妄想:少子高齢と災害復興

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ノスタルジア:郷愁:過去のものや遠い昔などにひかれる気持ち。
復興:いったん衰えたものが、再びもとの盛んな状態に返ること。また、盛んにすること。

さて、郷愁から復興へ。少子高齢化の時代にどのような復興の絵柄を描いていくか。

わたしは過疎地に住んでいる。ここでは、地震や大風雨を伴う災害などが発生している。今後は、もっと大きな災害が発生する可能性がある。では、災害発生後、どのような復興があり得るか、妄想してみたい。

今、この地は限界集落である。昔から伝わる行事もほぼ取り廻せない状況となっている。都会からは、郷愁から心を寄せていただいているが、祭りを維持するための作業に高齢者は耐えられなくなっている。「華やかな祭りの一部」への参加者は後を絶たないが、準備作業に人は来ない。

一度、おおきな災害に見舞われれば、納屋や人が住まなくなった母屋はひとたまりもなくつぶれるだろう。管理しきれない家屋をつぶして更地にする人々もいる。けれども、更地にするまでの費用を賄える人は多くはない。地震によって倒壊した後は自力では更地にできない事象がそこかしこに発生するのだろう。神社仏閣も名勝・景勝地も然り。祭りも元通りには戻せない。

復興の第一段階は、倒壊した家屋の後片付けとなる。急峻な山付きの崩落も急場しのぎの補修で切り抜ける。なんとか、車が行き来できる状況まで整備する。

第二段階は、人が避難場所から返ってくる準備だが、すでに家屋のない家族はもといた場所には戻ってこない。先祖伝来の土地ではあったが、しがみ付くような生き方をしなければならない難しい環境である。これを機会に、行政の補助を受けながら街中で暮らす選択をするのだろう。実際に、いくつかの事例を見聞きしている。

なんとか倒壊や崩落から免れた人々が過疎地に残ることになる。散らかった家を片付け、水・下水などの生活必需環境の復活に手がついていく。だが、それ以上の改善に手を付けられない。ふたたび災害はやってくる。その時の費用を蓄えておかなければならない。ほとんどが年金生活者で日々の生活でギリギリなのに、将来に対する資金準備などは望むべくもなくあきらめている。

その現状に、都会に出ている子供たちは故郷に帰る選択肢を狭めていく。子供たちも高齢となっていき、よほどのことがない限り生活の場を故郷に戻すわけにはいかない。災害で生き残った親たちにほっとしながら、その後のことは地域の人々に任せていくより他はないのだ。

やがて、過疎地に住む人々を街中に集約する復興計画が立ち上がり実行に移されるだろう。だが、"街中" というところはどこになるのか。平成の大合併でできた大きな自治体でも過疎化は進んでいる。当座の集約ができたところで、日が経たないうちに街中が街中で無くなっていく。

過疎のドミノ現象である。少子化で国全体の総生産力が下がっていく中、効果があまり上がらない復興への税金投入に躊躇する場面が増えていくだろう。

どこかの時点で、大都市への集約に投資する国家事業に切り替えていく。復興は地域自治体への集約ではなくなり、平成の大合併より大きな自治体大合併を模索することになる。大都市化を進められる地域が中心地となって "街中" となっていく。

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リアルに近い妄想、ではないかと思っています。災害の多い日本で暮らすということ。俯瞰して日本をとらえて、50年くらいの時間軸で今後を考えていくことが大事なのだろうと思った次第。

#日経COMEMO #NIKKEI

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