈できる。今日は組織立った者たちが行動を起こすことはまれであり、個々がなにがしかに賛同して襲撃を行う様相であろう。

暴力の伝播。遠いユーラシアの西側で起こっている戦争。世界でも "先進でまずます裕福" であった国と国が血を流し戦っている。この事象だけで血が騒ぐ輩が幾人かいる。互いに情報交換しながら、沸騰する血を冷ますこともしない。やがて自国で、血の熱さを "生ぬるい民衆や要人" に浴びせかけたくなる。徒党は組まない。

その動きに「許しが出た」と誤解されたのが、要人を撃ったあの事件であろう。背景が分かるにつれ「理解」を示す動きが出るようになった。被告の深刻な宗教問題を背景にした「已むに已まれぬ」思いを忖度した文言が多い。

だが、陰謀を企てる輩とは違う。

襲撃が手法として有効なコトを利用し、自らの思いを果たそうとする。"硬直化した社会" の到来で自らの立ち位置を優位にする、その企てである。問答無用で自身に従わせる企てであるのだ。

襲撃と「已むに已まれぬ」がセットになった陰謀。これを冷静にとらえられる力を我々は有しているのか。繰り返される襲撃に背景も知らずに忖度する世論となっていくのではないか。

襲撃に対する「許し」を与えれば、陰謀のお先棒を担ぐことになる。それをやってはだめなのだ。

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かなり長い超妄想です。わたしも疲れました。ですが、何かがひたひたと近づいてくる感じがして気色が悪いのです。要人警備が緩かったころの、それで何事もなかった日本に戻りたい。そんなことを思う暗い日々が来るのではないか。そんな不安がよぎるのです。

#日経COMEMO #NIKKEI

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